原始共産制のスケッチ-2

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>搾取の無い社会?
そんなの想像できませんね。
ボスが先に上手いものを食ってたことは容易に想像される。
>原始時代を美化したのはユダヤ≒キリスト教の、あるいはギリシャ神話による観念が淵源でしょう。

No-49で私は……、

「この弁証法的見地で歴史を概括している史的唯物論からすれば、原始共産制社会から奴隷制社会への移行も、やはり発展なのであって、実際、奴隷制社会に先立つ原始共産制社会が、奴隷制や封建制と比較してさえ、『牧歌的』で有ったなどとは想定していません」
「そう言う意味で、T女史による原始共同体のスケッチそのものは、私も同意する点が有ります」

…と、書いておきました。
マルクスにしてもエンゲルスにしても、「原始時代を美化」している訳では決してないし、
Nさんご指摘の「ボス」「暴力」「共同体と戦争」等を否定している訳でも、全く有りません。
あくまでも社会科学的な分析・呼称です(マルクスは当初「アジア的」との言い方をしていたようです)。

「マルクスと科学、現代」と言うトピですから、ここで後付けながら『搾取』について、社会科学事典(新日本出版社)から引用しておきます。

 

【搾取】
階級社会で、主要な生産手段を私的に所有している少数の人々が、その所有に基づいて、生産手段を所有しない多数の直接的生産者の労働の成果の一定部分を自分のものにすること(以下略)。

自 然の一部として自然環境に依存し、豊猟と不猟、全体として極端に低い生産性、それを備蓄できない状況、獲物を求めての移動生活の中で、階級を基礎づける私 有財産や搾取は成り立ち得ず、(社会科学的な意味での)階級そのものが成立出来なかった社会(群れ)を指している訳です。
(生物学的な)序列・階層を否定している訳でも有りません。


>ボス猿が堂々と他の猿の餌を横取りしている。

…と言う状況は、動物園のサル山に限らず、原始時代のヒトの間でも当然有ったでしょう。
動物園のボス猿の行動を見て、普通(日用会話としても)「搾取」と言わないのと同じく、原始時代のヒト社会の中でのそれを、私は「搾取」から除外して説明した訳です。



No-48でT女史から、「猿から人間に進化したというのですから その社会も猿社会からの進化の過程に無ければなりません。」とのご指摘を頂いています。
この指摘は全くその通りでしょうね。
マルクスやエンゲルスの時代には未だ殆ど分からなかった、初期人類の生態やその発達経過が今、相当詳細に記述出来るようになっています。

その辺も踏まえながら少しばかり、私なりの「原始共産制社会」のスケッチをしてみたいと思います。

 

No-48でT女史から、そして関連してNo-50でNさんから、「原始共同体=原始共産制社会」への疑問、批判が寄せられています。

マ ルクス、エンゲルス等、「社会主義・共産主義」陣営の、いわば頭目が書いた書籍の中で、その「共産」のフレーズを使っての『原始共産制社会』の呼称・表現 が、何となく読む人をして、原始時代への美化、愛着、郷愁、牧歌的雰囲気を想定しているかの如く読ませるのかも知れません。
No-49でも述べたことですが、呼称は呼称として、マルクスもエンゲルスもそこに特別な思い入れが有ってのことでは無いでしょう。しかし人類史の大半で、「原始共産制」と呼ばれる状態が有ったことは確かです。


ヒ トはおよそ700万年前、チンパンジーやボノボとの共通祖先から分岐したとされています。700万年前は従ってチンパンジーなどと全く同じ動物種だった訳 で、分岐した後も当然彼らの生活様式を継承していた筈です。No-48でのT女史ご指摘の通りです。
メスをめぐってのオス同士の争い、ボスの座をめぐる争い、群れ同士のいざこざ等、分岐した後も当然有った筈です。

分岐後どころか、つい最近までニューギニアの原住民部族では、部族同士の頻繁な血生臭い争いが確認されています。数字は忘れましたが成人男子の相当の割合が、この出入りで死んだり負傷しています。
この争いの動機の一つとしてSexが挙げられます。要するに勇者はモテルのですね。それに相手部族の女を、戦利品にしたのでしょう。
そして報復を恐れて相手部族(男)を皆殺しにするのだと言っていました(昔読んだ本なので記憶が曖昧です。出典も思い出せません。ジャレッド・ダイヤモンドだったかな?)。

ニューギニアの原住民も種としては我々と全く同じホモ・サピエンス、それも「行動の現代性」を備えた、その意味でも我々と全く同じ人間です(「行動の現代性」以前のホモ・サピエンスを「解剖学的現代性」と呼んでいます)。
「出アフリカ(5万年前とも10万年前とも、研究によって違うが)」によって、地球上に拡散した、おそらく少数の祖先たちの、我々と同じその子孫です(アフリカ単一起源説)。
彼らの子供を、赤ん坊の時から文明社会の中で育てれば、立派に現代文明に適応できます。解剖学的現代性だけのヒトやネアンデルタール人ではそうは行かないでしょう。


今現在、ニューギニアの彼らがどんな生活をしているのか知りませんが、現代文明に触れる前のホンの最近まで、彼らは殆ど石器時代と同じ生活様式でした。
経済システムとしては、正に「原始共産制」社会と言っていいでしょう。そこに奴隷はいないし、封建的土地貸借も無いし、ましてや資本主義の萌芽さえありません。

何故奴隷がいないか?
それは彼らの生活状況を考えれば分かります。
男 たちの、不安定で実入りの少ない狩猟と、女たちの植物採取と言う生活の中で、仮に奴隷として働かせてもその奴隷が喰っておしまい。搾取すべき剰余生産物等 何処にも残らないと言う程度の生産力しか無かった訳です。下手をすると女達が採取してきた植物性食物を分け与えて、奴隷を養うようなことになりかねませ ん。

奴隷の最初の供給源は戦勝捕虜だった筈ですが、こう言う状況の中で捕虜は考えられません。相手を皆殺しにするか、或いは稀に、同等の仲間として部族の補充に当てることになったでしょう。時には殺した後喰ったかも知れません。

同じ部族内で、ボス的な存在や有る程度の階層は有ったでしょう。しかしこれも極端な分配の不平等が有れば、下層のクラスは生きて行けなくなり部族の存続が危うくなります。その辺は正に、サル山のサル程度の範囲で落ち着くと思われます。
おそらく原始時代、我々の祖先は概ねこう言った状況で長く暮らして来たのではないでしょうか。


以上、ザッとしたスケッチでしたが、「原始共同体=原始共産制社会」で言われる「共産制」「平等性」は、飢餓と隣り合わせの低生産力に照応した、必然的なものだった筈です。
ただ一つ言えることとして、この原始共産制から脱して、奴隷制、封建制、資本主義と続いて来た、搾取と被搾取、階級社会は、人間の歴史全体からすればホンの一時だし、それが人間の本質だとは言えないことです。人類の過去の歴史の大半は階級の無い社会だった訳です。

史的唯物論が展望していることは、今の階級社会を乗り越え、資本主義によって達成された巨大な生産力を社会全体に開放し、法のもとに平等の「民主主義」を更に発展させた、真に豊かな平等・共同、計画経済社会でしょう。

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このページは、雄が2011年3月 5日 14:30に書いたブログ記事です。

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