ここでも何回か述べているのですが、バチカンが長く進化論を認めずに来たのは、正に旧約聖書の創世記、「神は御自分にかたどって人を創造された」ことに拠るのでしょう。
神にかたどって作られた人間が、若し猿の子孫だと言うことになったら、では元々の鋳型である神は一体どういう存在として考えればいいのか、と言う深刻な論理的帰結を生じるからでしょう。
地動説も、神聖な神の御座所で有る天上世界の不動性を揺るがすものとして、火刑も含む危険思想だった訳ですが、これはもう証拠が挙がりすぎて否定する訳に行かなくなったし、神の存在を直接脅かしかねない進化論に比べれば、未だ妥協出来たんだと思います。
人間が他のサルと同じように体毛がふさふさしていたら、おそらくチンパンジーなどとの縁戚関係が早い段階で想定され、旧約聖書の創世記が成り立っていたかどうか、いささか疑問に思ったりします。
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