snさんは、「直立二足歩行」「ヒト定義」に対抗して、しきりに系統を強調します。
勿論私もその重要性を否定するものでは全然ありません(ただ正直言って、関心の度合いは相対的に低く、詳しくは有りませんが)。
しかし系統こそ浮動的なものです。
第一、アルディピテクス属、オロリン属、サヘラントロプス属など、その設立や仕分けなど、全て実際の化石の発見と、当然それが直立二足歩行していたかどうかに依存した分類です。
新しい発見に伴って、「では分類、系統をどうしようか」と言う問題が発生するので有って、系統が先に有ってそれに基づいて仕分けたり、考察したりする訳では「断じて」無いのですよ。
ヒトの系統を巡っては20世紀、大きな変遷が幾つか有ります。
一つは1908年イギリスで起こった、後に20世紀最大の科学スキャンダルとも呼ばれることになる「ピルトダウン事件」です。
これは40年に渡る混乱をもたらしましたが、この痛恨の教訓を経て、「ヒトは知能の発達など、今の人間的特質の前に、直立二足歩行を先ず最初に獲得した」 と言う共通認識に立てたこと(それにしても既に1870年代、知能の前に直立二足歩行獲得が前提だとしたエンゲルスは凄い)。
二つ目は何と言っても分子進化学の、ヒトへの適用でしょう。
1967年、アラン・ウィルソンとヴィンセント・サリッチが、当時は未だDNA分子の直接分析は出来なかったので、タンパク質分子を利用したそうですが、ヒトの分岐は480-500万年前と発表したのです。
しかもヒトと、チンパンジーを一番近縁として、ゴリラやその他のサルたちをその外側に置いたのです。
化石を基にしての、「系統」に関する当時の常識としては、全ての類人猿の外側にヒトを置き、その分岐は2000万年を下回らない、とされていました。
当然、化石を基にする古生物学と分子進化学との間で、1960年代後半から1980年代前半に掛け、人類の起源をめぐって大論争が起こった訳です。
経過は端折りますが、この論争は分子進化学の勝利に終わりました。
と言うのは、ラマピテックスという化石を、当時の化石人類学では、ヒトの化石と解釈していたのですが、1982年、ラマピテックスのほぼ完全な頭骨が発見され、それがヒトの祖先ではなく、オランウータンの近縁だと同定されこの論争は決着しました。
しかし又、その後の経過は、オロリンやサヘラントロプスなど、分子が最初に示した年代より遥かに古い化石が出たり、分子時計の方も洗練されて、今、共通祖先からヒトとチンパンジー、ボノボ系統が分岐したのは、ほぼ700万年前とされています。
それ以上は遡れないでしょう。ゴリラとの共通祖先との分岐が900万年とか1000万年とか言われていますから、それとの関係も出てきます。
こう言う(勿論これだけじゃ有りませんが)一切の、現代進化人類学の知見の到達点が「ヒト」と言う概念、定義に含まれている訳で、それを否定するなら、ここでも又その為の「特別な説明」が必要だし、その責任は「無意味」だと仰る側に有ると言うことです。
700万年前、既にサヘラントロプスが直立二足歩行を獲得していたことが推定されています。
分子が示す分岐年代のほぼ同時期、殆ど間を置かない直立二足歩行獲得は、若しそれが事実なら、ヒトは何かよほどのっぴきならない事情で、急速に四足から二足に移行したことを推測させます。
これは森の中などでの、自然的経過では説明が付きません。
今後サヘラントロプスの大腿骨や骨盤などが発見され、直立二足歩行の直接的な証拠が出れば、「森林説」も又破綻が確定することだと思っています。
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