善福寺川-3(善福寺川緑地から神田川合流)
この辺、結構清流に見える。
途中の水草や川底の砂利など、汚れを吸着するのだろうか?
和田掘り公園
善福寺川緑地に繋がる和田掘り公園。こちら右岸だが、左岸にも広がっている。
和田堀池からの流れ
和田掘池
左岸に広がるエリアに有る湧水池、和田掘池
和田掘池の源流
池の北側から湧き出している。
ここでも湧水地の例に漏れず、崖を背景にしているし、この崖上には古代遺跡群が見られる
湧き出し口から池方向を望む
カワセミ
和田掘池は都心では珍しいカワセミの生息地。それを狙う、レンズの砲列。
カワセミが生息していると言うことは、この池には餌となる小魚が沢山いると言うこと。
松の木遺跡竪穴式居住跡
武蔵野台地にあって、遊水池は古代遺跡が付き物。善福寺川沿線では、低地で水田耕作が行われるなど古くから人が住み着いていた模様。
右岸の崖上
今度は橋を渡って川の右側の崖に登る。こちらは相当な高低差が有る。
崖を背景に湧水
写真中央右側、崖を背景にした湧水の合流口が見える。東京名湧水57選にも入っているようだ。
大宮八幡宮
湧水地、三点セット
武蔵野の湧水地には、殆ど決まりごとのように「崖」「古代遺跡」「寺社」が付き物。三点セットと言っていいだろう。或いは「崖には『湧水池』『古代遺跡』『寺社』の三点セット」と言う言い方も出来る。
水の便の悪い武蔵野台地に有って、崖下は豊富な水が湧き、そこに古代から人が住みつき、神社・仏閣が栄える。
川と古代遺跡
下掲案内板に「当時、善福寺川沿いの低地では水田耕作が行われていた模様です」と有るが、ポンプなどの揚水設備が無かった古代、常に一番低きを流れる川の水を直接灌漑用水として使うことは難しかった筈。
崖から湧き出す水を必要に応じて使い、余った水を川に落とせるこう言う場所こそ水田耕作に最適だった筈で、川に沿って広がる崖の低地に、湧水を利用した水田耕作が細々と広がっていたのだろう。
本殿
正面入り口から
弓道場
弓道場も有った。神輿の数も結構あったし中々の規模の神社だった。
元々八幡宮は、武士たちが「南無弓矢八幡………」と戦勝を祈念する神社でもある。
崖を降りて又川沿いを行く
一部工事中で川沿いを辿れない場所も有った
親水公園風な場所
しかし常時公開している訳ではなさそう
東京都水道局和田ポンプ施設
環状七号線との交差脇に建っている施設。建物には「取水施設」とあり、実際に長い水門のようになっていた。
善福寺川は住宅地の低地を流れる河川で、氾濫に悩まされていた。その対策として、環七の下に巨大な調節池(神田川・環七地下調節池-貯留量:54万立方メートル)が設置されている、その取水口。
同じ取水施設は、神田川、妙正寺川にも有り、同じく環状七号線との交差位置に有る。
東京都建設局によれば、
神田川・環状七号地下調節池は、神田川中流域の治水安全度を早期に向上させるため、環状七号線の地下約50mに建設し、神田川、善福寺川、妙正寺川の洪水約54万m3を貯留することができます。
平成20年3月に第二期工事が完了し、上記の3河川から本格的な取水が行えるようになり、様々な降雨に対して効果的な取水ができるようになりました。
運用についても、遠隔監視操作システムが完成したことにより、善福寺川取水施設から他の取水施設のゲート・ポンプ・換気などの設備を操作できるようになりました。
……とある。詳細は同建設局パンプレット参照
環状七号線
この左詰めに上記取水施設が建っている。
この辺は又、立正佼成会の本拠地でもあるようだ。
環七を超えて
左側には立正佼成会の施設。信濃町の創価学会程ではなかったが、この辺から富士見橋に掛けて立正佼成会の幾つもの建物が林立していた
神田川との合流
和田廣橋
神田川との合流直前に掛かる、善福寺川最後の橋。
神田川
左奥は神田川の上流方向、右からの善福寺川と併せ、ここから二つの川は「神田川」に統一されて左後ろ側に流れる。
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