玉川上水-7(小金井公園から三鷹)
地形図
地形の起伏が有りませんので、地形図は割愛します。
撮影Map
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。
2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。
小金井公園を後にして
緑道の左側はサクラ、右側には主にケヤキ。
小平区間に比べ全体に樹高は低くなっている。
分水口址
現在使われている気配はない。
旧千川上水取水口
現在の千川上水はここから約500メートル弱下流、境水衛所から分水、始まっているがしかしこれは「清流復活事業」の際に設置されたもので、かっては何回か取水口位置が変更されていて、ここも1871(明治4)年設置のものらしい。
堰の跡だろうか?
くぬぎ橋
同じ名前の橋が、上流小平区間にもある。雰囲気は大分違う。
境橋
この橋の直ぐ下流に、境水衛所跡と、千川上水の分水口がある。
境水衛所跡と、千川上水
江戸時代、上水の水質保全などの管理の為、32ヶ所の水衛所が設けられたらしい。そのうちの1ヶ所で、歴史遺産として保全されている。
又ここで千川上水が分水されていて、千川上水も歴史遺産として一部の区間保全されて実際に水を流している。尤もこの区間の玉川上水と同じく、高度処理されているとはいえ下水ではあるが。
新旧分水口
この千川上水境分水口は、1989(平成元)年の清流復活事業の際設けられたもので、かっては何度か取水口の場所が変わっていたらしい。その一つが500メートル弱上流に残っている。
千川上水分水口(左側)
玉川上水下流方向
千川上水開始地点の緑地
千川上水は一時暗渠でこの緑地の下を通り、正面植え込みの先で顔を出す。
千川上水
ここで千川上水が顔を出し、暫く開渠で流れてゆく。
千川上水緑道
中々の雰囲気。
玉川上水に戻って
独歩橋と国木田独歩文学碑
随筆『武蔵野』作者。
碑文には「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、 」と彫られているが、これは『武蔵野』第六章の書き出しである。この碑は、1957年(昭和32年)、独歩50年記念に、武蔵野保存会の手によって作られたそうだ。
境浄水場
玉川上水と並ぶ形で、五日市街道に面して広い境浄水場が続いている。
ここの水道原水は、玉川上水から直接ではなく、山口・村山両貯水池から導水されている。
写真右側に桜橋。
ここから暫く、上水沿いに歩道を兼ねた広い緑道が続く。
品川用水分水口跡
この少し上流に左(北)側への分水口が並んでいた。左右に分水できるということは、玉川上水が台地の峰・分水嶺を通っていることの証でもある。
銀杏橋・ぎんなん橋
都道12号線に架かる橋。
車道部分が銀杏橋。直ぐ脇の歩道橋がぎんなん橋。確かに橋の脇に大きなイチョウの木がそびえている。
鉄橋架台跡
銀杏橋の脇の案内板と、架台跡。
謎のコンクリート構造物
下掲写真のコンクリート出っ張りについて、何の跡?若しかしたらかっての船着き場の跡か?
………と、書いたら、かって武蔵野市に居住していたS.Tさんからメールを頂いた。
それによるとここは戦後から1960年頃まで武蔵境駅から浄水場まであった引き込み線の鉄橋架台跡だとのこと。写真の対岸にも橋桁を載せたコンクリの出っ張りが写っているし、またその先はいまは散策道となっている緑道が見える。
国土地理院の古い地図にその引き込み線が書かれているとのこと。
S.Tさん有難うございました。
銀杏橋から右岸を歩く
銀杏橋の先、右側のイチョウの木の脇から雰囲気の有る緑道が続いていた。ここで玉川上水の右岸に変更して歩く。
カメラ電池切れ
実はここでカメラの電池が切れてしまった。
…と言うことで、切れのいい三鷹駅までの区間は日を改めて、2016/12/3撮影分を掲載。
けやき橋
都道121(三鷹通り)に架かるけやき橋で玉川上水は暗渠となり、三鷹駅北口のすぐ手前で一旦開渠として顔を出すが、その後三鷹駅の下をくぐって南口で顔を出す。
こちらは右岸緑道側からのけやき橋。
左岸、バス通り側からのけやき橋。
三鷹通り
渡った正面、親水公園風な緑地になっている。但し玉川上水の水は暗渠でくぐる。
親水公園風な緑地
三鷹駅をくぐる玉川上水
三鷹駅の真下を斜めにくぐって南口で顔を出す。だから(だと思うが)三鷹駅には地下が無い。
三鷹駅北口
北口駅前の紅葉
今回ここまで
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