愛宕山ー東京23区、最高地点
最高地点
「23区内、最高地点」とタイトルにも書いたし、一般にもそのように言われることが多いが、これは間違いだと言う。あくまでも「自然地形でなおかつ“山”と呼ばれるものの中では最高」と言うことらしい。
23区西半分は武蔵野台地を形成、最高地点は練馬区南西端の、約58m。人造の「山」で言えば、新宿区の箱根山(44.6m)だそうだ(Wikpedia より)。
なお、愛宕山は海抜26メートル、上野の山が18メートル、湯島台22メートル、とのこと。
江戸時代、市街地及び品川沖の海を眺望する絶好の展望台として、又頂上の愛宕神社信仰で大いに賑わった。しかし現在、山頂の樹木と林立するビル群で、江戸時代の眺望は望めない。
なお全国に「愛宕山」は数多く存在する。多くは愛宕神社に関連する「伝搬地名」。その大元の愛宕神社(山城国葛野郡)の名も山名に由来する。
この愛宕山は、NHKの前身、東京放送局(JOAK)による日本初のラジオ放送発信の地としても知られている。「23区最高地」としてのこの地は、直ぐ近くに立っている東京タワー、及び東京スカイツリーの前身だとも言える。
愛宕神社のすぐ脇に現在NHK放送博物館となっている。
愛宕山とその周辺地形図
クリック、拡大表示でご覧ください。
撮影Map
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。
2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。
山の手台地と東京低地
何と言ってもここを有名にしたのは、この石段とそこを馬で登り降りした曲垣平九郎だろう。
そしてこの坂は、愛宕神社の有る山の手台地(淀橋台)と東京低地を繋いでいる。多摩川による扇状地礫層の堆積がここまで押し寄せたと言うことだ。
出世坂
1634年2月25日(寛永11年1月28日)、三代目将軍徳川家光が、二代目秀忠の三回忌として増上寺へ参拝。その帰りこの地に立ち寄り、山上に咲いている梅を見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と下命した。讃岐丸亀藩の曲垣平九郎が見事それを果たし、家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ大いに面目を施し今に至るまで全国に名を馳せている。それが起源となってのことであろうが、昔からこの坂は「出世坂」と呼ばれ、武士たちの信仰の山・神社となって来た。
なお曲垣平九郎の前に3人この命令に挑戦し、いずれも落馬、大怪我をしているそうだ。
又、曲垣平九郎以後、この「石段登頂」成功例は3例あると言う。
その内の一つ、平成になって馬術のスタントマン、渡辺隆馬が、安全網、命綱などの対策を取った上で登頂を果たしているが、これは私もTVで観ている。流石に真直ぐには登れないらしく、ジグザグのコースで登っていた。下りを試みたかどうか記憶が無い。
又、大正14年、岩木利夫と言う参謀本部の馬手が、登り3分、下り40分掛けて成功したと言う。愛宕塔・愛宕館の跡地に、東京放送局が竣工したのはこの年。
なお山頂・神社へのアプローチはこの石段だけでなく、幾つかあるし車でも頂上まで行ける。この山の下を通る道の、トンネル脇にはエレベーターまで設置されている。
正面からの写真だけでは、それ程感じないかもしれないが………、
男坂、女坂、出世坂
横から見るとその急勾配が分かるだろう。
右側の石段は、勾配のゆるやかな「女坂」。だが殆どの人は左の「男坂」或いは「出世坂」を登り降りする。
上から見下ろすとこんな具合
ここを馬で下ったとはねぇ。
愛宕神社
山の上の池
池の奥に二つの坂
女坂
女坂を登り切ると、ここ池の脇に出る。
新坂
女坂頂上部の反対側に、自動車での登り降りの道に繋がる坂がある。おそらくこの坂と、下の自動車道を「新坂」と言うのではないか?
愛宕トンネルとエレベーター
愛宕山の下をくぐる愛宕トンネル。その脇に愛宕山頂上に繋がるエレベーターの1階乗り口がある。
2階出口
乗降口は1階と2階の2ヶ所だけ。
2階出口はここに繋がる。右の建物はNHK放送博物館
エレベーターの途中に絡んで、通路が通っている。
ここでエレベーターの乗り降りは出来ない。階段で地上と繋がっている。
通路は山の手台地脇を通って、下のお寺(青松時など)に繋がっている模様。
NHK放送博物館
NHK発祥の地。
1925(大正14)年3月22日朝9時30分、東京芝浦の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声が流れ、その後7月ここ愛宕山で本放送が始まったという。
その「放送のふるさと」愛宕山に、1956年、世界最初の放送専門のミュージアムとしてNHK放送博物館が開館。
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