パタスモンキー、ミーアキャットなどが直立するのは、捕食者をいち早く見つける為、遠くを見渡すには、直立以外の方法が無く、つまりそこに死活的な淘汰圧が働いたからです。
淘汰圧があれば、種や属を超えて同じ行動が発達する例であり、前適応は前提にはなるとしても、淘汰圧がないところに前適応だけあっても全く意味を成しません。
直立はするが、二足歩行はしないのは、二足歩行への淘汰圧がが全く働かなかったからです。彼らには二足歩行をする必要が全く無いからです。
危険を察知した彼らは、あるものは大急ぎで巣穴にもぐりこみ、あるものは木にかけ登り、又有るものは全力で走り去る。
そして当然ながら、パタスモンキーのようなサバンナ類人猿にとって、全力で走るとは、四本の足全てを使って走ることです。
そこに何の不思議も有りません。
本来、サバンナと直立二足歩行との間に、必然的な関係など一切ないのですよ。
他のサバンナ性サルたちと同じく、ヒトの祖先がサバンナに進出した(取り残された)として、それまで慣れ親しんでいる四足歩行を捨て、わざわざ一から二足歩行の練習をする必要など、本来全く無かったのです。
ヒトは現実に直立二足歩行をしている。
そして最初、ヒトの起源説としてサバンナが想定された。
だから否応無しに、その二つを関連付けて説明することを求められたに過ぎません。
その説明付けが、今この掲示板で戦わされているさまざまな、そして苦しい議論です。
ここで言われていることは「前適応のおかげで、サバンナに進出したときスムーズに直立二足歩行が『できた』」とか、「共通祖先の段階で既に直立二足歩行に習熟していたから、そのままサバンナで直立二足歩行が『できた』」と言ったような、「できた」論ばかりです。
できる、できないは、前適応の有る無しに殆ど関係なく、そこに死活的淘汰圧が働けば、否応なく「できる」ようになるでしょう。
ドーキンスが「難題が突きつけられる」と言い、提唱者のイブ・コバンさえも、とうに見放したイーストサイドストーリー(サバンナ説)に、けなげにもしがみついている「サバンナ説」信者の皆さん.........、
できる、できないではなく、「何故ヒトだけがサバンナで直立二足歩行を選ばなければ成らなかったか?」「何故慣れ親しんだ四足歩行を捨てなければならなかったか?」「サバンナで、ヒトだけに掛かった淘汰圧はなんだったのか?」、是非私に分かりやすく教えて下さい。
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