RE 直立2足歩行の契機

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いわゆる「サバンナ説」、「イーストサイド・ストーリー(以下、ストーリー)」の破綻は、440万年前と推定される、アルディピテクスの棲息年代による訳ですよね。
その当時、アフリカにサバンナは未だ開けていなかった。これだけでストーリーの破綻は確定です。この辺の地質学的知識についてはバナナさんが詳しいかも知れません。
事実、アルディはサバンナで無く森の中で棲息していたとされています。

 

ここでも何回か書きましたが、2005年サヘラントロプスが発見された時、既にストーリー提唱者のイヴ・コバン博士自身が、自説を撤回しています。
何しろサヘラントロプスは700万年前、アルディよりも遥かに古いし、場所もイーストサイドで無く、中央アフリカだった訳ですから。

 

>ヒトの二足歩行は樹上生活に対する高度な適応の中から生まれたものなのでしょう

今回のホワイト隊の論文の詳細を私は知りません。あくまでも報道での範囲なので若し間違いが有ったら指摘して頂きたいのですが、論文はアルディピテクス・ ラミダスが棲息していた年代、その環境、体型、樹上に適応した行動などについて、詳細に、おそらく正確に記述しています。地上での直立2足歩行も含めて。
(それにしてもこの復元モデルは真っ直ぐな、きれいな直立姿勢をしていますね。およそ100万年後のルーシーと比べても真っすぐだ。もう少し前かがみになっていても良さそうだと思うのですが)

ただ今回の論文では、その直立2足歩行の起源、契機と言うものに言及していません(若しそう言う箇所が有ったら是非お聞かせ下さい)。
化石ハンターであるホワイト隊としては、事実の提示だけに留め、余計な推測を加えなかったのでしょう。一つの節度・見識だと思います。

アルディピテクス・ラミダスが森の中で暮らしていたのは事実でしょう。ぶら下がり(ブランキエーション)を含めた樹上生活と、地上での直立2足歩行をしていたのも事実でしょう。
しかし、だからと言ってその直立2足歩行が森の中で発達したことにはならない、と言うのが私の、今回改めて強く思ったことです。つまりsnさんとは見解を異にします。

 

「サバンナ説」「イーストサイド・ストーリー」の破綻が何を意味するか。
元々「森の中」と言う同じ環境下での種分化、分岐が説明不能に陥り、その解決の為考え出された仮説が「サバンナ説」であり「ストーリー」だった訳です。ス トーリーが有る程度説得力を持っていたのは、サバンナと言う、それまでの森とは違った環境を想定することで、淘汰圧と直立2足歩行への適応、そして隔離が 説明できたからです。
そのストーリーが破綻した今、元々の「森の中」に帰って、合理的な説明が出来るとは思えません。

樹上生活をしていたのはヒトの祖先だけでは有りません。
若し森の中で直立2足歩行を発達させたのだとしたら、そもそも何故ヒトだけがそれに特化して分岐したか、その説明が必要になるでしょう。
何より同じ森の中で、何故チンパンジーの祖先たちと別々の道を歩むことになったか。歩まなければならなかったか。

チンパンジーとボノボはコンゴ川で隔離されました。身体の大きさ、性行動などに若干の違いは有るものの、見た目は殆ど同じに見えます。同じ森の中、それが普通なのでしょう。
それに比べてのヒトのこの特殊性を、同じ森の中での環境下でのチンプ等との比較で、「何故?」と説明を求められると思われます。

snさんご指摘のように、森林棲の大型類人猿も程度の差こそあれ(応急的には)全てが二足歩行します。
同じ環境(淘汰圧)に居ながら何故ヒトもその段階に留まらなかったのでしょうか。隔離の問題も説明できません。

※ なお、ブラキエーションが直立2足歩行の前適応になるかどうか、については専門家の間でも見解が分かれていて、背骨に掛かる重力付加等が逆だから直立の前適応にはならない、と言う主張が有ります。
腰痛はヒトの直立2足歩行の言わば代償ですが、その治療にけん引をする場合が有ります。つまり地上で立つこととぶら下がりでは、やっていることが逆だと言える訳で、私としては「ブラキエーション前適応論」に疑問です。
大型類人猿が木から木へ移動する際の木登りは、前適応となったかも知れません。

ただ.........、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1188178955/96

>仮に水棲になる前の共通祖先がプロコンスルような原始的な樹上四足歩行者であった場合,
ヒトの形質の中で懸垂運動への適応の結果として説明されている形質(広い胸郭,側方を向く肩関節,短い体幹)まで,水棲への適応で説明しないといけなくなる上,それがチンプの樹上適応と類似していることも偶然の一致とみなすことになりますよ

...と言うご指摘は、直立二足歩行への前適応と言うことで無いにしても、参考にさせて頂きます。

 

アルディピテクス・ラミダスから離れて、他の祖先たちに目を向けた時、サヘラントロプスは頭蓋骨だけ、オロリン・ツゲネンシスは大腿骨だけと言う制約は有 りますが(今回の意義はアルディの全身骨格と言う点が決定的に大きい)、双方とも600-700万年前の棲息だとされています。
そしてサヘラントロプスは頭蓋骨の大喉頭腔の位置と角度、オロリンはそのものズバリ大腿骨によって、一部異論が有るものの、直立2足歩行がほぼ承認されています。つまりヒトとして認定されています。
分子生物学の知見からも、ヒトの分岐年代を600-700万年前とするのは、今定説となっているようです。

つまりアルディピテクスよりも150万年とか250万年前には、既にヒトは直立2足で歩き始めていた訳です。アルディはその途中過程だと言えるでしょう。
ヒトの直立2足歩行の起源、契機を探るとしたら、この600-700万年前に何が有ったかを考えるべきだと思う訳です。440万年前のアファールの森の中にその答えは......、多分有りません。

 

700万年前、何かが起こったのです。これは間違いないでしょう。それも多分、トンデモ無く恐ろしいことが。
ヒトの直立2足歩行仮説として、従来ほぼ唯一とも言えた「イーストサイド・ストーリー」が破綻した今、私は「アクア説」に一層の説得力を感じています。
私がそう考える根拠は次の3点です。

  1. 全ての類人猿、霊長類、哺乳類を含めて、直立2足歩行(応急的の範囲を超えて)に特化したのは、ただ一種ヒトだけです。それだけ特異な移動様式だと言うことです。とすれば、それを促した淘汰圧も又特異な要因だっただろう、と推測されます。
  2. 解剖学の専門家によればヒトの直立2足歩行は、トンデモ無い設計ミスで、普通は考えられないことだそうです。腰痛や痔、ヘルニア、メスの難産など、今でもその代償を払っています。
    その代償を支払ってなお、トンデモ無いその道に否応なく踏み出さざるを得なかった、抜き差しならない環境変化、つまりは淘汰圧が、多分有ったのです。
  3. 先に述べたように分子進化学の知見で、ヒトの分岐は700万年前位だと言うのが定説になっています。
    ところがサヘラントロプスは既に700万年前の時点で、直立2足歩行をしていたようです。分岐して殆ど間を置かず、ヒトは直立2足歩行を身に付けたと言えます。
    ※ 尤もこれはトートロジーです。直立二足歩行によってヒトとして分岐した訳なのでそこにタイムラグが無いのは論理上当然だと言えます。それにしても直立二足歩行の形質獲得が極めて急激に短期間でなされたことだけは確かです。
    気象や地質学的な漸進的な環境変化に伴っての、ゆっくりした適応では間に合わなかった筈です。
    ましてや同じ森の中での変化の無い生活を通しての「樹上生活に対する高度な適応」を待って身に付けた、そんな悠長なことではなかったと私は考えます。
    ここでも又、否応ない急激な環境変化、淘汰圧が想定されます。

私はこの環境変化の要因は「水」だと考えています。
水は直立二足歩行の為の、否応無い淘汰圧になります。呼吸の為には直立以外の方法が無く、同時に直立による身体への負担と上記不都合は、水の浮力によって殆ど相殺されます。
そして水は同時に、隔離の機能を持ちます。コンゴ川によって隔離されてチンプから分岐したボノボがいい例です。

サヘラントロプスが発見されたチャド湖(当時、今の100倍の面積)周辺か、或いはモーガンが想定したダナキル地塊か、兎も角アフリカの激しい地殻変動 で、せき止められていた水が一気に低地に流れ込み、かろうじて残った台地状の所で、魚介などを採集しながら直立二足歩行を身に付け、その後(期間は分かり ませんが)水が引けるに従い、二本足で各地に放散していった。
放散の過程で、再度樹上への適応を部分的に身に付ける、と言うことも有ったかも知れません。アルディなどはそう言った経過の途上で有ったかも知れない、と考えたりしています。
その災難に出会わなかったかっての仲間は、それまでと変わらず森の中のアチコチで、チンパンジーとボノボへの道を歩んだのでしょう。遺伝子のバラツキもそれで説明できます。
そう言うシナリオを、私は想定しているところです。

しかし、直立二足歩行の契機を、直接立証する化石や物的証拠は実は何も有りません。上記は全て私の「推定」或いは「妄想」に過ぎません。
森の中でも何でもいいのですが、直立2足歩行の契機とメカニズムを、出来たら冷静に、前向きに論じられたらいいな、と思っているところです。「お前が一番行儀が悪いだろう」って、いや、全く。

 

なお、サンブル・ホミノイド、プロコンスルの件ですが、私は今でも「大差ない」と思っています。これも実物が無い中で推定でしか有りませんが。
ただ長くなってしまいますので、少し整理して又の機会、と言うことでお許し下さい。

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このページは、雄が2010年2月 8日 09:46に書いたブログ記事です。

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