今更ながらの、まとめ

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このところ何人かの方々から私の、『連続と飛躍』、主に『飛躍』の部分ついて、疑問・批判・反論などが相次いで寄せられています。

『人間社会への飛躍』については、元々は「人間機械論」へのコメントから始まったことでした。その後延々と、「程度問題」「量から質への転化」を巻き込みながら、正直私もその対応に忙殺されました。
ですから私としては「もう何度も書いて有るじゃないかっ!!」って思いとともに、今ここで又、あの状況を再現しようとは思いません。その気合は今私に有りません。

ただ丁度うまい具合にmnさんが、私の主張展開に沿った枠組みで書き込みをしてくれています(私の主張に同意した、ってことを言う積りは有りませんが)。

...と言うことで、このmnさんの書き込みに沿う形で、繰り返しになりますが少しまとめてみました。上記疑問・批判への回答となるかどうかは分かりませんが。

ただ実は、中々まとまりません。範囲が広いと言うか批判が多岐に渡っていると言うか。
...で、書き終わった分だけ取りあえずアップさせて貰いました。

 

    

 

【直立二足歩行】

>著しく飛躍したヒト社会が、言語、道具、脳ミソの相互的かつ総合的な発達によって成立したことは誰も否定しません。
>それを引き起こしたのが直立歩行であったことも事実でしょうね。
>では、なぜヒトだけが直立歩行をしたのか?
そこに特別な「哲学的意義」を見出したく雄さんは論陣を張っておられるような感じがします。

それは逆ですよ。
私はヒトの「直立二足歩行」は純粋に生物学的な出来事、自然選択によるものだと思っているし、今までもそう主張してきました。それが水の中で始まったか森の中だったかはここで蒸し返しませんが。
石器使用にしても、最初はおそらくゴリラやチンプ、フサオマキザルのそれと同じく偶発的なものだったでしょうし、或いは共通祖先から受け継いだものかも知れない。そしてその状態が初期人類でも長く続いたと思っています。

要するに、「ヒトの最初」に何か特別なサプライズやミラクル、ましてや「哲学的意義」を全く想定してはいません。あくまでも「生物としての連続」から始まったことだと言うのが私の主張です。
人間をヒトとして、他の全ての生物との『連続』・共通性を一番徹底して強調しているのは、多分ここでも私だと思っていますよ。

最新のヒトゲノム解析で、チンパンジー・ボノボ系統とヒト遺伝子の差異は1.23%と出ているようですが、私はこれを充分納得しています。
調節遺伝子やサプライズを想定した書き込みも有ります。実際に有るかどうか私には分かりませんが、そう言う物を特に必要とせず、「連続としてのヒト」で理解しています。

なお近年、ヒトゲノムやチンプ等のゲノムの大要が決定され、その比較が行われているようです。今のところそこに、人間化(ホミニゼーション)を劇的に促した調節遺伝子などは発見されていないようです。
そもそも生物の形態に関わる転写調節遺伝子は、極めて安定で突然変異が少ないのだそうです。要するにその変異は影響があまりにも大きすぎて、致死的な結果をもたらし兼ねないから、と言うことのようです。

 

なお、「雄は直立二足歩行を強調し過ぎではないか」との批判が有ります。

>生物学的に霊長類と他の類を比べれた場合と比較すれば、直立二足歩行の有無なんてのも、所詮程度差問題。雄さんの見解は、どうも直立二足歩行のインパクトを強調しすぎる(wjさん)。

全てのホミニゼーションの前に、先ず「直立二足歩行」が有った、と言うのは、私だけの特異な見解と言うことで無く、化石などの観察に裏付けられた、現代進化人類学全体の共通認識だと思っています。ドーキンス「進化の存在証明」風に言うならば「それは理論では無く事実です」。
人類発祥に関する書籍を、なんでも良いですから見て頂くと、多分間違い無く確認できると思いますよ。

以前は、先ず脳増大・知能発達の変異が先に有って、その知能を使って道具や言語を発達させた、と言う見解が主流だった時代が有りました。そこにつけ込まれる形で起こったのが20世紀最大の科学スキャンダルと言われる「ピルトダウン人」捏造事件です。
その苦い教訓と、その後の化石、石器などから得られる知見で、今は上記見解が定着しています。

直立二足歩行自体は最初に述べたように、自然選択に基づく純粋な生物学的出来ごとです。
霊長類と他の類(例えば鳥類にしても魚類にしても)との解剖学的比較をすれば、wjさん言うように確かに微々たる程度問題に過ぎないでしょう。
しかしそれが、道具作製、音声言語、増大する脳の支持など、その後の全ての人間化の基礎になった訳です。
700万年経た今の結果から言えば、ヒトと類人猿の間に、着目する全てに渡って様々な差を挙げることが出来ます。その出発点が直立二足歩行だったと言うことです。

逆に言えば本格的な直立二足歩行を獲得しなかったゴリラやチンプが、ヒトと生物学的には殆ど同じであるにも関わらず、森の中に留まり、文明を発達させなかった理由の説明にもなります。

※ 地球上に数百万種だか数千万種だかの動物がいて、それぞれ種や属を超えて様々な移動様式を発達させている。例えば「飛行」は、トリ、昆虫、哺乳類、魚類まで。かっては翼竜等も。
この数百万種だか数千万種の中で「直立二足歩行」はヒト1種だけ。これを「直立二足歩行の有無なんてのも、所詮程度差問題」としか捉えられない、人間・自分中心主義的思考。
進化生物学で一番の戒めになっていることが、常に顔を出す。

 

taさんの疑問......、

>私のそもそもの疑問は、「ゴリラやチンプが(将来進化したとしても)文明を持つことはない」と断言するのであれば、それらとヒトの共通祖先から我々ヒトが生まれてきたことをどう考えるのかというものでした。

...に対する解答にもなるでしょう。
「直立二足歩行」と言う、それ自体は小さな一歩が最初に無かったら、今ここに人間は絶対に居ませんでした。

    

 

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このページは、雄が2010年4月20日 15:57に書いたブログ記事です。

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