入間川-1(中仙川源流から東西水路分岐まで)

 

入間川(中仙川或いは大川)源流から、中仙川東西水路分岐まで

入間川(いるまがわ)は、東京都の主に調布市を流れる多摩川水系野川支流の一級河川。上流部は中仙川(なかせんがわ)と呼ばれている(Wikipediaから転載)。

埼玉県にも荒川水系の一級河川として同じ字で入間川が有るが、埼玉の方は「いるまがわ」と呼び、今回の入間川は「いりまがわ」と呼ぶ。なお「入間川」と呼ばれるのは甲州街道以南の調布市を流れる下流部。甲州街道から北の上流部はWikiにもあるように「中仙川」と呼ばれているし、大川と呼ばれていたこともあるようだ。

 

 

武蔵野台地のメインリバー?

実は入間川を知ったのは比較的最近のこと(2014年)。野川や仙川は前から知っていて何度か辿ったことは有るが、その間を流れている入間川のことは知らなかった。
地図を見ていて「あれっ、こんなところに川が!」と気づいたのだが、甲州街道の脇からひっそりと顔を出すこの川は目に入らないままでいた。
しかしその後調べてゆくと、この入間川、中々由緒正しい川らしいことに気づかされた。入間川は調布市入間町で野川に合流、その後野川は仙川も取り込みながら二子玉川で多摩川に合流する武蔵野台地でも最大の川で有る訳だが、実は入間川合流地点から下流は、かって野川としてではなく入間川として流れていたのだそうだ。
六郷用水(次大夫堀)との絡み合いも含め、改めて入間川の痕跡と流れを源流から辿ってみることとする。

 

東西分岐

中仙川は三鷹市中原4丁目付近で一旦西水路(仮称)と東水路(仮称)に分岐、谷地地形の両端に沿って流れ、甲州街道のすぐ手前、調布市東ツツジヶ丘1丁目付近で再度合流、甲州街道をくぐったところで今度は「入間川」と名を変えて開渠として姿を現す。

最初に「入間川-1」として、調布市深大寺東町8丁目付近の源流部から、東西水路分岐までをこのページで取り上げる。
分岐後の水路は、「入間川-2」として西水路(仮称)を、「入間川-3」として東水路(仮称)を、甲州街道手前の再合流地点までそれぞれ分けて辿ってみた。

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧ください。(入間川-1、-2、-3 共有)

入間川-1地形図.jpg

 

撮影マップ

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。 (2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します)。(入間川-1、-2、-3 共有)

160903中仙川photomap.jpg

    

 

入間川(中仙川)源流部

調布市深大寺東町8丁目付近に「入間川(大川)源流部跡」の碑が立っている。しかし現在、有るのは碑だけで、道路や住宅街のなか、湧水や水路の気配は全くない。
だが地形図を見るとここは、台地に食い込んだ谷地地形。正面の道路はその一番の谷筋を通っていて、現在気配は全く感じさせないがおそらくこの道路がかっての水路跡だったのだろうと推測させる。

 

両側の碑文

源流地跡の碑の両側には、入間川の案内や歴史的経過が記されている。

右側

入間川は、一名大川ともよばれ、調布市深大寺東町(旧 諏訪久保)を源流地とし、野ヶ谷団地および三鷹市中原町を経て、東つつじヶ丘と若葉町の境を南に流れ、入間町で野川に合流する。総延長約5キロメートルにわたり、石器時代の昔から現代にいたるまで、人びとの生活に欠かせない重要な役割を果たしてきた。
この源流地は今でこそ道路や住宅地のため元の面影は見られないが、かって昭和のはじめ頃までは各所にお釜とよばれる湧水地が有り、豊富な清水を湧き出していた。

左側

かって入間川は、中世の頃まで世田谷区砧2丁目付近で仙川と合流し、多摩川に注いでいた。慶長16年(1611)六郷用水が完成するや、世田谷区喜多見でこれと合流した。
また入間川源流地帯は、安政2年(1855)の大地震で水涸れがおこった。その対策として明治4年(1871)深大寺用水が開設されるや、その東堀はこの地で川をはさんで二つに分かれて南下し、一部は野ヶ谷団地の南で入間川に合流するようになった。昭和42年(1976)野川の流路変更工事により、この川は入間町二丁目付近で野川と合流するにいたった。

160903中仙川-2.jpg

 

三鷹通りと交差

水の痕跡は全くないが、兎も角前方に続くこの道路が地形的には一番低地。川が有ったとすればここしか無い筈。

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なんとなく暗渠っぽい雰囲気

160903中仙川-7.jpg

    

 

中仙川暗渠道

原山交差点を超えたところから、ハッキリした暗渠の風景が見えてきた。やはり今までのコースで間違いなかったようだ。

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コンクリートの蓋がされていて、いかにも暗渠、と言った風情。湧水を集めた清流がかってここを流れていたのだろう。

160903中仙川-9.jpg

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中央自動車道

暗渠道は中央自動車道の高架にぶつかる。ここで中仙川は僅かな区間開渠として姿を現し、左に方向を変えて中央道に沿って流れる。

160903中仙川-11.jpg

 

開渠としての出口

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中央道高架の下をくぐり、ほぼ直角に左折、中央道に沿って流れる。フェンスに囲まれて立ち入りは出来ない。
この時点で水流は見えなかった。

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前方で右に曲がる。

160903中仙川-17.jpg

 

中央道から離れ三鷹中原四丁目アパート敷地を流れる。アパート敷地も立ち入り禁止でフェンスの外から見るのみ。
僅かではあるが水の流れを確認できる。中央自動車道の下(2枚上の写真)では水が見えなかったが、この水はどこから供給されたのか?

160903中仙川-18.jpg

160903中仙川-19.jpg

 

中仙川遊歩道スタート

木の枝が邪魔をして写真では分かりづらいが、道を挟んで開渠部(写真右側のフェンス)から、再び暗渠の「中仙川遊歩道」に変わる。

160903中仙川-20.jpg

 

上の写真と同じ場所。
よく整備された遊歩道が始まる。

160903中仙川-21.jpg

160903中仙川-22.jpg

 

車道に沿って、歩道の形で遊歩道が続く部分と、車道から離れて単独で遊歩道が続く部分が交互に続く。

160903中仙川-24.jpg

 

「近幸橋」とある。

160903中仙川-25.jpg

 

東西水路分岐

標識のようなものはないが、おそらくこの辺が東西水路の分岐地点であろう。
ここまで辿って来た水路はこのまま写真右側に続く。地理的には西側になるので、取りあえず「仮称西水路」と呼ぶこととし、最初にこの西水路を辿る。

160903中仙川-92.jpg

 

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