潮時

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>サイコロを10回振ったとしますね。
その結果、順に1 4 6 5 6 1 1 5 1 1と言う目が出たとしましょう。
「何故"1 4 6 5 6 1 1 5 1 1"と言う目だけが出たのですか、その理由とプロセスを説明して下さい」と言う問いは妥当でしょうか。

私も偶然を否定はしませんよ。
そもそも直立二足歩行も、おそらく環境の偶然(水で有るかなんで有るか?)によるものでしょうからね。進化のキッカケなんてみんなそんなもんでしょう。
taさんとはこの点でいつも行き違うのですが、出発点から考え始めたら確かにサイコロを振ってすごろくをするようなものでしょう。私も「700万年前に戻ってもう一度やり直しても、ここに人間は(絶対に)居ないと思う」と言っている訳です。

    

 

しかし現に今ここに人間が居ることも確かです。
その現実を踏まえて、何故こうなったかを、偶然も含めて振り返ることは出来ます。結局それが歴史であり生物進化じゃないんでしょうか。
ドーキンスの「祖先の物語」はそう言う視点からの著作だと思いますよ。

taさんが読まれた「歌うネアンデルタール」に添って言えば、体格も脳容量も現代人より大きな彼らが、何故絶滅したか?
それは偶然も有るでしょうが、やはり理由とプロセスを挙げることが出来るでしょう。
スティーブン・ミズンはそれを一言で、「認知的流動性の欠如」と言っているんだと、私は理解しています。

やはりそこにはサイコロの目以上のものが有ると思うし、それを考えるのが科学だと思うのですが。
「現状が考え得る唯一無二の結果」だ等と私も言う積りは有りません。しかしそんなことばっかり言ってたら、そもそもこの掲示板自体、何を書けばいいのか、ってことになりませんか?

 

【質問5】について言えば、類人猿と「同列」で、「これはしょうがないことと潔く認めましょう」と他人に言いながら、片方で「現実の途方もない文明の発展」と言う。その矛盾を質したら、理由とプロセス抜きに(結果論)としてだけの、言葉だけの「社会科学」で済ませたのはmnさんの方です。
その内容、理由とプロセスこそ、裸のサルが人間となった一番のコア、進化人類学そのものだと思うので、それの説明を求めたのですが。

しかしどうもそう言うことは「以前から誰ひとりとして雄さんに賛同しない理由」になるらしい。
私は自分の主張が批判を浴びることは、ディベートである以上有り得ることだと思うし、私の書き込みの大半はそれに対する対応でした。お陰で打たれ強くはなった積りですが。
しかし逆に、私の方から質問をすれば、今度はその内容にクレームが付き、当人からは殆どゼロ回答で叱られる始末。

私もホントーにここに居る意義も、得るものも無くなって来たようです。
mnさんに誘われて再度顔を出し、mnさんに叱られて引っ込む。それも縁でしょう。
又、何かありましたら。それまでごきげんよう。

    

 

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このページは、雄が2010年5月17日 06:36に書いたブログ記事です。

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