宗教と規制

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私も無神論者だし、無さんの気持ちも分からなくは無いのですが、やっぱり「布教活動に規制をかけるべきだ」と言うのは、ちと拙いんじゃないかと思いますよ。思想信条そのものへの関与になってしまいますからね。

 

 

  • サリンだとか子供が隔離されたとか、輸血拒否で子供の命が危ないだの、そう言った実害は、何も布教活動や教義を問題にするまでも無く、現行の刑法や児童福祉関連の法律で取り締まり出来る筈です。
    「宗教」の衣に躊躇し、当たらず障らずで対処が後手に回るってのは拙いし、そう言うことが往々にして有ったことは事実ですけど。

    オウムの時に破防法が検討されましたが、そんな必要は元々無かったのであって、現行刑法でもっと早く、幾らでも取り締まりが出来た筈なんですね。上九一色村の住民は警察が動かないから、止むを得ず自分たちでオウムへの対策を取っていた訳です。

    坂本弁護士一家の殺害にしても、一般刑事罰の問題として警察がもっとキチンと対処していれば防げた筈だし、現場に落ちていたバッジなどから、その後の松本サリン事件に至る前に、何らかの手が打てていたかも知れないんですよね。
     
  • 若し布教活動や思想信条を、直接規制の対象として取り締まるとして、結局その主体は警察とか検察と言うことになります。しかも対象が「思想信条」と言う、極めて抽象的な事柄ですから、そこに権力の恣意的な指向が働くことになるでしょう。
    刑法なら少なくとも「物的証拠」が必要でしょうが、「思想信条」そのものを対象に規制していいことになれば、その点でも権力の勝手な判断が巾を効かせる恐れ充分です。

    ahさんご指摘の「どこで誰がいい宗教と悪い宗教の線を引くねん」を、警察とか検察とかの特定の部分にお任せしていいのか、って問題だと思うんですよね。
    時代錯誤で税金無駄遣いの典型でも有る、公安警察が「いよいよ出番だ」って、飛びあがって喜びそう。
    今でさえ、卒業式に「君が代・日の丸」が実際の処分を持って強制され、マンションへの政策チラシ配りが、起訴され裁判所で有罪が出るなんて時代になって来ている訳ですからね。

    宗教団体が政党を作り、実際の政治に関与しているなど、一般論としても実際上からも批判されるべきですが、教義や布教活動そのものは、思想信条、結社の自由として尊重されるべきだと思うんですね。

    無さんが仰っていることですが、「信者にならなければ建物に入れない」「一度脱会したら二度と入会できない」なんてのは本来、その組織が自由に決めて良いことでしょう。
    逆に「誰でも勝手に建物に入ることを制限してはならない」なんて法律が出来たら、こんどは私有財産やプライバシーの侵害に抵触することになります。
    「何かを固持したい」、(組織の機密を)「隠したい」、「外部に漏らされては困る」なんてのは、どの企業にも団体にも有り得ることです。

    「一度入会したら二度と脱会を許さない」と言うことは個人の自由意思を束縛することですから、そう言う教義や教団は許されませんけどね。

 

 

今のインターネットだって、ポルノ有りモロ画像・映像有り、自殺勧誘有り、なんでも有りのようですが、だからと言ってやはり中国のように国家が直接介入して規制するのは拙いと思うんですよ。

ポルノ、或いは風俗店の規制も、一歩間違うと表現の自由に関わるし、こう言うことを警察が声高に言う時、やはり少し胡散臭さを感じてしまいます。

思想信条での問題は、やはり思想信条のレベルでの、言論による適切な批判と自主的な規制、国民全体の民度の向上に依拠するのが、回り道のようで多分一番の近道かと。
その意味でも「霊能師」だの「スピリチュアル」だのを無批判に取り上げ、ちょうちん持ちさえするマスコミの罪は深いと思いますけどね。

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このページは、雄が2010年3月26日 13:09に書いたブログ記事です。

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