ヒト

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RE gbさん

>現在のヒト社会とチンパンジーの群れを比べて差異を抽出し、それが「人間の本質だ」と言ってみたところで、生物学の課題にとっては何の意味もないということです。

そもそも私は、生物学の枠内で、ヒト社会とチンパンジーの群れの「差異」は説明できない、と言う立場ですよ。繰り返し述べているように。
その「差異」は、社会的存在としての「人間の本質」的理解の中にしか、見出せない。と言うのが私の主張ですからね。
その差異が「生物学の課題にとっては何の意味もない」かどうかは別として、少なくとも生物学の課題としてだけ取り上げている積りなど、全く有りません。どちらかと言うと社会科学の分野にまたがる課題でしょうね。

 

逆にgbさんが.........、

>直立二足歩行および脳の発達、道具使用の高度化...そういうヒトの歴史を否定しようとする人はいませんよ。

と、片方で認めながら、片方でその要因を「生物学の課題」の範囲、つまり塩基配列数%の、その枠内での調節遺伝子やサプライズで説明できるとするのであれ ば、一番良いのはそのサプライズの内容を、勿論、仮説で結構ですからgbさんご自身の、批判に耐える主張を提示して頂くことです。

自身の見解を述べず、ただ「何の意味もないということです」と批判されても、私としてはそれ以上に言うべきことが無い訳です。

 

>>道具の進化、それを支える社会の知的集積で、幾らでも説明が付くじゃないか

>何の説明がつくのですか?

少なくとも、有るか無いか分からない、或いは解明されていない塩基配列上の「サプライズ」などよりは、説得力が有ると、私は思っています。

 

>生物学という科学が知りたいのは、ヒト以前・以後を含めた経緯です。

「生物学という科学」の範囲に納まるとは思っていませんが、私は「ヒト以前・以後を含めた経緯」について、自分自身納得できるシナリオは持っているし、ここでもくどい程主張しています。
ただ前回も述べたように、それでgbさんの納得が得られるとは思っていませんけどね。

 

>「道具の進化、それを支える社会の知的集積」というヒト以後の事情が分かっても、なぜ、ヒトが登場したのか、という疑問には答えられないのではないですか?

ヒトの登場の疑問、についても繰り返し述べている筈なんですがね、gbさん。
読むほうも「又か!」と思われるかもしれませんが、書く方もうんざりする程繰り返し。
前回も述べた通り、「それは人間が道具を使って生きる道に踏み出したからだ、と。その基礎は直立二足歩行ですが。」これに尽きます。

「現在のヒト社会とチンパンジーの群れを比べて差異を抽出し」ているだけじゃなく、その差異を生み出した、そもそもの契機についても私は述べている積りですよ。
そもそも直立二足歩行を巡る一連の議論は全て、「なぜ、ヒトが登場したのか、という疑問」への、私なりの答えです。

 

直立二足歩行そのものは、環境の何らかの要因がそう選択させた、純粋に生物学的な出来事だったでしょう。
しかしそれによって.........、

  1. 前肢が歩行から解放され、手として道具の使用・作製の可能性に繋がった。
  2. 直立による重力の影響で喉頭が下がり、口腔内に空洞が広がり、複雑な発声の可能性を広げて音声言語の獲得に繋がった。
  3. 直立した骨格は、増大した脳を真下から支えた。

 

  • 道具は身体器官の延長・代用ですが、その改良・進化に遺伝子の変異を必要とせず「社会の知的集積」に応じて、急速に限りなく進化させることが出来る。
    そのことによって、生物学的には数%の差異のまま、行動と生活様式を激変させることが出来た。
  • 音声言語は人間に概念を与え、例えば E=mc2 のように、目の前の感覚に全く依存しない思考さえ可能にした。

私からすればこの一連の過程で、「塩基配列の違い数パーセント」の中に、サプライズなど些かも必要としないのです。
一連の過程そのものは、私にとっても正にミラクルで有り、サプライズですけどね。

追伸
科学が「なぜ?」に答えるものかどうか、については、私もgbさんと同じく、当然答えるものだと思っています。

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このページは、雄が2010年3月15日 13:27に書いたブログ記事です。

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