東京大学付属 小石川植物園
江戸幕府最初の上水、小石川上水
JR山手線大塚駅辺りから南東方向東京ドームに掛けて、主に都道436を谷底とする形で小石川の谷が刻まれている。この谷の上流部に、台地と谷に跨る形で小石川植物園は広がっている。
今、この地を歩いても水の流れを偲ばせるものはないが、小石川植物園の崖下には、いわゆるハケの湧水とそれを集めての池が見られる。かってはこの湧水も直ぐ脇を流れていた谷端川(千川・小石川)に注いでいたのだろう。
江戸に入府した家康が家臣の大久保藤五郎に上水整備を命じ、大久保藤五郎が最初に手を付けたのが小石川上水だとされている。それが発展・拡張されて神田上水に至るのだが、小石川上水に関しての記録は余り残っていないようだし、残っている記録についてもその内容の真偽が必ずしも定かではないようだ。
小石川植物園
元々は東京大学が開設した施設ではなく、江戸幕府によって開園された、小石川御薬園(こいしかわおやくえん)であった。幕府は、人口が増加しつつあった江戸で暮らす人々の薬になる植物を育てる目的で、1638年(寛永15年)に麻布と大塚に南北の薬園を設置したが、やがて大塚の薬園は廃止され、1684年(貞享元年)、麻布の薬園を5代将軍徳川綱吉の小石川にあった別邸に移設したものがこの御薬園である[1]。その後、8代徳川吉宗の時代になり敷地全部が薬草園として使われるようになる。1722年(享保7年)、将軍への直訴制度として設置された目安箱に町医師小川笙船の投書で、江戸の貧病人のための「施薬院」設置が請願されると、下層民対策にも取り組んでいた吉宗は江戸町奉行の大岡忠相に命じて検討させ、当御薬園内に診療所を設けた。これが小石川養生所であり、 山本周五郎の連作短編小説『赤ひげ診療譚』や、この作品を映画化した黒澤明監督作品の『赤ひげ』は、養生所を舞台とした医師の物語である。なお、御薬園は、忠相が庇護した青木昆陽が飢饉対策作物として甘藷(サツマイモ)の試験栽培をおこなった所としても有名である(Wikipediaより転載)。
『赤ひげ』の舞台
1本だけ映画を選べ、と言われれば私は『七人の侍』でなく、『赤ひげ』を挙げる。
その舞台となった小石川療養所と薬草園の跡地を引き継ぐ形で広がっている植物園。東大の研究施設で、一般の公園や庭園風に整備されていることを期待して行くと当てが外れるかも。林や野原そのまま、と言った風情も残る。これを「粋」と取るか「無粋」と取るか。
20年程前にも入ったことが有り、その時の記憶はハッキリしないのだが、もう少し「公園風」に整備されていたような気がする。その時は新聞に載っていた「ハンカチの木」の花を見に行った筈だ。
なおこちらは本園で、日光に分園が有るそうだ。
地形図
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撮影Map
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2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。
園内案内図
横に広い図です。画面に収まらない場合スクロールしながらご覧ください。
正門
精子発見のソテツとイチョウ
1896(明治29)日本人により初めて、イチョウとソテツで、相次いで裸子植物の精子が発見される。学術史上記念となるこの2つの裸子植物が園内に系統保存されている。
イチョウ精子の発見は、帝国大学理科大学(東京大学理学部)植物学教室助手平瀬作五郎。ソテツ精子は、農科大学(農学部)助教授)池野成一郎。
池野は第二回学士院恩賜賞に押されたが「平瀬と一緒なら」と言って、二人同時の授与になったそうだ。
記念のソテツ
正門を入った直ぐの所にある。
池野成一郎の資料は鹿児島での入手であり、このソテツは鹿児島県立博物館からの、分埴によるものらしい。
記念のイチョウ
正門を入って坂道を登り、桜林を抜けた所に記念のイチョウは建っている。
イチョウは原木、現在樹齢300年程らしいから徳川幕府が開いた小石川御薬園当初からのものと言える。
正門からのアプローチ
本館
イロハモミジ並木
サクラ林
柴田記念館
大正7年に、当時植物園内にあった東京大学植物学教室の柴田桂太教授が、植物生理化学の研究業績に対して授与された学士院恩賜賞の賞金を寄付し、それをもとに翌大正8年に建設された、植物園に残っているもっとも古い建物です。もともと生理化学の研究室として使われていましたが、2005年春に外装を改修し、内部も展示・講演を目的とした部屋に改装しました。(公式サイトより転載)
コダチダリア
左側にサクラ並木が見える。
甘藷試作跡地
小石川療養所時代の井戸の跡
映画『赤ひげ』のラスト近くで、井戸を使った感動的なシーンが出て来る。この井戸がモチーフとなっているのだろう。
巨木があちこちに
クスノキ
スズカケノキ
看板には、明治19年に導入された日本で最も古いスズカケノキの一つ、と記されている。
モミジバスズカケノキ
ユリノキ
針葉樹林
モミノキと、奥はヒノキ。木曾の山の中のよう
シマサルスベリ
ここまでは崖上、ここからは崖下
崖下に続く道
相当な高低差が有る
崖下に付き物の湧水
ここでも例外ではなかった。
東京大学総合研究博物館小石川分館
「明治9年(西暦1876)に建築されたこの建物は、旧東京医学校の本館で、東京大学に関係する建造物では現存する最古のものです。国の重要文化財に指定されています。昭和44年(西暦1969年)に本郷構内より移されました」と、東大小石川植物園サイトには有った。
野原のあずまやと言った感じ
ラクウショウ(沼杉)と、その気根
※ ラクウショウについては、こちら
メタセコイア
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