神と科学は共存できるか-217

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  nnさんから、私が言及していない問題にまで踏み込んでの問題提起を頂きました。

例えば自称カッパ学者と「バカ市長の公約した予算消化」「おかしな事業」との関係。
或いは、「アメリカの一部で(或いはイスラムの一部で、又はオウムで)、宗教・神の名で行われていること」と、「営利拡大の為と正当化をされた企業による乱開発」「マイナスイオンなどの欺瞞商品」「国の名のもとに行われる暴力行為」との関係。等など。

私はあまりそう言った、話しの一般化はしていなかったつもりだったのですが。
ドーキンスが、一部の急進的原理主義者による産科医院放火や、医師の殺害を批判することと、一般的に悪徳医師が批判されるべきだと言うことを混同していないのと同じように。

    

 

   なお.........、

>>神やその御業を空想物語として「学問」する分には、ドーキンスもこんな本を書く必要は無かったでしょう。
>???誰にも「なにがしかの本を書かなければならない必要性」なんてものはないよ?それは本人の要求でしょう。

この辺は言葉のアヤです。......が、誤解が有りましたら訂正しておきます。
→ 「神やその御業を空想物語として『学問』する分には、ドーキンスも特に文句も無かったでしょう。」

私もドーキンスに格別に入れ込んで、「神は妄想だ」を読んだ訳では有りません。
「神は妄想である」にしても「数学者の無神論」にしても、ドーキンスやパウロスが、「神の不在証明」をどのように展開してくれるか、主にそちらに興味が有ってのことです。なかなか難しいんですよね「無いもの」を「無い」と証明するってのは。

私は「無い」と言う無神論の立場で議論に参加していますが、同じ無神論者でも内容が一様でないことは、グールドに対するドーキンスの激しい論調を見ても改めて思い知らされるところです。

と言うことで「NOMA」ですが.........、NOMAに関して、私は多いに懐疑的です。

 

先ず第一に、

こ の掲示板でも例えば「音楽や絵画への評価・好みの問題」「道徳とか倫理」「どう生きるべきか」など『重要な問い』について、それは科学が口出しできる領域 ではない、或いは口出しすべき領域ではないと言うことを、何となく当然の前提として議論がなされているように感じます。
しかし本当にそうだろうか?と言う疑問が私には有ります。科学は関与できないのだろうか?

明日の渋谷の風向きを特定するだけでも、その計算には膨大なパラメータが必要で、今後も不可能かも知れません。しかしそれはあくまでも技術的な制約であり、原理的なものでは無いでしょう(量子論的制約はこの後述べます)。

人の心の問題も同じことだと私には思えるんですよね。自然現象に比べてさえ桁違いのパラメータ(環境や個々人の生まれ、育ち、脳内の状況、人と人との関係 等 など、etc・エトセトラ)が有って、今後どれ程コンピュータが進化してもその解明は不可能かも知れないが、それは原理的なものではないだろう、って思い が先ず一つ有ります。

全てに渡っての解明には未だ遠く及ばないからといって、それで科学が関与出来ないとは言えないし、現実に心の問題についての科学知見も相当に蓄積されていると思っています。
少なくとも若し何らかの解明が出来るとして、それは宗教でなく、社会科学や心理学、動物行動学、人間行動学、脳科学などを含めた、科学全般が担う筈だという確信が私には有ります。当然進化の理論も含めてです。

「どう生きるべきか」についても、人間の歴史や社会の構造など、人文諸科学がベースになる筈です。地球環境の変化が、人間の生き方や考え方に影響を与えない筈は無いだろうし、「より良く生きる」為に、科学技術や医学の進歩が無関係である訳が無いでしょう。
若し私が「どう生きるべきか」を他人に聞くとしたら、現実の世界から超越した神でなく、自然・社会と日常的に切り結んでいる、現実の生の人間に聞くでしょうね。その人は毎日「科学」している訳ですから。

 

次に若し探求の結果、原理的にもその解明は不可能だという結論が出たとしたら、その結論とメカニズムも又、多分科学自身の手によって解明される筈で、宗教から引導を渡されるものではないと思っています。自然科学ではそうでしたから。

量子論によって、自然は確率的にしか記述できないという結論が出たとして、それは科学自身の手によるものです。
「無からの宇宙創成とそれ以前」「観測地平とその向こう」「ブラックホールの内側」等など、全て事情は同じことでしょう。
科学によって得られたその知見の上に立って「だから科学には限界があって、その先は神のみぞ知る」などと宗教の側から教導権の説教をされても、私には説得力をまるで感じません。

......と、ここまで書いてきて「NOMAって不可知論、それも(天真爛漫な)ヒューム型不可知論じゃないか(後に「カント型不可知論」で有るとの認識と、訂正)」と思うに至りました。
急遽グールド著の 「神は科学と両立できるか(原著=Rocks of Ages)」に当たってみました。冒頭の『前口上』16ページに「私は、T・H・ハクスリーが用いた、賢明な意味においての不可知論者である。」と言う告白が有り、又しばしば「ユダヤ人の不可知論者」と自認していたらしい。むべなるかな、と思った次第です。
うーん、グールドの晩節を汚す一冊にならなければ良いが。

 

第二

私が思うに、天上と地上をキチンと区分けすることが出来れば、確かに神と科学の領分が重複することも無いし、NOMA原理も問題なく成り立つんでしょうね。

しかし残念ながら、神(?)もその使徒も、実際には全て地上におわします。活躍の舞台は現実には地上のこの世です。
「神」と言えども地上の自然科学の支配を免れる訳には行かないし、聖職者や神の居場所である教会や神社が、浮世の経済の制約から自由で居られる訳ではありません。超越的な神は、教義と信者の頭の中にしか存在しません。
有神論者はそのことを否定し、天上世界の実在を主張するでしょうが、無神論者である私はそう断言し、話しを進めます。

つまり科学の側は特に天上の世界を必要としません。この現実の世界そのものの中に、存在と連関の有り様を探求する営為です。

そう言う意味でNOMAなどと言ってみても、所詮片手落ちにならざるを得ないと私は思う訳です。科学にとって神のお慈悲を必要とすることは何も無いが、神にとって科学への依存・浸透を免れることは1日たりとも出来ないでしょう。
つまり科学は神に依存していないが、神(宗教)側は科学に依存せざるを得ないのです。

そう言う舞台裏がバレバレであるにもかかわらず、何でわざわざ科学の側からNOMAなどと、現実世界から超越しているかのごとく神にお墨付きを与えるグー ルドが、ドーキンスにしてみると、「犬のように仰向けにひっくり返ってご機嫌をとるという芸当を見せている(86P)」と見えたんでしょうね。
言葉のきつさは兎も角として、私もNOMAには、現実からかけ離れた神への「過剰な敬意」・美化が含まれると思います。

カッパにしろ妖精にしろ、水木シゲルの妖怪にしろ、頭の中で空想上のこととして扱い、論じる分には何も罪は無いのです。
「重複することの無い教導権」なるものも、単にグールドの頭の中で(議論として)アレコレ想定されている分には特に弊害は無いかも知れませんが、実際に地上の世界に引き下ろして具体的に適用されたとき、(>>213;chonさん)の錬金術や妖精やカッパのような、現実の弊害が表面化するのではないでしょうか。

一つの例が「霊感商法」或いは「霊能師」などです。
彼らが頻繁に持ち出す商売道具に「前世」「来世」「霊」等が有ります。これは科学の及ぶところでは無いらしく、彼らに言わせれば「重複しない神の教導権」の範疇です。

「重複しない」とは、言葉を変えれば「立ち入るな」と言うことであり「口出し無用」と言うことです。
彼ら(或いは宗教一般)を行政権力で押さえつけることには、思想・信条の自由からも慎重でなければならないと私も思います。しかし彼らの言い分を科学の立場から理論的に批判し、理性ベースで一般国民の頭の中から非科学的妄想を駆逐することは必要でしょう。
その批判を手控えさせ或いは傍観させることに、若し「重複することの無い教導権」的躊躇が働いたとしたら、NOMAの罪は大きいと思います。

マスコミが「霊媒師」なるものの提灯持ちをし、心霊写真だの水子霊だのと騒ぐのはひとえに、雑誌の売上や視聴率の為でしょう。
しかしそう言う非科学的で愚にも付かないことを、女性誌や公共放送が垂れ流すことを躊躇させない要因として、或いは批判されたときの言い訳として、若しNOMA的心理が背景に有るとしたら、それも大きな罪です。
そして私にはそう言うことが絶対にないとは言えない様な気がします。

nnさんがNo-215の最後で仰っているように、全体的には良心的な宗教者が圧倒的なのだと思います。宗教的良心に基づく平和運動、人権擁護運動などに献身されている人も多いでしょう。
宗教は現実の世界にその精神的基盤を持っている訳ですから(私はそう考えています)、世界観の違いは違いとして、一致する行動で連帯すれば良いのだと思っているところです。

    

 

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このページは、雄が2008年1月23日 09:17に書いたブログ記事です。

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