RE 理解しにくい者との対話

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【言い訳と想定の範囲】

私の文章が「中々理解してもらえ(てい)ない」ことは事実なので、その点は認めています。「心しましょう」。
同時にそのことは、「クロスオーバーでの、まとめてお答え-1」の冒頭でも述べた通り、一番最初からの、「想定の範囲」だったことも確かです。

「人間の特殊性」「人間だけ特別だ」「質的に異なる」と言った主張は、この板だけでなく進化生物学の枠内で、ある種、禁句の趣が有ります。曰く「全ての生物はそれぞれに進化の頂点に有り、その点で同等であり、人間だけが特殊なのではない」と。
事実、最初の頃はそう言う趣旨の批判を方々から浴びました。

    

 

追伸

>>「埋められない溝」との表現と、「質的に異なる」とは微妙にニュアンスが違って、私は前者の捉え方はしていないのですが、それはそれとして.........、

>おお、その微妙なニュアンスの違いこそ重要かも。私にもその違いがわかりませんので、雄さんは「埋められない溝」と考えていると解釈していました。是非、その違いが知りたいです。

微妙なニュアンスの違い、ですから微妙でしか無いのですが、「埋められない溝」だと、なんとなく「原理的な違い」、と言う感じがします。
私は原理的に否定をしている訳ではなく、元々は同じ共通祖先から分岐した後、「質的な違い」に至る迄の、長ーい、量的な経過や結果としての違いを見ているので、それが「生物としての連続」と「群れから社会への飛躍」に至る全経過で有る訳です。

今となっては殆ど「埋められない溝」になっていますけどね。

「質的な違いなど無い。有るのは(量的な)程度問題」との批判を巡り、延々と量と質、「量的変化の質的変化への飛躍」、又その過程で「毒薬の量と致死」「電磁波波長の量的変化と、電波からガンマ線に至る質的変化の関係」など、論争に忙殺されました。
ああそうそう、dmさんから、「尺度」に関する講義を受けたことも有りますね。

基本的に見解の異なる、それもそれぞれに中身の異なる多数の相手に、異端とも言える「社会への飛躍」を理解して貰えるよう、文章を組み立てることは中々難しく、そして長く、くどくなります。
私が幾ら片方で「生物としての連続」を主張しても、中々それに眼を向けて貰えなかったと言う恨みも、私とすれば有ります。
まあ、これは言い訳として.........。

 

私は、有りのままに、進化生物学だのなんだのの先入観を持たない、素直な子供の目から見て、やはり「人間は特別」に見えると思います。
事実進化生物学の中でも、分子による区分け(1967年)がされる前は、全ての類人猿の外側にヒトの系統を置いて「特別視」していました。
創造論によるアダムとイブが、キリスト教世界で長い間受け入れられて来たのも、見た目が実際その通り(人間だけを「神の似姿」として区別出来るだけの、他のサルとの歴然と異なる外見と知性)で、そこに無理を感じなかったからでしょう。

この「人間だけの質的な違い」を、ここで又詳細に繰り返す積りは有りませんが、やはり現実がそう見えるのであれば、それをそのまま認めて科学の俎上に上げるべきだと思います。「何故、このように見えるだけの違いが出て来たのか?」と。
勿論、科学した結果「単なる量的な違い」だった、と言うことになったとすれば、それはそれで良いのです。私はそうはならないと思うけれども。
そうやってこそ創造論に対しても、根拠を持った説得力ある反論の足場を持てるのだと思います。

「進化生物学」の枠内だけに拘りすぎると、この「違い」が見えなくなる、と言うか説明が付かず、逆におかしなことになります。
以前にも紹介しましたが、動物学者のアドルフ・ポルトマンが、「人間の属性」として……、

  1. 直立二足歩行
  2. 道具・言語の使用
  3. 洞察力、つまり 未来予測性が有るかどうか

…を挙げ、これがヒトとチンプなどを分ける要因だと主張しました。同時にそれを紹介した日本の専門家たちも、三番目の「洞察力」 が非常に重要だと述べています。
これを引用しながら私は「専門バカ」と言ったのですが、その時も専門家の業績への不当な軽視・蔑視だと、ここで総批判を浴びました。

※ 念の為に申し添えておくならば、ポルトマンは著名な動物学者であり、彼の主著とも言える『人間はどこまで動物か』の中での、「人間は他の哺乳類と比べ、1年ほど早産である」との主張は卓見です。
私の「専門バカ」のセリフは、ポルトマンの業績全体に対してでは毛頭なく、マッ、どちらかと言うと、「三番目の『洞察力』が非常に重要だ」と言っている日本の「専門家」に向けられたものです。

1、2の「直立二足歩行」「道具・言語」は、正に人間化の契機として決定的に重要です。この掲示板でも一貫して私も主張している通りです。しかし3の「洞察力」は人間化の結果であって、契機・原因では有りません。およそ700万年前とされる分岐前、ヒトとチンプは同じ動物種だったのであって、洞察力を含めて違いは何も無かったのです。
何らかの理由で直立二足歩行を始めた一部の群れが、道具と言語を獲得し、結果的に人間となり「洞察力」も身に付けたのであって、これを同じレベルで論じるのは大きな間違いです。

つまりこのポルトマンの主張は人間化の原因に結果を織り込むもので、その点で創造論と同じ立場になっています。つまり出来あがった形で人間を見ている訳です。
進化生物学の枠内に拘った時、結局その枠内、つまり塩基配列1.23%と言う生物学的な僅かな差と、目の前に見える巨大な差を両立させる為、逆にそこにサプライズやミラクルを想定せざるを得ないことになりがちです。この板でも主張されたように、調節遺伝子だのコントロールリージョンだのを、人間だけ過大に評価して説明することになってしまいます。遺伝子の突然変異はランダムで、公平に見て全ての類人猿で同じ機会が有った筈なのに、です。

ポルトマンの「人間の属性」とは対照的に、例えば長谷川真理子さんなどは、私とは勿論表現が違いますが、生物としての基礎を認めつつ、人間だけの社会的要因を充分に考慮しています。
ヒトのオスの精巣サイズや性的二型、及びメスの難産など、生物学的基礎を踏まえつつ、片方でゾウアザラシも真っ青な、888人の子供を持ったオスの権力が どうして存在し得たか。逆に現在世界の最高権力者と言っていいだろうアメリカ大統領が、表向きは一番性的貞節を求められるのは何故か、等、その社会的要因(生物学的要因で無く)に言及 しています。

何れにしても今、人間を突き動かしている主たる要因は、生物としてのそれで無く、社会的要因だと言うこと、そして人間とは社会的存在だとの主張が、中々すんなりとは受け入れられないことを思い知らされている「今日、この頃」です。

おっと、「理解してもらえない」言い訳が、又また長くなり、ますますヒンシュクを浴びそう。

    

 

【仮定の話について】

これはもう「見解の相違」と言うことにさせて下さい。
クロスオーバーでの、まとめてお答え」で述べたように、現実にそうなっているのは人間だけです。
科学が問題を建てるとすれば、その現実を踏まえて「(ヒト以外の多数の生物の中で)何故ヒトだけが.........」とすべきで、その中で比較として、ゴリラでもチンプでもゾウでも、必要に応じて取り上げるべきでしょう。

現実にそれを獲得している人間との比較抜きに、「ゴリラは、或いはチンプは、ゾウは、人間並みに道具を使い文化を発達させ得るか」と問題を建てても、そもそもその答えが出ないでしょう。答えを出すにはあまりにも多くの仮想要因を想定せざるを得ず、出たとしても空想の域を出ません。だからこそ「空想的ゴリラ 論.........」と言ったのですが。
それに、何故ここに、ラッコを入れないのか、カラスを入れないのか、アズマヤドリを入れないのか、と際限の無いことになるし、その線引きさえも客観性を持ちません。

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このページは、雄が2010年4月29日 16:07に書いたブログ記事です。

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