>雄さんのコメントを読んでいると、科学万能主義を主張しているような感じを受けるけど、錯覚でしょうかね。
錯覚では有りません。
科学によって直ぐに全てが解決できると思うほどノー天気でいる訳では無いし、科学の悪用も有るので、「科学万能主義」と言う呼び方が適切だとは思いませんが、真理への接近の道が有るとすれば、それは科学だろうと思っています。
>確かに「異性愛」に限定すれば科学で研究は可能でしょうし、進化論に結び付けての説明もできるかもしれません。
...ですよね。
でもこの板での一貫した論調は「愛は自然科学的に存在するか?」であり、「存在しない」と言う見解が主流のようでした。
そうではないだろう、と言うのが私の主張であって、それによって『異性愛』に限定しただけにせよ「科学で研究は可能」と思って頂だけたら嬉しいことです。一角が崩れた訳ですね。
>人間に限っても「愛」には「異性愛」以外にも「同性愛」、「無性愛」、「親子愛」、「隣人愛」、「人類愛」、、、他にもあるけど、これらの「愛」は一般に「愛」として定義されています。
私は「愛の感情」の起源について述べています。その点で若干問題意識のすれ違いが有るのだろうと思います。
確かにegさんが述べておられるように「愛」はたくさん有りますね。しかしいずれにしてもこう言った感情は人類の長い進化の過程の、どこかで獲得し発達したものである筈です。
egさんが挙げられた、それぞれの、似たような内容を持つ感情が、ヒトの歴史の中で全く独立に、平行してヒトの意識に発生してそれぞれ別個に発達し、それに対してたまたま「愛」と言う同じ語彙が割り振られたとは到底考えられません。
そ うではなくて、ヒトが生き残る上でののっぴきならない事情によって、先ず最初に何らかの、そう言った漠然とした感情がヒトに芽生え、それが適応上有利で あった為選択され、定着・発達するに従い、次第に輪郭のハッキリした感情となり、いつの頃かその感情に「愛」と言う語彙が与えられたのでしょう。
その感情を内包とし「愛」と言う語によって外延とされる、「愛」の概念が次第に形成されてきたのだと思います。
そしてその過程で、同じような内容をもつ様々な、漠然とした意識内容が、先行していた「愛」の概念に寄りかかる形で輪郭化され、同じ語で呼ばれるようになったのでしょう。それがe1gさんが挙げられた様々な「愛」のバリエーションだったのでしょうね。
私はそう思います。
問題はその最初の「愛」の感情を生み出した「のっぴきならない事情」とはなんだったか? と言うことです。それは適応度と直結したもので有る筈です。
ヒ トが置かれた進化の過程で、我々の遥か祖先のオジイチャンが、パートナーと一緒に子育てすると言う行動を、若し発達させることがなかったら、その行動を強化するために「愛」の感情を発達させることがなかったら、今の我々はまず存在しなかったでしょう。とっくに人類は絶滅していたか、少なくとも今の複雑な社会を築くことは有り得なかったでしょう。
「同性愛」「無性愛」「親子愛」「隣人愛」「人類愛」「自己愛」「地球への愛」などは、その後に発達させても充分間に合うことだったでしょう。
私はそう思うのです。
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