私家版「恋愛感情」の始まり

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以前、ネット上の某所で「人間の恋愛感情の起源」について論争したことが有った。
「愛は永遠」とか「普遍的な愛」等と言われることが有るが、「愛」の起源はそれ程古いものではないし、その内容は人間にだけ通じる結構狭いものだろう、多分。

 

    

 

ヒ トに最も近縁なチンパンジーやボノボ(ピグミーチンパンジーと呼ばれていた)、次に近縁なゴリラのオス・メス間に、「恋愛感情」が有るか無いか?、それは 私には分からない。おそらく恋愛感情と言うより、「自分の遺伝子をより多く残したい」と言うだけの、言わば「利己的な遺伝子」に支配されてのことだと思う のだが、若し仮に、彼ら(彼女たち)に恋愛感情が有ったとして、乱婚を基本とするチンプやボノボ、逆にハーレムを作って1頭のオスが何頭かのメスを囲い込 むゴリラでは、同じ「恋愛感情」でも、その内容は全く別のものになるだろうと思う。オスにしてもメスにしても。

例えばハーレムでは往々に「子殺し」が見られる。ゴリラも例外ではない。
オス同士の激しい闘いの結果、ハーレムのボスが交代した時、新しいボスは群れの乳飲み子を片っ端から殺しにかかる。
授乳中のメスは発情が押さえられていて、オスにとって繁殖資源となり得ない。それではボスになった意味が無い。

不安定なボスの座で有って見れば、坐してメスの発情を待つ余裕はなく、子殺しと言う凄惨な状況が展開される。
メスは当然半狂乱になって子供を守ろうと逃げ回るが、結局は子供を奪われ殺される。すると間をおかずそのメスは発情し、憎っくき子供の敵である筈のそのボスを受け入れて妊娠する。
子供を殺された以上、その方がメスにとっても結果的に、次の自分の子供を残す機会に繋がる。

この現象は日本の観察グループが初めて発見し、学会にも衝撃を与えたが、今ではオスの子殺しは広く認められている。
これは良い・悪いの問題ではなく、繁殖期間が短く限られる野生動物が自分の遺伝子を残そうとする、言わば生物の自然の姿と言える。
(あっ!、念の為に言っておくが、最近人間によく見られる幼児虐待、特に女性の連れ子に対するオスの、理不尽な虐待とは全く別問題だからね)

ゴリラに「愛」の感情が有るかどうか、それは知らないが、仮に有ったとして、ハーレムを形成し、子殺しや、そのボスに身を任す行為が当たり前として見られるそのゴリラと、人間とでは「恋愛感情」の内容が同じである訳がない。

※ 「子殺し」行動はここに書いたようにワンパターン化できるものではなく、色々な動機とバリエーション、要するに「適応的意義」が有るようで、書きだしたらキリが無い。以下に述べるチンプにも子殺しは見られる。
ここでは話の単純化の為に、ハーレムの特徴として「子殺し」を取り上げてみた次第。

 

「乱婚」のチンパンジーやボノボではどうか。
チンプでは一応オスの間に序列が有って、繁殖期のメスに対する優先権が有るらしいが、ゴリラのようにボスが独占する訳には行かず、基本的には非常な乱婚。記録では1日延べ50頭のオスと交尾したメスが観察されているそうだ。
ボノボもヒッチャカメッチャカ。人間の挨拶程度に、オス・メスの相手問わずSexに励むらしい。なんとも羨ましいこの世の天国!!。

乱婚はメスからすると、子殺しを防ぐ戦略でもあるらしい。誰の子供か分からない、自分の子かも知れないと言う状況で、オスの子殺しは発達しない。
チンプでの「子殺し」は主に、他の群れからのメスの連れ子、自分の子供で無いことが明らかな場合に行われるらしい。

ここでもまた、彼らと人間とで「恋愛感情」の内容が同じである訳がない。人間の世界でこんな乱交をやっていたら、嫉妬心による刃傷沙汰で、社会が持たないだろう。

最も近縁なチンプやゴリラとの比較でさえ、これだけの違いが有るのだから、嫉妬心を含む人間の恋愛感情の起源とその内容は、結局ヒトの進化の過程からしか見えて来ない筈だ。

 

ヒトの繁殖活動の特徴として、出産と子育ての負担が桁違いに大きく、メスの力だけではそれを成し遂げることが困難だと言うことだろう。

ヒトは進化の過程で脳を3倍にも増大させた。
又、直立二足歩行に伴い骨盤の開口部を狭くした(広いままだと内臓が重力で落ち、脱腸になってしまう。四足動物のヘルニアってのはあまり聞いたことが無い)。
大きな頭と狭い産道は、必然的にヒトのメスに難産を強いる。産院中に響き渡る悲鳴を上げて出産するのは、哺乳類でもヒトのメスだけだし、出産で死ぬ女性も昔は珍しくなかった。

難産を軽減するため、ヒトのメスは生理的な早産をするよう進化したらしい。
ヒトの新生児は本来の誕生より10カ月程早く生まれてくると言う。その為ヒトの新生児は他のそれと比べて異常に無力で頼りない。ウマやウシの子供が生まれて30分もすれば、立ちあがって歩くのに比べ、ヒトの子供が立って歩き始めるのは生後10カ月過ぎてからだ。

この新生児の無力さは、育児についても母親に重い負担を強いる。
又、急速に大きく育つ脳も、妊娠中と授乳中の母親には大きな負担だ。脳は重さの割に物凄く大食いな器官でもある。
その上ヒトの子供が一人前になるまでには、習得しなければならないことがあまりに多すぎる。
結局メスだけの力では妊娠の維持も子育ても、次第に無理になって来たのだろう。

オスとしても一緒に子育てに係ることが、結局は自分の子供を残すことに繋がって来たのだろう。そして厳しい環境の中で、それを乗り越えて子供を育て上げる為に、ペアの強い協力がますます必要になって来たのだろう。
「配偶相手への愛情」と言う、それまでに無かった新しい感情を発達させた個体が、結果的にお互いの協力をより深め、困難を乗り越えて子供を残したのだろう。そしてそのペアボンドの感情は子供に受け継がれ、世代を重ねるごとに強くなって来たのだろう。

この辺が多分、今に繋がる人間の「恋愛感情」の起源なんだと思う。

実は哺乳類でもイヌ科等を除き、オスが子育てを手伝う種は珍しい。「哺乳類」の定義上、母親の育児関与は必然だが、大抵は母親だけの仕事になっている。サルの仲間でも同じ。
ヒトのオスも、若しメスだけで出来るのであれば、育児をメスに押しつけて、次の繁殖機会を探しに出掛けていただろう。
ハーレムを作っていたか乱婚になっていたか、或いは繁殖期間だけのペアリングか、いずれにしても今とは違った繁殖形態になっていただろうし、「恋愛感情」の内容も全く違っていた筈だ。
社会の様相もまるで違っていたことだろう。若しかしたら社会などと言うものが成り立たなかったかも知れない。

今でも、母子(父子)家庭は子育てに苦労している。「ヒトの群れ」から「人間社会」に進化している今日、もっとそこに社会的援助がそそがれるべきだと、強く思う。子供は親の環境を選べない。

 

なお、ヒトの祖先がどう言う繁殖形態を採っていたか、これは確定されてはいないようだが、化石に見る性的二型(オスとメスの身体の大きさとか形)などから、チンパンジーのような乱婚ではなかったようだ。
現在の繁殖形態は「結構旺盛な浮気を含む、ゆるやかな一夫一妻」と言えるようだ。これは性的二型と金太(オスの精巣)の大きさからも裏付けられる。
その点では、チンプやゴリラより、ミツユビカモメ等、鳥のペアに近いようだ。ツバメを含む鳥も、調べてみると結構浮気をしているらしい。

とまれ、オス・メス、概ね同じ程度の身体の大きさ(ゴリラでは1対3程度)で、色々な駆け引きを裏に隠しながら、それを自身の成長の糧として、オス・メス一 緒に手を携えて家庭や社会を築き、支えているヒトの歴史と生態に、今さらながらに愛おしさを感じる「今日、この頃」。

    

 

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このページは、雄が2009年11月28日 10:49に書いたブログ記事です。

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