毛だの神だの、サプライズだの

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毛と神

RE gbさん

>いや?もしかしたら、毛がふさふさした(?)ネアンデルタール人たちも、
自分たちの神(?)を持っていたかも、しれませんよ。

ネアンデルタールが神を持っていたかどうか、それは知りませんが、体毛の有無にかかわらず人間の歴史の過程で原始宗教は当然生じていたと思いますよ。
そもそも原始宗教発生の契機と体毛の有無は関係ありませんからね。

ただ各部族、或いは群れが持っていたであろう土着の原始宗教が、統合され濾過され、そして階級の分化に伴って支配階級がその権威づけの為に、「神権」と言う形で宗教を利用するその過程で、ある種洗練されて来た、その典型がキリスト教だろうと私は思っています。

 

    

 

私が体毛との関係で「若しかしたら.........」と思ったのは、だから原始宗教のことでは無く、旧約聖書の、取り分け神による人間創造の部分だけです。
ハクスリーとウィルバーフォースのやり取りも、その部分に関してですから。
体毛が有っても神を想定はしたでしょうが、やはり大分違った形になったんじゃないかな、と。
同じ神話でも古事記やギリシャ神話など、その辺もっと生臭いと言うか、曖昧ですからね。

キリスト教にとって取り分け「神」は当然絶対的な存在だし、「人間がサルから進化した」とする進化論は、そのコアの部分の否定に繋がります。
しかし今、進化そのものをかってのように火刑を持って、正面から否定するなんて訳にも行かなくなっているし.........、

これは少し先走った話になりますが、私の予想として、今後バチカンは不可知論に傾斜して行くだろうと思っています。
つまり、「科学もあらゆることが分かる訳ではない。本当のところは神のみぞ知る」と言う形で、曖昧にせざるを得ない状況になって行くだろうと。
アメリカ南部に見られるような原理主義的な風潮が、未来永劫まかり通る訳有りませんしね。

 

ヒトの塩基配列と「サプライズ・ミラクル」

>ちょっと話はズレますが、以前から気になってたことひとつだけ。
ヒトとチンプの塩基配列の違い数パーセントという話、配列はわかっても役割分担は不分明なわけで、発生をコントロールする調節遺伝子なんかを踏まえれば、その「数パーセント」の中にサプライズが隠されてるんじゃないですかね。

これはもう私と、gbさんを含めこちらの常連さん(全てとは言いませんが)との、相容れない対立点でも有りますので、ここで対抗する積りは有りません。
私の見解だけ述べさせて頂きます。って、やはり対抗していることになるのかな。

 

調節遺伝子であれ、サプライズで有れ、隠されている可能性が無くはないでしょう。しかし公平に考えれば、その可能性は他のどの種についても言える筈です。
私が不思議なのは、私が「人間社会の特殊性、質的飛躍」を主張すると、決まって「人間も生物の一種に過ぎない」としてその特殊性を否定するのに、どうして こう言う場合だけ、僅か1.2%とか1.6%とかの差異の中に、そんなサプライズを、人間の時だけ持ち込もうとするのか、と言うことです。

私の主張はこうです。
ヒトは生物として、チンプやボノボと殆ど差は無いんです。塩基配列が示している通り生物としては特殊でも何でもない。サプライズを持ちこむ必要もない。
直立二足歩行をしているから立ち姿は若干違うだろうけれども、体毛を付けたら見かけも大して違わないでしょう。
逆にチンプとゴリラの方が、生物学的には違いが大きい。塩基配列の差もこちらが大きいし、実際身体の大きさも違う。

塩基配列が絶対とは言いませんけど。

 

何が違うかと言えば、人間が社会的存在だと言うことです。
皆さんがどのように否定されようと、素直に見た時、人間の社会とチンプの群れは明らかに隔絶していると私は思っています。
それは人間が道具を使って生きる道に踏み出したからだ、と。その基礎は直立二足歩行ですが。

丁度、死んだら無さんが、朝青竜やボブサップを例に出してくれたのでそれを使わせて貰いますが、朝青竜がどんなに力が強くても、私がブルドーザーやパワーショベルを使えば(私は大型特殊の免許を持っていますので)、彼の何倍もの力を出すことが出来ます。
ボルトが幾ら走るのが早くても、私が自動車を使えば彼の何倍も速く、長く走ることが出来る。

野生動物で足の速さは生存に決定的な要因となるでしょうが、人間の場合それが自然選択に掛かることは、多分殆ど無いでしょう。生存に大きく影響を与える要 因を挙げれば、それは社会における位置、社会との関わりでしょうね。同じ病気をしても治療費が払えるかどうかが、生存を決定するでしょうし、年間3万を超 す自殺者も多くは社会的な事情でしょう。
朝青竜の力やボルトの足も、自然選択では無く、社会での位置付けと言うふるいに掛かって威力を発揮する能力です、今は。つまり生物としての自然状態で生きるか死ぬかの問題でなく、その能力によって社会的にどれほどの評価が得られるか、金を稼げるか、という問題です。
性選択、と言う点では大きな意義を持つかもしれませんけど。

塩基配列の僅か数%の中に、無理やりサプライズを考え出さなくても、道具の進化、それを支える社会の知的集積で、幾らでも説明が付くじゃないか、と思っている次第です。
コンピュータ、核、宇宙ロケット、電力配信網、みんなそうです。インターネットの進化なんか、今後僅か10年先のことさえ私には想像もつかない。
その間、生物としての進化など何も無いのに、社会と行動様式は劇的に変わって行く。
そこに人間の本質を見ています。

そう言う道具一切を外されて、素っ裸でサバンナでも森の中でも放り出されたら、つまりは自然選択にさらされたら、人間なんてこれ以上無力な存在は無いでしょう。ライオンやトラの前で、ボルトでも朝青竜でもダメでしょうね。
それが社会から切り離された、単なる生物としてのヒトの、掛け値なしの姿じゃないでしょうか。

又長くなっちゃいましたね。すんません。

    

 

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このページは、雄が2010年3月13日 13:21に書いたブログ記事です。

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