毛と神

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RE gbさん

>雄さん、その場合は、神の姿は毛がふさふさしてたでしょうね。

いやいや、私が言いたかったのは、若し毛がフサフサ状態だったら、人が「神を創造」する前にもう少し本来の祖先たち、チンパンジー等との連想が考えられたのではないか、と。

チンプとヒトとの、遺伝子上の違いが1%とか2%とか言われますが、私は生物学的な違いはそんなもんだと思っています(違いは社会的なものだ、と言うのが私の持論ですからね)。
ヒトにフサフサした毛を付けたら、外見上はチンプとさほど違わないんじゃないか、と。

 

    

 

原始時代は生活そのものが、類人猿たちとそれ程変わっていた訳じゃないでしょうし、外見の類似性が強ければ、祖先たちも類人猿たちとの血縁上の繋がりを自然なものとして受け入れて来たのではないか、と。

そう言う意識的な流れの中で「旧約聖書・創世記の『神は自分にかたどって人を作り.........』が成り立っていたかどうか」が、疑問だと、そう言う意味だった訳です。
少なくとも、1859年、オックスフォードの討論集会で、ダーウィンのブルドックを自任していたトマス・ハクスリーに対する、ウィルバーフォース主教の「...ならばあなたの祖先というサルは、母方ですかそれとも父方ですか。」との皮肉は出にくかったと思っています。

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このページは、雄が2010年3月12日 13:17に書いたブログ記事です。

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