RE ahさん
>雄さん、gbさんがコントロールリージョン云々と書かれた理由をお忘れではないですか?
gbさんは「塩基配列の違いの割合と、表現型の違いはリニアではない」と述べておられたのだと思うのですが。
そのgbさんへの返信の中で私が...、
>>調節遺伝子であれ、サプライズで有れ、隠されている可能性が無くはないでしょう。
しかし公平に考えれば、その可能性は他のどの種についても言える筈です。
私が不思議なのは、私が「人間社会の特殊性、質的飛躍」を主張すると、決まって「人間も生物の一種に過ぎない」としてその特殊性を否定するのに、どうして こう言う場合だけ、僅か1.2%とか1.6%とかの差異の中に、そんなサプライズを、人間の時だけ持ち込もうとするのか、と言うことです。
......とコメントしているのも当然、目を通した上での書き込みですよね。
類人猿だけでも6種類ですか、霊長類全体では何種になるか承知していないのですが、それらの分岐や進化を論じるときにはまるで問題にならない、それら、コ ントロールリージョンであれサプライズであれ、ahさんの言葉を借りて言えば「考察」が、人間を論じるときには決まって、ここで持ち出される。
その人間だけの「考察」抜きには説明が付かないような議論は、私にすればご都合主義じゃないか、と言うことです。
勿論そのことを承知の上で、人間だけは事情が別だ、と主張されるのであれば、それはそれで一つの見解でしょう。
人間の本質が社会的存在であり、それは身体器官の延長・代用で有りながら、遺伝子変異に依存しない道具を作り、使うことに踏み出したことによる、とする私の見解からすれば、ヒト遺伝子の中だけに特別なサプライズを必要としないし、そう言うヒトだけを特別扱いにしなければならない主張を、私はしたくない。と 言うことです。
別の角度から「考察」してみましょう。
過去の問題で無く、今後、例えば100年後を考えた時、そこにはコントロールリージョンであれ表現型であれ、如何なる意味でも生物学的サプライズの要素が 入り込む余地はないでしょう。つまり100年と言うスパンは生物学的進化と言う点からすれば、殆ど意味をなさない時間です。
しかし100年後の「人間社会」は、私には到底想像もできない程に激変していることでしょう。良い方向か悪い方向かは別として。
そしてその社会の中で、人間の行動様式、生活様式も又激変している筈です。
50年、或いは20年で考えても同じことです。
つまり人間社会の進化発展、及びそれに伴う人間の行動様式の変化は、生物学的ヒトの遺伝子変異の中に、特別に考察すべき要因など、なんら必要としないのです。
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