RE gbさん
>科学が明らかにしたいのは人類の進化の「歩み」なので、先入観・思い込みをできる限り排しながら、きちんと確認できる事実から説明を組み立ててるわけで、「二足歩行」だけに頼った明確な線引きは難しい、
今後「直立二足歩行」という(便宜的な)定義も捨てられるかもしれない。それが、科学の方法(考え方)ではないでしょうか。
勿論「人類の進化の『歩み』」全体がくまなく明らかになれば、それが一番いいんでしょうが、実際はホンの僅かな「点」をつなぎ合わせて、その「歩み」を跡付けているのが現状でしょうね。発見されている初期人類の化石は余りにも少ない。
そして同じ点でも、「中間点」よりは「出発点」に関心が向きやすいし、そこが定まらないと全体の「歩み」も定まらない訳で、私の関心も専らそこに集中していると言う訳です。
「最初のヒト」(新書館、アン・ギボンズ著)の、『ヒトの定義』と言う項目の冒頭、ルーシー発見者のドン・ジョハンソンの次の言葉が載っています。
「科学が何が人類なのかをはっきり決めないままに、これまで一世紀以上もの間、人類と先人類、そしてプロト人類について論議して来たことは、滑稽に思われるかもしれない。滑稽であるにしろないにしろ、そんな状況だったのだ」
ルーシーの発見(1974年)はその意味で、一つの転換点になったでしょう。
同時に1975年、同じアウストラロピテクス・アファレンシスと見られる、あの有名な足跡化石が、メアリー・リーキーによって発見され、ルーシーの直立2足歩行が直接証明された形になっています。
時期的には丁度その頃、前回少し触れた「ラマピテクス」の顎骨が、他ならぬラマピテクス初期人類説を主張していた、デイヴィッド・ピルビーム本人によって 発見され(1974、75年)、ピルビーム自身の敗北宣言とも言える形で、進化人類学は分子による解析も含めた、新しい段階に入ったと言えるでしょう。
ルーシーの特徴の第一は、「チンパンジー並みの脳容量」と「直立2足歩行」の併存です。
脳の目立った拡大はルーシーよりずっと後、200万年前位のホモ属(ホモ・ハビリス)辺りから顕著になる出来事です。
「ヒトの祖先は、脳容量の増大、道具の作成など、全ての人間的指標の前に、先ず直立2足歩行を獲得した」。この命題が進化人類学全体の共通の認識になったのです。
この事実はおそらく今後も覆らないでしょう。
ルーシー以降相次いで発見された、より古い時代の化石によっても更に明確に裏付けられている「事実」です。
科学の世界で「絶対」は禁句だと言うことですが、古い地層で脳容量の増大が先行し、それを追う形で直立2足歩行が発達した、等の化石はおそらく「絶対に」発見されないでしょうね。
ですから少なくとも今現在、ヒトを他の類人猿と区別する指標として、直立2足歩行は「便宜的」でなど無い、と固く信じています。
>歯は、大事ですね、分類学上の手がかりとしても。そういう知見もふまえながら、
歯の重要性については既に私も述べています。
そこでも述べている通り、重要では有るけれども直立2足歩行と同列では無い、と言うことです。
少し考えて頂ければ直ぐ分かることだと思うのですが、歯の形質は食性(食べ物)に依存するでしょう。何を食っていたかは棲息環境に依存します。gbさんが引用してくれた記事内容そのものです。
「サバンナで草の根など土まじりの硬いものを食べたアウストラロピテクスに比べ、ラミダス猿人の臼歯は小さく、エナメル質は薄かった。地上と樹上をともに生活圏とし、開けた森の中で果実やキノコ、昆虫など柔らかい物を食べたらしい」
ここでもやはり移動方法とそれに伴う棲息環境が先行するでしょう。その逆では有りません。木の上で先ず歯だけが変化し、それに合わせて移動方法が変わることは「絶対」無い筈です。
実はジョハンソンがルーシーを見つけた1974年、オロリン・ツゲネンシス発見者の一人、マーティン・ピクフォード(当時大学院生)が、ルーシーよりも2倍も古い1本の大臼歯を発見しています。そしてその歯はネイチャーにも掲載されました。
しかしルーシーの陰で、その歯は一般マスコミからは殆ど無視されました。
前出の「最初のヒト」の中で著者のアン・ギボンズは「いかに古かろうと、たった1本の大臼歯は、部分骨格と比べれば、取るに足りない1かけらだった」と述べています。
ピクフォード自身こう述懐しています。
「私は、いつも言っていたのです。その歯はヒト科のもので、ルーシーの倍も古いんだ、と。でも、その歯は、大した関心を呼びませんでしたね」と。
若しそれが歯でなく、大腿骨の1本だったら、多分様相は全く違っていたでしょう。何しろ古さが古さですから。
歯は重要ですが、やはり直立2足歩行を補完する程度の比重なんですね。
>先入観・思い込みをできる限り排しながら、きちんと確認できる事実から説明を組み立ててるわけで、「二足歩行」だけに頼った明確な線引きは難しい、
ここまでの私の主張を見ても分かって頂けると思うのですが、私は「先入観・思い込み」を先行したつもりは有りません。
なるべく「きちんと確認できる事実から説明を組み立てて」いるつもりですが、若しそうでないと言うところが有りましたら、ご指摘下さい。
そして事実は事実として、なるべく根拠を示しながら、しかし同時に自分の見解も正面から述べて来たつもりです。自分の見解も述べずに、ただ他人の批判や揚げ足取りだけをするのはフェアじゃないと、私は思っているところです。
その場合、自分の見解の裏付けとなる「事実関係」について、相手からの批判があり、それが不当だと思えばそれは争います。
そしてそれは「事実」そのものによって、比較的容易に決着が付くものです。
しかし、それぞれの個人的見解は有る程度自由でいいと思っています。「見解の相違は相違として」とは、私の口癖でも有りますからね。ましてNet上の掲示板では。
出来れば事実関係を共有しながら、その上でお互いの見解を認めつつ、相違をすり合わせればいいんじゃないですか。
>そもそもホモ属についての仮説であったサバンナ説も含め、容易ではないけれども、様々な仮説をたたかわせること、それが科学の営為ってもんだと思いますけどね
一般論としては全くその通りなんでしょうけど、現時点での「確認できる事実から」明確に否定できる仮説は、仮にどれ程権威の有った仮説で有れ、排除して新しい知的到達に立った前向きな議論をすること、「それが科学の営為ってもんだと思いますけどね」。
700万年前に「なにが有ったか」を特定するのは非常に難しい。しかし観察事実から「有り得ないこと」を指摘することは出来ます。
440万年前のアルディと、サバンナは両立しない。まして600万年前のオロリン、700万年前のサヘラントロプスはなおさらです。
今回のホワイト達の発表より遥か以前、つまりサヘラントロプスの発見された2002年当時、「ストーリー提唱者」のイヴ・コバン自身、自説を撤回していることは既に何度も述べています。
私はこのコバンの科学的誠実さに敬意を表します。
若しコバンが自身の権威と面子にこだわって、言い訳やら補足説明で言い逃れをしようとしていたら、進化人類学における彼の権威そのものが失墜していたでしょう。
併せて上記、ピルビームも立派だと思います。
イヴ・コバンやピルビームと比較する積りは毛頭ないのですが、私も自説が間違っていたと分かったら、その時点で訂正、撤回している積りです。それが後に傷を広げない為の一番の方法だと思うからです。
例えば、宇宙空間における真空で、私は瞬間的にフリーズドライになると考え、そう主張しましたが、snさんに教えて貰い、「目からウロコ」で直ぐに撤回しました。
或いは今回、ヒト遺伝子の一様性を最初のヒトグループと結び付けて理解し、主張しましたが、これもsnさんからの指摘で、直ぐ撤回しました。
snさん、色々有難うございました。
>P.S.
残念ながら、アクア説は科学の理論として認められてないんですね。
科学的方法のまな板にのるだけの証拠がないから、ですね。
この辺は「見解の相違」にしてもいいのですが、今まで「アクア説」が主張される時、一番の壁となって来たのは「サバンナ説」「イーストサイド・ストーリー」なんですね。
その他の、ある程度筋の通った「説」は、アフリカの地質学的歴史を考えても、そんなに想定は出来ないし、事実私の知る限り有りません。今回「森林説」が、昔の名前で出てきましたけどね。
その「サバンナ説」「ストーリー」の破綻が確定した今、私は相対的にアクア説の位置づけは上がったと思っています。
ルーシーも、ワニやサカナの化石とともに出土しています。サヘラントロプスもそうです。
ただ今まで「タフォノミック・バイアス」つまり、化石は堆積層で見つかるのが普通で、水を想定させるものは考慮に入れないように、と言うことで敢えて無視されて来た経過が有ります。
繰り返し述べているように、サヘラントロプス発見者のブルネは、その棲息環境としてオカバンゴのような湿地帯を想定しています。
私はアクア説の伝道者でも何でもないので、他人がどのような「説」を採ろうと「それはそれでいいんじゃないの」と思うのですが、ただ今回のホワイト達の発 表を受けて、若し今後、人類のルーツに「科学的に」言及しようとしたら、誰もが否応なく次の問題に正面から向き合わざるを得なくなるでしょう。
- 森の中での直立2足歩行獲得のメカニズムを説明できるか
- サバンナ以外の、森でないところでの要因を探すか
ですからgbさんご自身、「科学的方法のまな板にのる」仮説の提示をして頂くのが一番だと思う次第です。
ahさん、gbさんへのコメントが先行しました。
近いうちに。
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