民族問題と社会主義

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私は民族問題に詳しくなく(何が詳しいとか、と言うことも有りませんが)、具体的に立ち入ってコメント出来ないのですが………、

>コソボやチェチェンの民族問題は、明らかに社会主義時代の民族問題の置き土産です。(No.21 Fさん)

確かにソ連崩壊後、各地に民族紛争が頻発していますね。
しかしこれを「社会主義時代の民族問題の置き土産」と大雑把に括るだけでは、問題の解明にも解決にもならないと思いますよ。

No.13で述べている通り、スターリン以降のソ連の、粛清による官僚的支配と対外覇権の体制は、社会主義の本質と言うより、社会主義からの逸脱だったと言う理解ですが、それにしても「ソビエト連邦」の名の通り、そもそもは様々な小国家・民族の連邦だった訳です。
それぞれの国・民族は「ソ連」以前から、様々な離合集散、争いの歴史を持っています。
その辺の事情は、例えば「コソボ」「チェチェン」「ボスニア」「ヘルツェゴビナ」等のキーワードで、Wiki検索して貰えば一目瞭然です。
スターリンもブレジネフも「大ロシア」民族を特権的に扱っていたし、連邦内にはその不満も鬱屈していたと思います。
そう言った不満や歴史的な葛藤が、兎にも角にも、スターリン、ブレジネフ等の覇権的支配の元、押さえつけられていた。
ソ連崩壊でその重しが無くなった時、一気に民族問題が表面化した、と言うことは言えると思います。

しかし、では「ソ連」と言う体制が無かったなら、彼の地に民族紛争が無かったか?と言えば、それぞれの国の歴史から見て多いに疑問です。

様々な要因が有るでしょう。
先ず挙げられるのが、宗教的な対立、特にオスマン帝国を中心としたイスラムとキリスト教の対立。同じキリスト教でもその宗派間の対立。領土問題、等々。
特に宗教的な問題が大きかったでしょうね。

コソボも、チェチェンも本当の目的はその豊かな地下資源で有り、国家・民族・宗教も目くらましの道具に過ぎない、とのレポートも有るようです。
http://asyura2.com/0406/war59/msg/774.html

又、うがった見方をすれば、元々そう言った火種が有ったところに油を注いで、煽った勢力も有ったことでしょう。戦争は一番の儲けの種ですからね。
前日まで隣同士の付き合いをしていた人間が、突然斧を持って襲ってきた、と言ったことも有ったようですから。
民族問題も又、そう言う要因を具体的に分析し、現代の知恵で解決すべきでしょうね。
ソ連の体制が無関係だったとは言えませんが、冒頭で述べたようにそう言う括りだけで考えるなら、やはり一面的な理解になると思います。

民族問題と言うことで言うなら、アメリカの原住民、通称インディアン、或いはオーストラリアのアボリジニ等、社会主義とは縁も所縁もない問題も有ります。
それが大きく取り上げられないのは、紛争の片方の勢力を形成出来ない程に、徹底的に痛めつけられた結果でしょう。

一つ、間違いなく言えることは、日本が社会主義の体制になった時、或いは仮にそれが崩壊した時、「民族問題」は勃発しないだろう、と言うことです。
アイヌの人たちが、それを機に独立しようとは言わないでしょう。アイヌにしろ沖縄にしろ、彼らの要求は、「本土並み」と言うことですから。

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このページは、雄が2011年1月22日 11:31に書いたブログ記事です。

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