神と科学は共存できるか-225

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RE tm氏

tm氏と私の間に明らかな見解の違いが有ることは重々承知しています。それでいいのだと思っています。
例えば、私はニーチェは最悪の哲学の一種だと思っていて、どうもこれだけでtm氏からすれば病気に見えるかも知れません。
カントについても、その汲むべき内容が多い中で、tm氏が話しに出された「物自体」は既に100年も前に、観念論、唯物論の両陣営から完膚なきまでに論駁されていて、哲学的には決着が付いていると言う認識です。

しかしこれらは私の見解であって、神の実在性云々と同じく、ここで哲学に関して果てしない議論をしようとは思いません。
私の『科学主義』について「病状」を批判されるのも一向に構いません。

ただ一点、事実誤認が有りますので指摘させてもらいます。

 

>自然科学的に「実在」しないものを対象にした研究に意味はない、という白痴的言明を指示しているのは、実に分かりやすい科学主義の病状だにゃ
>特に 雄 の病状がヒデエ。

骨身にしみるご批判ですが、最後は直ぐに分かるとして、前段も私に向けられたものであれば、私はそんな「白痴的言明」はしていません。その辺は誤解の無いように繰り返し述べている筈なので、普通に日本語が分かれば誤読されることは無いと思っていたのですが。
と言うより.........、ホントに読んでますか?

私は『実在しないもの』を実在しないものとして、つまり空想上のこととして「学問」することを「意味が無い」などと言っていません。
カッパを空想上の生き物として、例えば民俗学の範疇で研究すること、そしてそう言う観念がどう言う実在的背景の元で生じて伝播したのか(おそらく深い淵で水遊びする子供達を戒める為じゃないかな?とか)を研究することは多いに意義が有るだろうと思っています。

ただカッパを実在するものとして、自然科学の対象に研究するとしたら、それは違うだろうと言うことです。
カッパの皮膚の色は何色か?、若し緑色だったとしたらそれはキュウリを食っている為か?などと言う「研究成果」は、酒の席でのヨタ話としては受けるかも知れませんが、生物学の研究対象にはならないだろうし、すべきでないと言っているに過ぎません。

神そのものは空想上の産物だが、その精神的基盤は現実世界にあると思っている私は、宗教を研究することで現実社会を理解する、一つの手掛かりになるとも思っています。
聖書など教義の内容を、現実のものとして研究したり、押し付けることは問題だと言っているだけです。
古事記を国語でなく、歴史の教科書に載せようとしたり、創造論を生物進化の理論と並べて生物学の教科書に載せようとしたり、まっ、同じことですな。

ただ実在するかしないか、これもモノ(例えば神)によって見解が激しく異なることも承知しています。この点でも繰り返し「無神論の立場で」と、自分の立ち位置をハッキリさせた上で議論に参加させて貰っています。

なお、私は"科学"を、「客観世界を有りのままに意識に反映させる営為」と理解しています。時に自然を拷問(実験)に掛けて無理やり真理を白状させるようなこともしながらね。
多分私が想定している「科学」は、地下猫氏が定義する「科学」よりも広い意味で捉えています。
悪しからず。

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このページは、雄が2008年1月24日 09:33に書いたブログ記事です。

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