RE [石器」「文化」等

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skさん

>表題での話しについてなにを言おうとされているのか、申し訳ないのですがよくわかりません。

すいません。
無駄に長いばかりで言いたいことが分からない、ってのは私の文章のせいで、skさんの罪では有りません。

 

    

 

要するに私が言いたかったことは......、

  • 道具の使用は人間以外にも広く見られる。しかし他の動物の「道具」と人間の道具は質的な乖離が有る。
  • そのことの根拠づけとして、長い人類史(生物の歴史からすれば瞬時ですが)の中でも、つい最近の、それも脳容量で現代人を凌ぐネアンデルタールでさえ、 その石器は固定したまま進化が無かった。それは思考の内容とその基礎となる言語の未発達に照応したもの、一言で言えば「認知的流動性」の欠如だ。
  • まして他の動物の、おそらく偶発的に獲得したであろう「道具」が、時間さえ与えられれば自然に発達すると考えるのは、私には無理が有る。

...と言うことでした。

曲がりなりにも直立二足歩行に踏み出し、両手が歩行から解放された初期ホモ属が、その担い手の中心となったオルドヴァイ石器でも、100万年の長きに渡って殆ど同じ状態で続いた訳ですからね。

道具とことばに囲まれた我々は、ややもするとそれが当たり前のように考えがちですが、それは長ーい助走期間を経てのつい最近のことだし、そもそもそのこと自体が動物全体からすれば特殊なことだ、と言うのが私の主張でした。

 

>ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違い等について非常に興味があります。

実は私の専らの関心は「最初のヒト」で、ネアンデルタールやホモ・サピエンスについて、率直なところあまり関心が有りませんでした。ですから詳しくありません。
進化人類学全体に言えることでしょうが、この分野でも日進月歩と言うか、昨日の定説が今日にはくつがえっている、と言う状況のようです。

有名なところでは例の「シャニダール洞窟の埋葬遺跡」が有りますね。
大量の花粉粒とともに発掘され、「最初に花を愛でた人々」とともに「死者に花を手向けた高度な精神性」の証拠と、一時多いに賑わったものです。
しかし前にも書いたように、類似例が見つからないこと、花粉は風で運ばれたか作業員について来たものではないか、など今では懐疑的に見られているようです。
要するに彼らにはそれだけの「抽象的・概念的思考」が無かった筈だ、と言うことが前提となっているのでしょう。

その辺の事情は前回、長々と書いてありますので割愛しますが、ただ埋葬自体は行っていたようですね。そこにどの程度の精神性が込められていたか、単に腐臭を放つ屍を片づけただけなのか、その辺分かりません。

ネアンデルタール人は、言わば人類全体の一番の人気者です。関連書籍も多く出ています。若し関心がお有りでしたら資料にはこと欠かないと思います。ただ「日進月歩」の世界なので、なるべく最近のデータを踏まえたものを。
例えば「歌うネアンデルタール」。

    

 

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このページは、雄が2010年4月10日 14:55に書いたブログ記事です。

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