>史的唯物論の原点とも言うべき 原始共同体なるものが
マルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』の中で、当初彼らは、「すべてこ れまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」と述べた訳ですが、その後の研究によって、有史以前に階級の無い「原始共同体」と呼ばれる社会状態が有ったこ とが判明、その知見を加味してエンゲルスが、「これまでのすペての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であった」と修正、定式化するようになっ た訳です。
ですから原始共同体を特に、「史的唯物論の原点」と言う訳では有りません。
マルクスとエンゲルスは目の前の資本主義の研究から、そこに「階級闘争」を見出し、その知見で人間の歴史を俯瞰し、「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」との理解に達した訳で、史的唯物論の原点と言うなら、「資本主義」と言うべきでしょう。
マルクスの『資本論』も資本主義分析の書で有って、社会主義の解説書では有りませんから。
ただ『原始共同体=原始共産制社会』を初めて、人類史の一部として定式化したのは、マルクスでありエンゲルスで有ると言って差し支えないかも知れません。
700万年とも言われる長い人類の歴史。
およそ20万年前の、現生人類と種としては同じホモ・サピエンスの登場。
4万5千年程前に完成したとされる、進化のビッグバンとも言える「行動の現代化」。
これらどの時点を「猿の『群れ』から人間『社会』への移行」と見るか、これは意見の相違が有るでしょう。
いずれにしても言えることとして、人間はその歴史の大半を『原始共同体=原始共産制社会』と呼ばれる状態で過ごして来たことだけは確かです。
世界4大文明としてエジプトやメソポタミアで、奴隷制を基礎とする階級社会が人間の歴史に登場してくるのがおよそ5千年前辺りですから。
かと言ってその原始共産制社会を、マルクスやエンゲルスが、或いは史的唯物論が、なにか「牧歌的」な印象で捉えていると言う訳では全く有りませんし、上記のように「史的唯物論の原点」と考えている訳でも有りません。
>猿から人間に進化したというのですから その社会も猿社会からの進化の過程に無ければなりません。
>突如として牧歌的な社会が現れるとしたならば、その根拠がなければなりません。
…と言うご指摘は、ですから的外れです。
そ もそも弁証法のキモは、「連関」と「発展」の2本柱です。この弁証法的見地で歴史を概括している史的唯物論からすれば、原始共産制社会から奴隷制社会への 移行も、やはり発展なのであって、実際、奴隷制社会に先立つ原始共産制社会が、奴隷制や封建制と比較してさえ、「牧歌的」で有ったなどとは想定していませ ん。
そう言う意味で、T女史による原始共同体のスケッチそのものは、私も同意する点が有ります。
「原始共産制社会」を規定している一番の要因は、生産力の低さです。
群れの成員が一日中必死で働いても(男は狩猟、女は植物採集が主だったでしょう)、カツカツ喰えるかどうか、と言う低い生産力の中で、「搾取」は有り得ません。
常に飢えと隣り合わせのギリギリの状況で、誰かがその生産を搾取したら、搾取された側は生きて行けなくなり、社会(群れ)は存続できなくなります。それでなくても不猟の時は餓死を免れなかったでしょうから。
極端に低い生産力と運に頼る状況で、搾取と私有財産、それを土台にした階級システムは成り立ち得ないのです。
加えて生産物の備蓄が出来なかったことも、搾取と私有財産の形成を有り得ないものとしたでしょう。
狩猟の獲物は、仮にそれを搾取したとして後に残せないし、獲物を追っての移動生活で、私有財産形成は考えられません。
低い生産力の中で、原始共産制社会は歴史の必然だったのであり、「猿社会から………突如として牧歌的な社会が現れる………」等と、史的唯物論が想定している訳では、決して有りません。
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