反共主義について

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社会主義体制以外の選択

社会主義を否定している人、反共主義の人は大勢います。社会主義を認めている人よりも今の所はるかに多いでしょう、残念ながら。
しかし、「マルクスは死んだ」「マルクスは古い」と言われ続けて久しい訳で、マルクスの社会主義理論は、いまだになお繰り返し否定され、「死に」続けています。つまり依然として無視出来ないし、「死に切れていない」と言えます。
社会主義を否定することは勿論自由です。しかしそういう人に聞きたいと思うのは、では資本主義の将来についてどう考えているか、と言うことです。

日本の(或いは世界のでも良いですが)未来について、その選択肢は、社会主義を含めて次の3つしか無い筈です(その他に有るとしたら、どなたでも提示して下さい)。

  1. 資本主義がこのまま未来永劫続く。
  2. 社会主義に移行する。
  3. 資本主義、社会主義のどちらでもない、第三の体制を想定する。

社会主義を想定、或いは目指している陣営は、「資本論」をはじめとして多くの著作で理論の積みあげを行って来ています。
その社会主義を否定する立場の人、陣営にとって、選択肢は1と3と言うことにならざるを得ません。

先ず、資本主義がこのまま永久に続く、と言う主張は、たとえ社会主義に反対の立場から見てもなかなか苦しいものがある、と私は思うのですが、どんなもんでしょうか。

イギリスの産業革命から約200年位、資本主義と言っても人類の歴史からすればホンの僅かです。
その間に2度の世界大戦があり、今もイラクやアフガンで悲惨な戦争が続いています。
アメリカを中心として、軍拡、核装備、ミサイル防衛網などと言う、人類全体の幸福とはまるで違う方向に莫大な富が浪費され、それを商売の種にしている人達がいます。
地球的規模での環境汚染の深刻化、貧富の格差、周期的な不況や倒産、失業。インフレ、デフレ。浪費の奨励、など、資本主義に直接その原因を持っているか、少なくても資本主義が続く限り根本的な解決が出来ない項目ばかりです。
この体制が、未来永劫続くとは、私には思えません。

※ 最近の日本経済や社会の状況を見た時、その感を一層深くするのではないでしょうか。リーマンショックやら、国と地方合わせて1000兆円に迫る借金。10年続いての年間3万人を超える自殺者。非正規雇用と特に若年層の雇用状況悪化。そしてワーキングプア。

これらの状況は日本と世界の資本主義が作り出し、そしてその解決の道を日本の資本主義は示し得ていません。(2010/11 記)
かと言って、社会主義を否定する立場からの明確で説得力ある「第三の体制」論と言うものを聞いた記憶は有りません。勿論「修正資本主義」などというのはダメです。今まで何度も蒸し返されてその結果が現在なのですから。
いろいろ思いつきや、個々のアイディアは有るかも知れませんが、社会主義に匹敵するような、統一的な理論の構築にはまるで至っていません。バラバラのアイディアでは、社会は変えられません。
社会主義に反対し否定する人達は先ず、上記2つの問題について明確な見解を表明してから、批判するのが順序だと思うのですがいかがでしょうか。

日本の資本主義について思うこと

最近日本の景気が好調だそうです。一部のエクセレントカンパニーは空前の儲けを謳歌しています。高級品を中心として消費も上向きだそうですね。でも庶民にその実感は有りません。
一部の企業の好調は、端折って言えばリストラや下請け単価の切捨てなどによって、「売上げは増えなくても高収益確保」の企業体質を作り上げてきたこと。及び主に、アメリカ、最近では中国への輸出、つまり外需です。
しかしこの構図による「好調」は、日本の資本主義を極めて基盤の脆弱ものにし、国民に痛みを押し付けるものにならざるを得ません。
リストラ、失業率の高止まり、倒産、若年層を中心にした、パートやフリーターなど非正規社員の増加が進んでいます。年金・健康保険の負担増は、ますます企業に正規社員雇用を抑制する圧力となるでしょう。

今度工場のラインにも、派遣社員を使うことが出来るように法改定されたようです。
つまり、資本はその時々の景気や売れ行きに応じ、随時労働者を投入したり、引き上げることが出来るようになった訳です。
かって生産におけるリスクを「レイオフ」などの形で負っていた企業は、そのリスクを派遣会社や労働者に押し付けることが出来るように成った訳です。

一部の業種、例えばコンパニオンなどでは「在宅待機」のような雇用形態も有るようです。 バイク便とか自転車便などでも、携帯電話を持って公園などで待機しているスタッフをよく見ます。

労働力のジャストインタイムです。全く好きなように使われていると言う感じです。
不安定な雇用は、また結婚をしない(出来ない)人を増やし、出生率の低下を招いています。そもそも今、正規社員であっても、出産・育児休暇を何の憂いも無く申請できる、と言う状況ではなくなっています。

このように日本中で「物を買えない人達」を増やしています。
事実家計は回復していません。
従って作った製品は、アメリカや中国への輸出頼みです。貿易収支の黒字は貯まる一方です。
でも、これってどう言うことでしょうか。結局ドルが貯まるだけじゃないでしょうか。
ドルは、アメリカが保障してこその価値です。それが無かったら単なる紙です。

今アメリカ経済の先行きは多いに不安です。
イラク戦費の増大、原油の高騰など財政赤字と貿易赤字つまり「双子の赤字」で、いつドルの暴落が有るか知れたものでは有りません。
ドルの固定相場制から変動相場制に切り替えた「ニクソンショック」はベトナム戦争の時でした。
そしてそれによって世界で一番損をしたのは、シコシコとドルを貯めていた日本でした。
貿易黒字を減らすため輸入を増やすと言っても、その対象品目は主に工業原材料と、農産物、材木などです。
工業原材料を別として、日本の農業や林業は輸入の邪魔になるから、と言うことで疲弊の一路を辿らされています。
食料の自給率は先進国の中で最低。もし輸入がストップした時日本人の7割は餓死する計算です。
つまり、アメリカを中心とした外国に、胃袋を握られている訳です。

※ 今度民主党管政権は、関税を全て取っ払うTPP交渉に入るべく検討しているようです。日本農業は壊滅し、日本人の胃袋は完全に外国に握られるでしょう。
日本の歴代政府は、自民党も民主党も、武力による「安全保障」には殊の外熱心ですが、食糧安保には目もくれないようです。
武器は、アメリカと日本の独占大企業を、国民の税金で潤しますが、国内農業は大企業にとって商売の種になりませんからね。(2010/11 記)

国産木材は価格の点で外材と勝負にならず、日本の森林は手入れもされず荒れています。
そりゃそうでしょう。植林をし、下草を刈り、枝打ちをし、間伐をして、しかも急峻な日本の山から切り出して来る国産材より、熱帯雨林に自然に育った木を切り出してきた方が、現地の低賃金と相まって、はるかに安くなるかも知れませんからね。
ハッキリした記憶は有りませんが、毎年四国と同じくらいの面積の熱帯雨林が失われる、とか聞いたことが有ります。木材の輸入では多分日本が一番多い筈です。
それは直接地球の環境汚染につながります。

日本の林業を守ることは、日本の山と、熱帯雨林やロシア、カナダの原始林を同時に守ることです。山を守ることは、水害を防ぎ、風光を維持し、海を養うことです。
環境に与える効果を計算したら、材木の内外価格差など問題になりません。仮にそのことで国産材が高価になるとしたら、国が補助をすればよいことです。
それは農業にも同じことが言えます。
また、熱帯雨林の国の人達が、それを売り払わないと生活できないとしたら、それこそ世界中から、地球を守るための必要経費として援助すればよいことです。

しかし、そういうことは資本主義では絶対出来ません。
トヨタは車を海外に売らなければなりません。そのドルを使う為に農産物や材木を輸入しなければなりません。
それぞれの企業は競争だから、自分のところだけ「良心的」には出来ません。
全体の利益と、個々の資本の利益はいつでも一致しません。

生産的論議と「反共」アラシ

実のある議論と反共攻撃について、少し述べてみます。
例として、 ―― ―― 「共産主義者は、革命を目指す」 ―― ―― と言うことが有ったとします。評価は別として、このこと自体は事実です。
それに対して、 ―― ―― 「革命は、かくかくしかじかの理由で悪いことである、従ってそれを目指す共産主義者は、間違っているし、悪である」と言う論立てなら、その内容についての評価は違っても、双方で議論は可能です。これは「意見の違い」であって、「反共攻撃」とは言いません。

そもそもこう言う論陣を張るには、革命について、或いは共産主義について、その内容を自分なりに理解している必要が有ります。
具体的な内容を持った双方が、お互い議論した場合、どちらかに見解の一致を見る、或いは意見の違いを保留するにしても、少なくとも双方で議論の内容についての認識は深まります。その議論は生産的なことです。
しかし、「共産主義は悪である、従って彼らが目指す革命(革命に限らず)は悪である」と言う言い方は議論になりません。
そもそもこう言う論立ては、「共産主義は悪である」との決め付けからスタートしているので、その内容の具体的吟味を必要としません。実際に言っている本人に、その具体的な内容把握が殆ど無いのが普通です。

例えば、リンゴでも恋人の顔でも、具体的な形の有るものを頭の中にイメージするのは、言葉を必要としません。
しかし、「社会主義」「資本主義」「革命」など、形の無いもの・概念的なものをイメージするには、《ことば》抜きには絶対に出来ません。概念とはそう言うものです。
嘘だと思ったら、実際にやってみて下さい。

しかし悲しいかな、反共の闘士は往々にしてそう言う中身についての、具体的な理解が無いことが多い。つまり自分自身で明確なイメージを持っていないし、まして人に言葉でそのイメージを伝えることなど、やりたくても出来ない場合が多い。
その結果として、ゴキブリだとか、ハイエナだとかと言った、汚い比喩に寄りかかって自分の見解を主張するしか有りません。
後は、人から聞いた外国の例の引き写しと、内容なしのスローガンだけです。
だから、掲示板などでの反共的荒らしを見るたびに、彼らの理論的無内容と、ボキャブラリの貧しさ、それをカバーする為の品性の汚さだけが際立つのです。
嘘だと言うんだったら、外国の例やスローガンでなく、具体的に内容の伴う反論をしてからにしてもらいたい。

※ 文学者にして若くに芥川賞を受賞した石原慎太郎、東京都知事の、お得意な日本共産党評がこの「ハイエナ」でした。
小泉純一郎にしてもこの石原慎太郎にしても、或いはヒトラーにしても、語るべき内容を伴わない汚い言葉の投げつけに、国民はそろそろその人間性の薄さに気が付くべきだと思うのですが、どうでしょうかな?(2010/11月記)
そもそも彼らは、マルキシズム云々以前に、人類の歴史に於ける、資本主義が果たした積極的な貢献などでさえ、理解していないでしょう。
ましてや、上記で提示した「体制選択についての自分自身の見解」等、言える筈も有りません。
違うと言うんだったら、自分の言葉で自分の立場を、資本主義についてでも良いから説明してもらいたい。
マルキストは、資本主義が果たした積極的な貢献を十分評価しながら、現在その限界と桎梏を解決する道として、社会主義を展望しているのです。
立場や意見の違いは有るにせよ、中身の論議は歓迎するところでしょう。

共産主義は恐怖政治体制か

「マルクス教」が全体主義国家と結びついた理由と、恐怖政治体制をしいた、そもそもの理由と銘打って、次のような見解が有りました。

>それは、共産主義国家は、暴力以外の方法では建国していないという点につきます。 これでは、国民からも国際社会からソッポを向かれてしまいます。

しかしこの言い方は、大きな自己矛盾では無いでしょうか。
国民からも国際社会からもソッポを向かれるような、革命の後わざわざ国民の支持を自分達の方に向かせなくてはならないような、つまりは、革命の開始時点では国民の支持を受けていないそんな勢力が、どうして武力で勝利し、革命を成功させることが出来ると言うのでしょうか。

国家間の戦争にしろ内戦にしろ、武力闘争は大きなエネルギーを組織しなくてはなりません。国家間の戦争では、国家権力を総動員して戦争を組織します。
徴兵制や、国家総動員法などの法律を作り、それに反したものは容赦なく監獄にぶち込むなど。
日本でも戦前、治安維持法のもと、死刑を含む厳しい取調べで、日本共産党員を中心とした多数の人が殺されています。
教育やマスコミ、検閲等を通して「愛国精神」を叩き込み、反対するものは「非国民」とされる。町内会など行政組織も全て戦争体制に編成する。勿論産業も軍事態勢に編成する。
前線では厳しい位階制度の下、絶対服従を強いられる。
脱走などすれば、死刑を含む軍法会議が待っている(それは北朝鮮に亡命したアメリカ軍人、ジェンキンス氏の例でも明らか)。

つまり、時の支配階級は極めて大きな国家権力(軍隊、警察、監獄、裁判所、官僚)を握っている訳だし、例えばロシア革命前の皇帝は、その権力をほぼ絶対専制的に使う権限を持っていました。
革命とは、その権力を自分達の手に奪取することを言う訳ですが、いったい反共闘士各位は、まだ国民の支持も得ていないような脆弱な勢力が、どうやればこの巨大な権力を打ち倒せるだけの武力闘争を組織出来ると言うのでしょうか。
革命が勝利した、と言う事実そのものが既に、その時点で革命勢力が国民の、大方の支持を得ていたことの何よりの証明になるのではないでしょうか。

事実、2月革命(1917年)のはるか前の日露戦争(1904年)頃から、ストや蜂起、或いはそれに対する弾圧が頻発していました(血の日曜日、戦艦ポチョムキンの反乱は1905年)。
第一次世界大戦の総力戦の中で、ロシアの国力の脆弱さが露呈され、戦局はドイツ軍の攻撃を支えきれず、ついでポーランド戦線が総崩れとなり、大退却が始まります。兵士も厭戦気分が蔓延してゆきます。
皇帝ニコライ二世は、皇后とラスプーチンに支配され、ロシア国家は頭から麻痺して行きます。
ラスプーチンは1916年12月16日に暗殺されますが、ツァーリの権威失墜は回復されるべくも有りません。
つまり特殊な一団が革命を起こしたのではなく、国を挙げての大きなうねりの中で革命が進んだのです。

1917年、レーニンが封印列車で亡命先のスイスから帰国したときの、国民の歓迎は、決して革命の指導者が「ソッポを向かれて」いた訳ではないことの証です。
本来の社会主義は、全体主義や専制とは無縁なのです。
革命は決して一部の「専制勢力」だけでやり遂げられるような、安易なものでは有りません。

ロシアを始めとした一連の社会主義革命が「暴力革命」であった理由。ロシア、東ヨーロッパでの「社会主義」の崩壊、全体主義化と専制になった理由は、それぞれの理由があります。機会があったら書き込んで見ます。
一言だけ述べておきますが、今の日本の状況を当てはめて、国会も機能していない当時のロシアで、「暴力革命」になったことを批判してもそれは当たらない、と言うことです。フランスの国民で、フランス革命を否定する人は居ないでしょう。
アメリカの国民で、独立戦争を否定する人も居ないでしょう。

その裏返しとして、90年前のロシアで「暴力革命」になったからと言って、ぜんぜん状況の違う今の日本での革命が、暴力を伴うなどと考えるのも、同じように荒唐無稽のことです。

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このページは、雄が2010年12月28日 10:11に書いたブログ記事です。

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