RE あーだ こーだ くみだ と言っても

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mnさん

私は「進化生物学の枠内」で説明するのは難しい、と一貫して言っては来ましたが、その反対概念として「人類学の枠」を想定したことは一度も有りませんよ。
私は「人類学」も概ね生物学的な枠内だと思っていますから。ヒトとして。
「進化人類学」も半ばそう言う意味で使っていた筈ですけど。文化や社会も含みますけどね。

私が「生物としての連続」に対置しているのは社会です。「社会への飛躍」です。これも一貫しています。
ですから「誤読を前提とした批判」だと言っているのです。
従って「以下、雄さんの発言に沿って意見させて頂きます(順不動)」の内容は、殆ど意味の無いことになります。

 

なお......、

>宇宙とか、現代の最先端科学を語るのに、いきなり700万年もぶっ飛ぶ必要はないと思うんです。
>近代国家の始まりは「18世紀の工業化」にある。
>そのルーツは1万数千年前の「牧畜・農耕文化の始まり」にある。
>それが今日の「文化人類学」のおおよその共通認識であって、それに乗っかれば済む話だと思うんです。

一部dmさんの主張と重なりそうなのですが、例えばmnさんは「18世紀の工業化」、いわゆる産業革命の本質をどのように考えているのですか?

産業革命は蒸気機関の発明と一体のものですよ。つまり機械化です。
広義の意味で「道具」は「身体器官の延長・代用」ですが、それまでの「道具」は概ね、手の「延長」に過ぎませんでした。つまり金づちで有ったりヤットコであったり。使う人と1対1の関係でした。
それに対応するシステムがせいぜい、マニュファクチュア迄でした。ここまでは生産の主人公は一人ひとりの人間でした。

それに対し機械は手の「代用」です。
自動で人間の代わりに生産を挙げてくれます。その典型がチャップリンの「モダンタイムス」であり、既出の無人工場でのロボットです。だからこそ「革命」だったんですよ。
ここに来て生産の主役は機械に移行し、人間はその監視、メンテナンス等、補助的な役割に移行します。

ここにこそ「人間社会」への道具の意味が、絵に描いたように見てとれるのです。身体器官の進化を待つことなく、道具の進化によって行動と社会の様相が激変する訳です。
そしてその道具のそもそもの契機が、700万年前の直立2足歩行とその後の経過抜きに、切り離して考えられないことは何度繰り返し述べたか分かりません。

 

農耕と牧畜が人間の社会化への大きなキッカケになったことは正にその通りです。
しかしその社会化への要因は、勿論定住化も有りますが、より大きな意味は、「生産力の安定的増大と保存可能な生産物」です。

農耕と牧畜の発明により、それまでの狩猟や植物採取と比較して、格段に(勿論徐々にですが)生産力が上がりしかも運に頼るのでなく安定してきました。
同時に、穀物と家畜と言う形でその生産を貯蔵・保存することが可能になりました。冷蔵庫の無い時代、運よく大量の獲物を仕留めても保存は出来ませんでしたからね。
それによって、後に残る「剰余生産物」が実現され、それを特定の人間が独り占めする可能性が、人類史の中で始めて現実のものとなった訳です。

「可能性」はそれを可能にする人間に「現実性」を与えます。それが「奴隷制」の始まりです。
狩猟・採集の、常に飢えと隣り合わせの移動生活の中で奴隷制は成り立ちえません。極端に生産力が低い状況で片方が搾取すれば、搾取された側が生きて行けないことになります。生産力の安定・向上による「剰余生産物」が奴隷制に必須だったし、同時に必然だったのです。

※ その辺の詳細は、以下も参照のこと
http://y-ok.com/blog/2011/03/histry-1.html
http://y-ok.com/blog/2011/03/histry-2.html

農耕・牧畜の発明から僅か1万年足らずの間に、エジプト、インド、メソポタミア、中国など、地球上の先進地域で膨大な本源的蓄積の元に、奴隷制を基本とした人類初めての国家が誕生します。それもこれも「保存可能な剰余生産物」無しには考えられないことでしょう。

それまでの群れ同士のいざこざでは、大抵は相手を殺したり追っ払っていたのが、ここで初めて捕虜にして奴隷にするという、その点では効率的なシステムを人類は覚えた訳です。奴隷制も又、一つの社会の発展であった訳です。
日本の古代の文書でも、中国に「生口」を何人献上した、とかの文章が頻繁に出て来ます。奴隷は生産の要になっていたんでしょうね。

しかしそもそも、その農耕・牧畜にしても、自然に対するヒトの、長い間の博物学的知識と技術的な汎用性抜きに有り得ないことです。
既に述べていることですが、「人類史」「文化人類史」と言う範囲なら、まさ海苔さんの視点も妥当だし、事実4万5千年程前の「行動の現代性」は本当にビッグバンと呼ぶにふさわしい程の大飛躍だったようです。

だがそれもこれも、それだけが単独で突然起こったのではない、と言うのが私の視点です。

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このページは、雄が2010年4月29日 16:10に書いたブログ記事です。

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