wjさん、taさん
>wjは所詮門外漢の素人ですから、上のふたつの仮説・観察が正しいかどうかまでは、とある論文のアブストラクト読んだくらいでは断定はしま せん。しかしいくらその筋の専門家と目される人が書いたからといって、一般啓蒙書やネットの記述だけを読んで何が現在主流の学説かを判断するのもどうかと 思います。なにせ本を書いている学者と言っても、ぴんきりですからね。遠藤 秀紀さんの「人体 失敗の進化史」は読んでもいないので評価はしませんが、喉頭の降下の記述に関してはどうだかなーって思ってしまいます。
>雄さんが与えられた前提に対し、論理的にどう考えるかお聞きしたかったのですが...。あくまで、
「所詮門外漢の素人」と言うことでは私も同じです。
ですから逆に、尚更のことですが、「専門家」が著した書籍にそう書いて有れば「そうなんだろうな」とは思います。断定はしませんが自分なりの判断の材料にはします。それしか判断の材料は私にはない訳で(ネットは、こう言うところに書き込む際等の確認用)。
それにピンキリとは言っても、選ぶ本さえ間違いなければ、結構最先端の観察や化石発見の知見を踏まえていますよ。
尤もこのジャンルではホントに新しい発見が相次いでいて、発行日を確認しながら読まないといけない、なんてことも有りますけど。
門外漢なりに、或る程度興味を持っている分野についてはそれなりの「自分の見解」と言うものも固まっていて、接する材料についてもやはり無意識にその線に沿った重みづけと言うか、取捨選択をしながら自分に取り込んでしまいますね。それが良いか悪いかは別として。
遠藤 秀紀さんの「ヒトの直立二足歩行はトンデモ無い設計ミスだ」なんかは、多分にその口です。
でもその自分の見解が、他人からの指摘や観察事実で、明らかに「間違い」だと分かった時には、なるべく早くそれを認め「ゴメンナサイ」することにしています。それが結果的に後に傷を残さない、一番の方法だと思ってますので。
間違いと言うことでは有りませんが、今回の件についても......、
>>私は旧知のこととして、或る程度確定的に書き込みましたが、この件に関しては確かに色々問題が有りそうです。
...と言うのが、繰り返しますが今現在のスタンスです。それ以上に立ち入った具体的なことについて、或いは「論理的にどう考えるか」について、「私も何とも言えません」状態な訳です。
実は今まで私の専らの関心は「最初のヒト」でした。
直立二足歩行の起源とか、それがいつ頃誰によって、どう言う契機で、等など。
最近ここでの議論にも触発されて、少しネアンデルタール人だのホモ・サピエンスだのに踏み込んでみました。これが中々面白い。
喉頭の下降問題とは直接関係有りませんが、チョッと面白いな、と思ったことを一点。
一部、taさんの主張とかぶったり、反したりするのですが......、
>ネアンデルタール人は埋葬もしていたようだし、ある程度の知能を発達させていたことは間違いないと思われます。と言うことは、やはりある程度の言語を持っていたのではないでしょうか。(taさん)
「文献によると」ですが、発見されるネアンデルタール人化石に、随分多くの故障者が認められるんですね。
故障しながら何年か生き延びているので、そこに今で言う介護的なことが、その精神性も含めてネアンデルタール人に見られる、と言うことが有るのですが、私が興味を持ったのは、故障者の多さそのものです。
人類史の中で本格的な狩猟を始めたのはホンの最近らしく、大半は死肉あさりだったらしいのですが、ネアンデルタール人が大型獣を狩っていたことは確かなようです。
これは私の仮説に過ぎませんが、故障者の多さは結局その危険な狩りと、音声言語の未発達に照応したものではないか。
ことばが未発達ならチームの連携も取れないし、崖や湿地に追い込んで動きを止める、と言った計画も建てられなかったでしょう。石器も殆ど進化の無いままだったし。
チンプも時折コロブス等を狩って食いますが、仮にチンプがゾウやライオンを本気で狩りをする羽目になったら、多分故障者の続出でしょうね。各々てんでんばらばらで獲物に掛かるしかない。
喉頭の下降と言った解剖学的なことは兎も角、ソフト面における音声言語獲得の契機は、こんな状況で必要に迫られてのことだったんでしょう。
サルたちは通常、新しい経験は身ぶりで伝達されますが、その身ぶりで意思を伝える余裕の無い時、切羽詰まって発した叫び、それが合図の機能を果たし、共同作業の複雑化に伴い、次第に音声によることばも複雑化して言った、と。
解剖学的な何らかの変異に、このソフト面での否応なしの必要性・淘汰圧が絡んでの、ことばの爆発だったんだと思います。
それを中心に担ったのがホモ・サピエンス、それも「行動の現代性」だったんでしょう。多分。
※ 後日(2011/1/8)記
実はこの後mnから、音声言語の決定的重要性に対しての「反論」が書き込まれる。
曰く「狩りの時、黙っていたとしてもそれが特別な障害にはならない、だから雄の言う音声言語の意義は、それ程では無いのではないか」と言った内容。
ホントに呆れ返ってものも言えない。そんな、「黙っている」とかなんとか、そんな矮小化されたレベルで人間の言語を考えているのだろうか。確かに現在の狩猟民の間でも、獲物に接近する場合に「黙って」いる場合が多いだろう。そう云う問題と「言語」そのものが最初から無い状況とはまるで違う。
人間の「言語」は、単なる意志疎通のツールなどと言うに留まらない、人間の思考の手段、或いは思考そのものだと云うのが、言語学の常識だ。
まして私はチンプがゾウやライオンを狩る例まで出して記述しているのに、そう云う比較からでも考えられないのだろうか。
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