社会ダーウィニズム

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gbさん

>生物についての理論を「社会」に当てはめたのが社会ダーウィニズムというのは、間違い。
優勝劣敗という思想がまずあって、利用しただけ。

 

>>人間社会の様々な現象を、進化生物学の法則で説明することは困難だと思っています。それをやったのが「社会ダーウィニズム」です。

...と言うことで、人間社会と言う階層を強調する文脈の中での、1フレーズですからね。
いつも「生物についての理論を『恣意的に』社会に当てはめたのが社会ダーウィニズム」と言う表現を使っている筈です。
「ダーウィン」と言う言葉が使われていることを見ても、生物進化の法則と無関係に生まれた概念とは、私には思えませんが。

 

    

 

ヘンリー・フォードが、ダーウィンの理論を正当に理解したうえで、意識的に「曲げて」社会に適用したのか、そもそも、生物としてのヒトも社会も、その区別を意識さえしないで適用したのか、それは分かりません。私は後者だと思うけれども。
結局その区別が意識されない時、様々に形を変えて「社会ダーウィニズム」が紛れ込む危険性は今でも有るし、それに対抗する理論的足場を持ちにくい、そう思っています。

※ 後日(2011/1/8)記
正にここで議論されているのが、この「足場」で有る訳だ。
雄を除く殆ど全ての投稿子が、人間の属性を全て「生物」学的枠内で理解しようとしている。だから「社会ダーウィニズム」に対しても、有効で首尾一貫した足場を持てずにいる。
「ダーウィン主義者」を自任していながら、当のダーウィンを汚していることすら理解できないだろう。

ダーウィン自身自分の考えが、安易に人間社会に適用されることの危険性を按じて、著作の中にわざわざ一文を入れている筈です。

ところで「優勝劣敗」と言う思想が、ダーウィンの進化論と全く独立に、それも或る程度の影響力を持って存在していたのですか?
それは知りませんでした。
どちらにしてもフォードにとって、ダーウィンの主張が好都合であったことは間違い無かったでしょうね。

    

 

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このページは、雄が2010年5月 7日 16:57に書いたブログ記事です。

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