神と科学は共存できるか-301

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>あまりに雑な議論でなおかつテーマの曲解がひどいと感じるので、コメントせずにいられない(苦笑。

私の表現の稚拙さをご指摘なのであれば、それは甘んじてお受けします。
......ただ、話の進め方やテーマの扱いはそれぞれの論者の問題意識と直接関連していて、つまりその辺は私の「教導権」に属する問題だと思っています。今読み返してみても本人には特に問題を感じません。
と言うことで、多分今後も直らないでしょう。悪しからず。

    

 

同時にnnさんが何を聞きたいのか、イマイチ理解できません。全体としてnnさんのご主張の展開のようで、私としては「それはそれで良いんじゃないの」と言う感じです。
そこに私の「教導権」を主張する積りも有りませんし。

>自分でそう書く割に、回り道ばかりしてるじゃないか。そういうのってどうよ?(ていうか本人が気付いているとは思ってないけど)どの部分で自分が科学主義者と云われ、どの部分で反論しているのか、それが明確になってないんだよ。(No-299)

読んで頂ければ分かりますが、私は別にtm氏からの「科学主義批判」に反論なんかしていませんってば。する積りも有りません。明確になっていないのは当たり前です。
No-297でも「それを「科学主義」だと嗤うのであれば、嗤っていただいて一向に差し支え有りません。」と書いて有る筈ですが。

私はただ、tm氏が「自然科学的に「実在」しないものを対象にした研究に意味はない、という白痴的言明を指示しているのは.........」と書いて来たから「そんなことは言っていませんよ」と、いわば事実関係を返しただけで、その裏にtm氏がどう言う思惑を込めたかなど、余計な推測をする積りはハナっから有りません。
「無意識下の本音の吐露」かなんか知りませんが、後になってあれこれ付け加えられても、「そんなの知ったことか」ってのが本音です。だったら最初から書けばいいのに、ってね。

 

「愛」について言えば、nnさんの解釈は解釈として「それはそれで良いんじゃないの」に尽きるのですが、私の見解としては基本はやはり「異性愛」だろうと思っています。

>最初に問うべきは「自己愛」つまり、自分の命を守ろうとしたり、自分という個体を保護し、それが拡張されて自分の財産・社会的地位・容姿・パーソナリティを「愛する」という普遍的な情動じゃないかな?と私は思う。

「自分の命を守ろうとしたり」の行動は、特に愛などと言わなくても、捕食者から反射的に身を守ったり、交通事故を咄嗟に回避するなど、ウイルスからナメクジ、 コウモリやカラスまで全て、本能(最近この言葉は使わないようだ)として持っているものでしょう。いわば危機管理ですかね。ヒトにおいてもその延長として理解可能です。
勿論、nnさんがそこに「愛」を見出しても「それはそれで良いんじゃないの」なんですけどね。

 

生物が生物たる目的は、自己複製でしょう。単細胞から無性生殖、有性生殖を含め、全てね。
ラヴアフェア(男女の愛=性行為や婚姻)と呼ぼうが何と呼ぼうが、「生物は、適応度最大化の為に組織されたタンパク質」だと言って、大きく間違いではないでしょう。なお、ラヴアフェア(男女の愛=性行為や婚姻)が可能なのは、有性生物、つまり生物全体からすれば一部に過ぎません。

実際生物の行動は全て、適応度(つまりは残した子供の数)最大化の為に特化されていると言えます(人間の場合、社会が絡みますので少し複雑になりますが、これも社会科学という科学の範疇です)

その中で、ヒトのオスとメスは子育ての必然からペアボンドを発達させざるを得なかったし、ペアボンド強化の為に、つまりは絆を強化する為に「愛」と言う感情を発達させた個体が、オスもメスも結局適応的だった、と言うのが私の見解です。
だから人間の「愛」の契機・基本は、男女の愛からだったろうと.........。
「ハッキリしていることは、今の我々の愛の感情は、人間の進化の過程で獲得・発達したもので有る筈です(No-237)」との、私の書き込みはその辺を歴史的に俯瞰したものです。

人間の「愛」の感情を全て、進化生物学で解釈できるとは言っていません。しかしその理解の基礎に進化生物学が関われることだけは確かです。
そしてこの掲示板で今問題になっていたのは、NOMAとの関係も含めて、そう言う「愛」とか、芸術とかを科学として扱えるかどうか?、と言うことだった筈です。

私は「扱えるんじゃないの」と言う立場で、幾つかの項目に渡って例を提示した訳です。若干中身に踏み込んでしまいましたが、兎も角「愛」の理解に科学(自然科学、社会科学)は充分関与できると言うことを主張しただけです。
しかも私の「少しばかり広い意味での科学」に対する、tm氏の揶揄(と言うか、何というか)への反証として、丁度手ごろな教材としての意味合いも含めてのことです。

 

>>こう言う社会科学的な知見が、男女の愛の感情を解明することに何の役にも立たないというのでしょうか。
>誰もそんなことを云ってないよ?

「愛」が科学の対象にはならない、とするどなたかの主張が有ったようなので、そのアンチテーゼとして言ってみた訳なんですがね。

>>233; は従ってコメント済みだと思います。nnさんの意には沿わないかもしれませんが。

>>234; についてはなるべくそのうちに。

    

 

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このページは、雄が2008年2月 6日 11:30に書いたブログ記事です。

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