ヒト起源について-18

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RE fkさん

>雄さんのサイト拝見しました。

お恥ずかしい限りです。

>社会ダーウィニズム批判と銘打ち
>地球上にひとたび生物が生まれると、それから後は進化論で良く知られるよう に、下等の種から高等の種への進化が次々に起こり、ついにはある種の類人猿から人間への進化が行われました。
>これは同時に、サルの集団が人間の社会になったことを、すなわち生物的運動形態から社会的運動形態への移行が行われた事を意味します。
ttp://y-ok.com/appleclub/adam/contents2/contents_9.htm
と述べたことに矛盾は感じませんか。

 

感じません。
人間は生物であることは当然として、社会的な存在だと言う理解です。つまりその点で特殊だと。
生物としての側面以上に、社会的な仕組みによる制約に、多く依存していると思っています。

例えば端的に言って、同じヒトでありながら、北朝鮮に住んでいる人と、日本に住んでいる人では行動様式や考え方が大きく違っています。おそらく死亡率なんかも違っているでしょう。
これはその人の生物学的な違いから来るものではなく、社会的な事情です。

生物での適応度は、大雑把に言って、残した子供の数で計られる訳ですが、そう言う基準で人間の「適応度」が論じられることも有りません。
ビル・ゲイツが何人子供が有るか、ニュースで話題になったことを知りません。
封建社会と資本主義の今とでは、同じヒトでありながら、行動様式や価値観が全く異なります。

つまり社会には、生物の法則とは異なる社会の法則がある、と言うのが私の理解です。
勿論、ヒトとして生物である以上、代謝、繁殖など生物の法則も当然貫いているけれども、まあ全体としては背景、基礎的な位置づけだと思ってますけど。

その「社会」に、適者適存、優勝劣敗などと、生物学の法則を機械的に、或いは捻じ曲げて適応し、解釈、或いは合理化しようと言うのが「社会ダーウィニズム」であって、本来違う法則下にあるものだ、と言うのが私の考えです。

 

只、あれは個人サイトです。
あれをもって、他に、例えばこの板でことを構えようと言うことでは全く有りません。間違いも多々有るでしょう。
批判に耳をふさぐと言うことではありませんが、何しろここだけでも手イッパイで、逐一のご指摘には対応しかねるときも有ります。
出来れば、ここでの私の主張の範囲内で、反論なり何なりお願いしたいところです。

 

なお、「言葉」に関するコメントは後ほど。
私も、忙しくなってきましたので。

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このページは、雄が2007年9月 3日 08:35に書いたブログ記事です。

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