ヒト起源について-21

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【目的論、人間の進化について】

>「アクア説=特殊」については、思っていたトオリでしたにゃ。fFによると、「雄さんは ご自身のサイトの中で「人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう」と結んでいます。」とのことで、科学としての進化論をまったく理解してにゃー上に、ニンゲンを特別視していることは明々白々だからにゃー。

 

これは、fFさんへの回答にもなることでしょうが、確かに私は、人間は「社会的な存在」だと言う点で、他の動物と違う特殊な存在だと言う考えです。
でもそれは、進化の頂点だとか、目的論とかとは、話が違います。

    

 

人間を他の動物と切り離して特別化してしまうと、それは確かに人間の神聖化に繋がります。
逆に、人間を単に動物の延長とだけ考えてしまうと、人間の社会もアリの群れも、その差は程度問題と言うことになってしまい、結局人間の社会に、本来は生物進化の法則である、「適者生存」「淘汰」「優勝劣敗」「生存競争」と言うような考えが、機械的に持ち込まれ、合理化される危険が有ると思う訳です。それが社会ダーウィニズムと言うことでしょう。

だから私は、生物一般との「連続」と、同時に人間だけの「飛躍」を認める立場です。
当然人によって見解の相違が有ることは充分承知しているし、他人に押し付けるつもりも有りませんが、そこに「神聖で特殊な存在」とかと言う発想は有りません。

 

>>人間はこれ以上の生物としての進化はしないだろう

これは私の単なる「空想物語」による予想に過ぎない訳ですが、その真偽はともかくとして、そこに目的論や、究極の存在、等という発想はここでも全く有りません。

しかし現実の問題として、今の人間に「生物進化」が自然に働くだろうか?、って疑問は多いに有ります。
先ず何より、自然選択が普通に機能するのだろうか?
個人ごとに、足が速い・遅いと言う変異が有ったとして(実際にある訳ですが)、自動車や飛行機を使えばその「生物的な」差は、殆ど意味が無くなります。
足の遅い形質が自然選択によって淘汰されるなんてことが、人間ではあまりなさそうに思えるのです。

或いは医学の進歩で、本来なら存続が許されなかったような「劣勢遺伝子」も、遺伝子プールに残り続けることも有り得ると思います。それはそれでとても良いことですが、これも「生物進化」と言う点からは、どうなのか?

そもそも人間と言う種において、どんな意味でも「隔離」が有り得るのか?、って疑問が有ります。
そんな中で、種分化を伴う進化が起こり得るものでしょうか。

あまり「進化論」立ち入って、又ボロでも出してもなんですからこの辺にしますが、単なる酒飲み話の空想物語として、次のようなことを考えたことは有ります。

医学の進歩で、かっては考えられなかった超未熟児でも、特に問題なく育つケースが増えているようです。
今でもヒトは、頭の大きさと産道との関係で、10ヶ月くらいの生理的早産で生まれてきているのだそうですが、もっと脳を増大させた胎児と、それに合わせて もっと早く「早産」するメス、それを支える医学の進歩の組み合わせで、人間はより、頭のいい方向に「進化」するのでは?、と.........。
しかしやはりそこにも、隔離の問題が障害になるかな?と、思ったりもしたところです。

と言うことで、私の「知ったかぶり」による論難で、気分を害された方に、深くお詫びをすると共に、誤解を受けていると思われる問題についての釈明をさせて頂きました。
今後もよろしくご指導、お願いするところです。

    

 

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このページは、雄が2007年9月 5日 08:49に書いたブログ記事です。

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