ヒト起源について-32

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RE pxさん

>アシカとかセイウチとかは水中生活に適応しているけど直立歩行の道は選ばなかったみたいですけどね。

 

人間は現に今、直立二足歩行をしています。その現実を踏まえて振り返って見たとき、若しかしたらその契機は水の中に有ったのではないか、或いはサバンナか、森の中か、と言う話しをしている訳ですね。
話しの出発点を水中生活から始めて、アシカやセイウチにまで広げている訳では有りません。

アシカもセイウチもヒトも、それぞれ考えられない程の偶然の事情が有って現在に至っている訳で、ヒトも水に隔離されたままだったら、また違った道を歩いていたでしょう。その辺は紙一重です。
確率計算をし始めたら、宇宙も地球も、人間を含めて全ての現生生物も有り得ないと言う結果になりそうです。その辺を創造論者やインテリジェント・デザイン論者は突いてくる訳ですね。

でも現実に人間は存在し、生物は現在の多様性を持っています。アシカ、セイウチもそう言う多様性の問題に過ぎないのだと思います。いや、ヒトの直立二足歩行が奇妙すぎると言うべきか。

 

RE ahさん

>恐竜の体重は必ずしも重くはないですよ。ドロマエオサウルス類(ヴェロキラプトルの仲間)のように軽量だったと思われる恐竜の足跡化石も残っています。
>恐らく、足跡がはっきり残る状況というのが湿地や川辺に限られており、それが破壊されないまま埋められる状況がさらに限られているが故に、「どこに誰の足跡化石が残るか」は偶然に左右される場合が多いのではないでしょうか。

No-105、116を読んで頂ければ分かりますが、元々私の主張も「足跡化石は考えられない程の偶然のなせる結果で、湖底に発見されないからと言ってアクア説の否定にはならない」と言うことを、ラエトリの例など引きながらミケさんへの反論として述べたものです。
小型恐竜であれ大型恐竜であれ、その足跡化石はおそらく本体化石よりも遥かに少ないだろう、と言う予想をその補強としました(詳しいことは承知していませんが)。

上記のPXさんへのコメントと同じことですが、現実に残っているものの事情を辿ることは出来るかもしれませんが、おそらくそれぞれが個別的に偶然の結果で あって、ゴカイの痕跡化石やドロマエオサウルスの足跡化石が残っていたからと言って、大型恐竜のそれがより多く残っている筈だなどと主張しているものでは有りません。

 

RE egoさん

>水の抵抗は凄いからね。少しの距離なら歩けるけど、長い距離になると泳いだ方が楽だけどねえ。首まで浸かれば、歩くのが非常に困難になるしね。浮かんでた方が楽だよ。

ただ現実に、西ローランドゴリラは水の中で歩いていましたね。

 

【鳥の二足歩行】

ヒトの定義の先ず第一は(聖書などを別として)「直立二足歩行」です。
直立二足歩行によって前肢が歩行から解放され、それによってヒトは道具の作製・使用の道を可能にしたからです。今や人間はダヴィンチや伊藤若冲の絵筆を操る手、村治佳織のギターを弾きこなす手、1000分の1ミリの歪を感知する職人の手を持つに至っています。

或いは多様な音声の可能性(アクア説の場合、この原因説明が異なりますが)、重くなった脳を支えるなど、直立二足歩行無しに人間化は有り得なかったと言えます。
そう言う意味合いでこの「ヒト起源」トピでも中心テーマとして取り上げられている訳ですよね。

この全体の枠から切り離して、鳥やらなにやらの直立姿勢や二足歩行と比較しても、あまり意味の無い議論になると思います。

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このページは、雄が2008年1月12日 11:15に書いたブログ記事です。

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