神田川と紅葉の小石川後楽園

 

東京に残る屈指の大名庭園、小石川後楽園

小石川後楽園は水戸徳川家の祖、頼房が中屋敷(後、上屋敷)として造ったもので、二代藩主光圀の代に完成とある。
「後楽園」の意は、中国の故事「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名付けられたと言うが、岡山にも日本三名園の一つとして「後楽園」がある。
小石川後楽園の隣は、東京ドームや遊園地で知られる「後楽園」が有って、今ではこちらが有名かも知れないが、勿論本家は小石川後楽園である。

なお小石川後楽園は文化財保護法によって国の特別史跡・特別名勝に指定されているが、この重複指定を受けているのは、浜離宮恩賜庭園、金閣寺など、ごく限られているそうな。
ともあれ、東京に残る大名庭園の中でも屈指の規模と景観には違いない。特に紅葉の名所として知られている。

 

神田上水とのかかわり

武蔵野・東京における「水辺フェチ」としてのおいらには、庭園の見事さや紅葉の鮮やかさと共に、ここが神田上水の重要なキーポイントであることに興味深い。
関口大洗堰で堰き止められた神田上水はそこで二つに分けられ、左側水路を上水(水道用)とし、余水を右側に流した。この余水の流れが江戸川と呼ばれるようになったが、1965年(昭和40年)河川法改正で神田川に統一された。
この江戸川の、今のお茶の水駅辺りが非常に深くなっていて「東京のグランドキャニオン」などと呼ばれることも有るほどだが、この渓谷は「仙台堀」「伊達堀」などと呼ばれ、二代将軍秀忠の命によって伊達藩が、当時の神田山と呼ばれていた本郷台地を切通した人口の谷。

関口大洗堰で分水された左側の上水は、一旦水戸藩江戸上屋敷(現在小石川後楽園)に引き込まれ、邸内の生活用水、庭園の池などに使われた後屋敷を出て、掛樋(これが水道橋)によってこの江戸川の渓谷を超えて江戸市中に配水されていた。
小石川後楽園にはこの神田上水の跡が残っている。

神田川-4 も併せて参照してください。

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧ください。 ※ 相当程度「推定部分」を含みます。

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撮影Map

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。

2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。

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外周

後楽園駅(地下鉄丸ノ内線・南北線)を降りたところ

入口は反対側なのでほぼ半周しなければならないが、この塀沿いの外周も風情がある。

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六葉葵門の瓦

水戸徳川家の正式な家紋は三葉葵だが、これは裏家紋なんだそうだ。

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振り返ったところ

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江戸城外堀の石垣再利用

この築地塀は、江戸城鍛冶橋門北側外堀城跡から出土した石垣の石材を使い、本園が作られた当時の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積み技法で再現されたそうだ。
石材を調達した大名を現す刻印や石割の際の「矢穴」などが確認できる。

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西門

通常の一般出入り口はこちら。

※ なお園内の写真は、順不同です。

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園内風景

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入口脇の涵徳亭

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小蘆山

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西湖の堤

中国の景勝地「西湖」を模したもの。大名庭園「西湖の堤」の先駆けとなった、と案内板に有る。

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大堰川

京都嵐山の下を流れる大堰川にちなんだもので、三代将軍家光がしばしば来園し、大泉水の設計と共に種々助言を与えたと言われている。両岸には蛇籠を伏せ、神田上水の水を暗渠により引き入れ、江戸時代には清い流れで園景を引き立てていた。

現在はポンプアップによるらしい。

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渡月橋

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音羽の滝の「源流」

神田上水を暗渠で持ってきていたと有るが、数年前に訪れた時には結構な水量の水、但しポンプアップで流れていた。

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屏風岩

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小鹿山の高台から

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得仁堂

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大泉水と蓬莱島

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円月橋

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ここからの流れが、神田川(跡)に繋がっている。

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神田川の風景

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園外に

東京ドーム11番ゲート付近にぶつかる形で終わる。
かってはこのまま直進した後、南(右)に折れる形で進み、江戸川(現在、神田川に統一)を掛樋(水道橋)で超え江戸市中に配水されていた(冒頭地形図参照)。

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紅葉の風景

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休憩所エリアの紅葉

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愛宕坂

京都愛宕山の坂に倣って造られたもので47段あるそうだ。

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菖蒲田、稲田

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東京ドーム3番ゲート脇に建っていた門

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内庭エリア

内庭は水戸藩書院の有った所。かっては唐門で仕切られ、大泉水側の「後園」とは区別されていたそうだ。

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木曽川、龍田川

内庭や大泉水の水を導いて、おそらく園外に排水していた水路だろう。名称はそれぞれの川になぞらえたもの。

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龍田川沿いの紅葉

木曽川の深山を抜けると大泉水脇に出る。流れる水路は木曽川から龍田川に変わる。

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名称も「紅葉園」

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園外への排水口(だと思う)

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出口に至る

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