進化論掲示板討論ログの最近のブログ記事

既に撤退をした某掲示板で、私の「文明論」に対し、次のような反論?、批判が載った。
人間の文化・文明、道具、及び、他の動物と人間を考える上で格好の素材だとも言えるので、これを批判する形で「人間の本質」論を述べて見よう。

 

>ヒトが今築いた文明はヒトの身体的特徴を反映したものなのは当然でしょうね。
ヒトとは違う身体的特徴を備えた生物なら、「仮に文明を築いたとしても」ヒトとはどこか違うものになる可能性が高いでしょう。
>ヒトの築いたような文明のみを文明と呼び、そのような文明を持つものをヒトと呼ぶならば、文明はヒトだけのものであり、ヒトの身体的特徴は全て、文明に必須です。

taさん、一部mnさん

静かに退場出来るとは思っていませんでしたが、議論の内容は兎も角、誤解による批判が有りますので、その点だけ弁明させて頂きます。議論の中身には立ち入りません。
退場宣言した後、面目次第も有りませんが、残務処理と言った感じで。

 

潮時

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>サイコロを10回振ったとしますね。
その結果、順に1 4 6 5 6 1 1 5 1 1と言う目が出たとしましょう。
「何故"1 4 6 5 6 1 1 5 1 1"と言う目だけが出たのですか、その理由とプロセスを説明して下さい」と言う問いは妥当でしょうか。

私も偶然を否定はしませんよ。
そもそも直立二足歩行も、おそらく環境の偶然(水で有るかなんで有るか?)によるものでしょうからね。進化のキッカケなんてみんなそんなもんでしょう。
taさんとはこの点でいつも行き違うのですが、出発点から考え始めたら確かにサイコロを振ってすごろくをするようなものでしょう。私も「700万年前に戻ってもう一度やり直しても、ここに人間は(絶対に)居ないと思う」と言っている訳です。

mnさん

随分又昔のログを探して来て頂きましたね。大変だったでしょう。お疲れ様。
今読み返してみても、表現がチョッと青い程度でそこに何ら問題を感じませんが。

>あなたの発言は、(以下はほんの一例ですが)最大どころか「ものすごく特別」で「普通ではありえない」「異常なことだ」と、力説しまくっていますよ。(笑)

「直立が最大条件だ!」なんて、そんな雑な言い方はしていないけれども、何百万だか何千万だかの動物種の中で、唯一ヒトだけだったら、やっぱり「ものすご く特別」だし、そのつけを今でも、腰痛や痔、ヘルニア、メスの難産と言う形で支払っている訳で、「普通ではありえない」「異常なことだ」には間違いない。
それは私だけが言っているのでなく、引用して頂いた、C・O・ラヴジョイ、スティーヴン・ジェイ・グールド、ジョン・ネイピア、F・ウッド・ジョーンズなど、著名な進化生物学者が一様に認めていることです(引用に感謝します)。
解剖学者の遠藤 秀紀さんも「有り得ない設計ミスだ」との言い方をしているし。

どこか問題が有りますか?

dmさん

>雄さんの引用先でも、人間・人類・ヒトをヒト亜科と同一視した表現をしているのは定説とは言えません。好意的に見れば不注意。ヒト亜科を「ヒト」 と表現するのは普通の用法ですが、読む方で誤解することもある。いや大脳がちょっと小さいからと言って同じ直立二足歩行種族であるアウストラロピテクスを 差別すべきじゃないという心がけは立派ですけど(^_^)
>そして今までの雄さんの主張は、人間・人類・ヒトをヒト亜科と同一視しているように見えるのです。そこで改めて明確にしてほしいのですが、

「ヒト=ヒト亜科」を定説と言った覚えは無いのですが、「定説では無い」「不注意」と言われていますので、この点は繰り返しdmさんと行き違いになっている問題でも有り、議論の前提になることでも有り、明確にしておきましょう。
理屈っぽく、相変わらず長くなりますが.........。

 

>たとえばネコという分類上の名称があり
ネコ目という実際の分類上の名称がありますがネコ目の動物はネコという種と同じグループであるというだけでネコではありませんしネコ目の動物全体を指してネコと呼ぶこともありませんよ。
そうじゃないと「ネコ目イヌ科イヌ」はネコの一種になってしまいますし。

その点は了解しました。
何れにしても私からすれば、議論の焦点は「分類学」では無かった、と言うことで。

>【議論の過程においてお互いが指し示すものに齟齬があってはいけないので共通のものを指し示す基準として(現在使われている)分類を使おう】という提案だと思われます。

dmさんの立場と言うか見解は、それはそれで受け入れています。
ただ、私の見解はこうなので、それは変更できないし、認めて欲しい、と言うことです。

なお「(現在使われている)分類を使おう」との件については、「ヒト」を広義の意味で使っているケースが、少なくとも進化人類学上では多数派だと思いますよ。
本の題名からしてそうです。又系統樹では殆どそう言う表現です。

どちらも現実に認められているし、使われている訳で.........、

>>お互いの「ヒト」解釈、視点を確認さえ出来れば、議論が出来ないことも無いと思っていますので、この点は了解して欲しいと思います。

この立場で問題は無いと思っていますが。

    

 

>「直立が最大条件だ!」といくら気張ったてみたところで、分類学上ヒトとサルのほんの僅かな差の中の「最大」でしかないと・・・リンダ思っちゃうの♪

相変わらずですねぇ。
「直立が最大条件だ!」なんて、そんな雑な言い方はしていないのに。

 

mkさん、お久しぶり。

>「ヒト亜科」というのは部分名称ではありませんよ。
○○亜科とは(「亜科」に限らず「種」よりも大きな分類群は)、あるグループ(複数の種の集まり)の総称です。

例えば「ネコ」と言う分類上の名称が有り、「ネコ亜科」と言う名称が有ったとして、やはり全体を表わすのは「ネコ」だと思うのですが.........、

まあしかし、私も「"言わば"部分名称で呼び」、としている訳で、何れにしても「分類学」に縛られる形でヒトの始まりとその進化を理解するのは本末転倒で有ろう、と言う私の考えに変更は有りません。

これを他人に押し付けるつもりは有りませんが。

wjさん

>>そしてこれは私だけの主張で無く、現代進化人類学の(殆ど)定説ですよ。

>とのことですが、...ごめんなさい、wjにはどうも素直に信じられないのですよ。いえ、wjの進化人類学に関する知識は雄さんにはとても及びません。それは素直に認めます。しかしどうしても、この主張は論理的におかしい気がしてしまう。
>具体的に書名、著者名などを挙げて頂けると助かります。直接引用していただけると、手間が省けてさらに嬉しいですけど...。

 

gbさん

>生物についての理論を「社会」に当てはめたのが社会ダーウィニズムというのは、間違い。
優勝劣敗という思想がまずあって、利用しただけ。

 

>>人間社会の様々な現象を、進化生物学の法則で説明することは困難だと思っています。それをやったのが「社会ダーウィニズム」です。

...と言うことで、人間社会と言う階層を強調する文脈の中での、1フレーズですからね。
いつも「生物についての理論を『恣意的に』社会に当てはめたのが社会ダーウィニズム」と言う表現を使っている筈です。
「ダーウィン」と言う言葉が使われていることを見ても、生物進化の法則と無関係に生まれた概念とは、私には思えませんが。

 

RE 速報

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「約3万年前に絶滅した旧人「ネアンデルタール人」のゲノム(全遺伝情報)を骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されると の研究結果をドイツのマックス・プランク進化人類学研究所や米バイオ企業などの国際チームが7日付の米科学誌サイエンスに発表した。」

この件は私も新聞情報で確認済みでしたが、このジャンルでは新発見が相次いでいて、本当に油断が出来ません。

dmさん

>>生物進化の歴史にも色々な画期・飛躍が有ります。シアノバクテリアによる酸素の放出と細胞内共生、カンブリア爆発、恐竜絶滅等など。これはこれで重要な研究対象でしょう(雄)。

>まさにその通り。真核生物のステージ、多細胞のステージ、と色々あります。これら幾多のステージの中で、自己複製分子のステージや直立二足歩行のステージを取り出して特別視するのは、やはり「サイエンスとは関係あるけどちょっと異なる思想の営為」でしょうね。

 

直立二足歩行そのものは「生物としての連続、純粋に生物学的な現象」だと、何度も述べている筈ですし、世界の階層性は、私の「思想の営為」として、頭の中 で紡ぎだした(gbさんの表現)もの等ではなく、私の存在とは関係の無い、客観的事実だと思っていますが、それは兎も角として.........、
2つ程、具体的な質問をさせて頂きます。

 

mnさん

議論が分散するし、私も大勢相手の論争はもう御免蒙りたいところなので、できたらdmさんに絞って議論したかったのすが.........、

 

>直立二足歩行こそが! これこそが! 全てはそこから!・・を過去さんざん主張してもいますね。
それに対しての意見なのですよ。このことは『何度も述べている筈ですし』

その通りですよ。
「直立二足歩行」無しには道具も、おそらく音声言語も、従って概念的思考も高度な文明社会も有り得なかった。だから「全てはそこから」です。
そしてこれは私だけの主張で無く、現代進化人類学の(殆ど)定説ですよ。関連書籍をチョッと見て頂ければ直ぐ確認できる筈です。
何よりmnさん自身、身をもって、音声言語と直立二足歩行との切り離せない関係を、わざわざカラオケで実証してくれたばかりじゃないですか。自分の検証に自信を持ちましょう。

 

wjさん、taさん

>wjは所詮門外漢の素人ですから、上のふたつの仮説・観察が正しいかどうかまでは、とある論文のアブストラクト読んだくらいでは断定はしま せん。しかしいくらその筋の専門家と目される人が書いたからといって、一般啓蒙書やネットの記述だけを読んで何が現在主流の学説かを判断するのもどうかと 思います。なにせ本を書いている学者と言っても、ぴんきりですからね。遠藤 秀紀さんの「人体 失敗の進化史」は読んでもいないので評価はしませんが、喉頭の降下の記述に関してはどうだかなーって思ってしまいます。
>雄さんが与えられた前提に対し、論理的にどう考えるかお聞きしたかったのですが...。あくまで、

「所詮門外漢の素人」と言うことでは私も同じです。
ですから逆に、尚更のことですが、「専門家」が著した書籍にそう書いて有れば「そうなんだろうな」とは思います。断定はしませんが自分なりの判断の材料にはします。それしか判断の材料は私にはない訳で(ネットは、こう言うところに書き込む際等の確認用)。

RE wjさん

> 遺伝的形質である「一生の間のプログラミングとして」喉頭の降下があるのなら、現生人類の固体に起きるそれに重力は関与していないということになります。 さらに、直立二足歩行を行わない霊長類にもそれがみられるとすれば、喉頭の降下は直立二足歩行と直接的に関係しないと言うことでよろしいですか?

これ以上立ち入って質問を頂いても、率直に言って「私も何とも言えません」状態です。
引用された論文は大変参考になりました。有難うございます。

 

引用したサイトについて、その全文が正しいと言う積りは有りません。取りあえずの問題点について、「例えば.........」として、記されている部分を引用したまでです。
責任が負えるのは私が書いた自分の文章部分だけです。悪しからず。

と言うことで.........、

 

>ネアンデルタール人の喉頭は下がっていなかったとされていると思うのですが、このあたりの説明があったらやっぱり見てみたい。
重力説だと、現生人類との違いを説明することは苦しいと思うのですが。(taさん)
>仮に生まれた時から寝たきりで育った人間は、咽頭が十分に降下せず、言葉を発する上で障害が残る...。なんて観察事実があれば、納得できる説明のような気がします。(wjさん)

私は旧知のこととして、或る程度確定的に書き込みましたが、この件に関しては確かに色々問題が有りそうです。

 

mnさん

私は「進化生物学の枠内」で説明するのは難しい、と一貫して言っては来ましたが、その反対概念として「人類学の枠」を想定したことは一度も有りませんよ。
私は「人類学」も概ね生物学的な枠内だと思っていますから。ヒトとして。
「進化人類学」も半ばそう言う意味で使っていた筈ですけど。文化や社会も含みますけどね。

私が「生物としての連続」に対置しているのは社会です。「社会への飛躍」です。これも一貫しています。
ですから「誤読を前提とした批判」だと言っているのです。
従って「以下、雄さんの発言に沿って意見させて頂きます(順不動)」の内容は、殆ど意味の無いことになります。

 

【言い訳と想定の範囲】

私の文章が「中々理解してもらえ(てい)ない」ことは事実なので、その点は認めています。「心しましょう」。
同時にそのことは、「クロスオーバーでの、まとめてお答え-1」の冒頭でも述べた通り、一番最初からの、「想定の範囲」だったことも確かです。

「人間の特殊性」「人間だけ特別だ」「質的に異なる」と言った主張は、この板だけでなく進化生物学の枠内で、ある種、禁句の趣が有ります。曰く「全ての生物はそれぞれに進化の頂点に有り、その点で同等であり、人間だけが特殊なのではない」と。
事実、最初の頃はそう言う趣旨の批判を方々から浴びました。

    

 

追伸

>>「埋められない溝」との表現と、「質的に異なる」とは微妙にニュアンスが違って、私は前者の捉え方はしていないのですが、それはそれとして.........、

>おお、その微妙なニュアンスの違いこそ重要かも。私にもその違いがわかりませんので、雄さんは「埋められない溝」と考えていると解釈していました。是非、その違いが知りたいです。

微妙なニュアンスの違い、ですから微妙でしか無いのですが、「埋められない溝」だと、なんとなく「原理的な違い」、と言う感じがします。
私は原理的に否定をしている訳ではなく、元々は同じ共通祖先から分岐した後、「質的な違い」に至る迄の、長ーい、量的な経過や結果としての違いを見ているので、それが「生物としての連続」と「群れから社会への飛躍」に至る全経過で有る訳です。

今となっては殆ど「埋められない溝」になっていますけどね。

gbさん
記事、見ました。
松沢哲郎さんは好きな学者だし(お会いしたことは有りませんが)、尊敬していますので、松沢さんが「こうだろう」と言えば、「おそらくそうなんだろうな」と思いたくなるのですが、記事の範囲だけでは何か予測めいたことは読み取れませんでした。

ただどうなんですかねぇ。チンプに限らず、意識内容を推測するのは難しくて、結局行動や、ヒト祖先の場合、残された石器や「芸術作品」によって判断するしかないのですが.........。
確実に言えることは、

  • 仮にこの行動が、子供が死んだことを理解した上でのことであって、人間の弔いの起源に若し繋がるとしても、このチンプの意識内容は今の人間のそれとは、遠く隔たっている筈だと言うこと。類人猿や一部のトリの「道具」、或いは「コトバ」と比較してさえ、更により原始的で未発達な段階で有る筈だ、と言うこと。
  • 同じく、子供が死んだことを理解した上での行動だとすれば、これは一つの「文化」ですね。チンパンジーと言う種固有の生物学的な、つまりは遺伝子に密着した行動では無い。

ネアンデルタールの埋葬などとの関連で、色々言うことは有るのですが、多分これがgbさんの主題では無い筈なので、次の問題。

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