引き続きT女史から、結構な数の書き込みが寄せられています。
だがその内容は残念ながら、論理矛盾、自己矛盾が目立ち、ハッキリ言って支離滅裂としか言いようが無いものです。
必ずしも反共的だとも思われないし、マルクス、科学的社会主義への理解も感じられるだけに、特に「民主集中制」に関連しての論理的混乱を、惜しい!!、と思う次第です。
どこかのセクトに属しているのかな?
>民主集中制がいかなる専制的実在を生むかということを検証して
民主集中制の問題点を提示することは、まさしく科学的社会主義の手法です(No.83)
大事なのは、先ず先に「民主集中制が、実際に専制的実在を生むかどうか?」を、具体的に検証することで有る筈なのです。
ところが、No.76で指摘しておいたように、T女史は「民主集中制は悪だ」と言う固定観念が、結論として先ず最初に前提され、その固定「観念」を検証する為に、むりやり「現実」を解釈しています。順序が逆であり観念論に陥っているのです。
勿論「民主集中制」への評価・批判は自由です。
しかし批判するからには、批判する側にその理由・根拠が明確化されている必要が有ります。子供でも分かる当然の理屈です。
ところがT女史は、「民主集中制が………専制的実在を生む」と、一方的に前提しておきながら、次のようにその根拠を聞かれても答えることが出来ません。その用意が無いのです。
私からの質問………、
- 「民主集中制は悪だ」と言うなら、その弊害を具体的に示して欲しい
- 「民主集中制」を批判するなら、それに代わるべき対案を示すべきだ
…に対し、その解答を示すことが出来ないだけでなく、質問すること自体を「独善主義そのもの(No.70)」だと、逆に攻撃しています。
このT女史自身の究極的な独善主義については前回、No.75で指摘しておいたところです。
おそらく今回、一連の書き込みはその再反論の積りだったのでしょう。
しかし残念ながらこの書き込みによって、T女史は一層の自己矛盾・論理矛盾に陥ってしまっています。
>科学的社会主義は実践的実在で検証することは自明です(No.83)
>まさしく生臭い実在こそ、科学的社会主義の対象です(No.83)
>論理を論理で検証して言祝ぐ事を否定します(No.83)
>マルクス的立場から言うと理論で理論を検証するなどと言うのは 教条主義の典型だと言うことです(No.88)
このフレーズ自体は妥当性が有ります。私も激しく同意します。
だからこそ私は「実践的実在で検証すること」をT女史に求め、「『民主集中制は悪だ』と言うなら、その弊害を具体的に示して欲しい」と、その具体的・実在的な根拠を質したのです。しかし解答は拒否され、訊くこと自体を「独善」だと言われる始末。
実践的実在で具体的根拠を示し得ないまま、「理論を理論で…言祝」ぎ、弁護しているのはT女史、他でも無いあなたの方なのですよ。
「まさしく生臭い実在(No.83)」から遊離し、空理空論を弄んでいるとしか言いようがありません。
実践的実在での検証をこそ必要だと言うT女史、
先ずは私からの質問に答え、T女史自らが、「実践的実在」のステージで、民主集中制の欠陥を具体的に証明してからのことでしょう。
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