>全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ・・・・
という社会主義革命を暴力革命と提起したマルクスは死にました(No.3)
確かにこんな、「小児病的マルクス主義」は死んだし、死んでもらわなければ困る。
し かし今時、特に日本のように議会制度(1票の格差や、小選挙区制での制約、資本側からの政治献金や選挙動員等の問題は有るとしても)が確立されている時、 「暴力的に転覆することによってのみ……」革命が成し遂げられる等と、ナンセンスな主張しているのは、かっての一部「極左」集団だけだし、それを反共産的 宣伝材料につかっている自民党やマスコミだけですよ。アッ、今度は民主党も使うかな。
その影響は残念ながら大きいが。
それと同じ 理由で、議会制度等と言うものが全くか、有ってもごく一部しか機能していなかったレーニン時代のロシアやマルクス時代のヨーロッパで、「全社会組織を『議 会制度』で転覆することによってのみ……」とだけ主張することが、如何にナンセンスなことか、考えて貰えれば直ぐ分かること。
現に社会主義革命では無いが、フランス大革命やアメリカの独立戦争、或いは日本での明治維新を、「議会を通さず、暴力を伴った変革」だったからダメだ、等と批判している人は、当の国民には誰もいない。
マルクスにしてもレーニンにしても、或いは坂本竜馬にしても同じことだが、現実をリアルに分析し、平和的な移行が可能な時はその道を探りながら、しかし必要な時には武力への備えを考慮するのは当然の責任ある態度。
それを全く事情の異なる現代に当てはめて批判しても、それはフェアじゃないって話でしょう。
マルクスにしてもエンゲルスにしても、その時その時の状況に応じて、常に具体的に考慮し文献に残した。
後世それを読む我々は、常に「時代とともに読む」態度が要求されると言うことでしょうな。
>社会主義革命はドイツまたはイギリスなど先進資本主義からおこり……、
…も又、そう言う時代的制約の中で読むべきでしょう。
>社会主義体制と呼ばれるものが崩壊したものが示したものは、いかに社会主義というものが遅れた社会状態だったかということでした
とくにそれは経済において顕著でした
…については、確かにレーニン後のスターリン、ブレジネフ等などによる社会主義の変質。そのヘゲモニー下のチェコや東ドイツ等の実体。
或いは毛沢東支配下の中国等、色々言うべきことは沢山あるし、これらについても順次議論されることだろうと思うけれども、ただ、今言えることは「資本主義だって決して褒められることじゃない」と言うことでしょう。
ソ連が崩壊した時、正に「マルクスは死んだ」として、資本主義の勝利が声高に叫ばれたが、その後の経過は押して知るべし。
産業革命が起こって200年余り。
人間の歴史から見ればほんの僅かな間だが、繰り返し矛盾が噴き出している。今ここで詳しく述べることは出来ないが、例えば一つの例として、地球環境に深刻な影響を与える程に発達した生産力を、一私企業の利潤追求の為だけに委ねていいのか、鋭く問われている。
「社会主義」を批判し、否定するのは結構だとして、だとすると、残る選択肢は次の二つになる。
- 資本主義が未来永劫続く。
- 資本主義でもない、或いは社会主義でもない、第三の道を探求する。
論理的にはこの二つしか残っていない。
1、は中々苦しいと思うし、2、も今まで色々(例えば修正資本主義など)取りざたされて全て失敗に終わっている。
我々は今、色々な立場を超えて謙虚に、率直に未来を語る必要が有ると思いますよ。あまり重箱の隅に拘らずにね。
No.7、No.8などはトピの趣旨にも合った、今後の議論に繋がる内容だと読みました。
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