六郷用水-1(多摩川取水から次大夫堀公園)


六郷用水(次大夫堀)、多摩川取水から次大夫堀公園

 

六郷用水基礎データ

  • 工事時期と担当者
    1597(慶長2)年、徳川家康の命で、小泉次大夫の指揮により工事開始、多摩川対岸(現在の神奈川県川崎市)の二ヶ領用水と並行して開削が進められ1611(慶長16)完成とある。江戸幕府が最初に手掛けた用水堀で約15年の工事期間。
    ※ 玉川上水の掘削・完成が1653年だから、それと比較しても約半世紀前の工事と言うことになる。

  • 六郷用水の規模
    多摩川取水口から六郷領まで全長25Kmとも30Kmとも言う。六郷領に入って網の目のように支流・内堀が張り巡らされ、どこまでを含めるかによって数字は異なる。二ヶ領用水の全長は約32Kmとある。
    開削当時の堀幅が、本流で3.6m、南堀2.4m、北堀2.1mで、後に本流93センチ、南堀本流87センチ、北堀本流57センチ、それぞれ拡幅したとある(「大田区の散歩道8 六郷用水」から参照させて貰いました)。
    ※ 玉川上水の全長(分水路を含まず)が43Km。これを1年足らずで開通したそうだ(記録によっては1年余りとの説もある)。六郷用水も勿論難工事では有ったにしても、改めて玉川上水の工事期間には舌を巻く。

  • 六郷用水の名称
    多摩川下流域の六郷領の灌漑が主な目的だった為の「六郷用水」。
    小泉次大夫の名前をとっての「次大夫堀」。
    特に世田谷区では次大夫堀公園の名が示す通り、次大夫堀と呼ぶのが普通の様だ。それは「六郷領」が今の大田区の地名であり、世田谷区民としては、六郷用水より次大夫堀の方が親しみやすかったのだろう。
    現在、一部の区間が「丸子川」として、開渠通水し親水エリアになっている。

 

関連ページ

六郷用水は、根川旧野川等と密接に関連している。
これらのページも一緒に参照して下さい。

 

六郷用水と国分寺崖線

六郷用水(次大夫堀)のコース大半は国分寺崖線の縁ギリギリを通っている。
世田谷区鎌田の、仙川に掛かる水神橋脇から大田区千鳥町の「南北引き分け」まで、開渠、せせらぎ、暗渠・緑道と姿形は変わるがこの間のコースは国分寺崖線の縁を歩くことであり、言い換えれば武蔵野台地の輪郭をなぞり眺めることと同義と言っていい。その点でも貴重なコース。

 

地形図と流路

クリック、拡大表示でご覧ください。
六郷用水は、野川と入間川、仙川などと密接に関係している。一括表示しておきます。

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撮影Map

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。 (2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します)。

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多摩川からの取水口

六郷用水の取水口は現在の狛江市元和泉、都道114の水神前交差点付近だったらしい、…が、多摩川の改修工事などにより現在その痕跡は全く見当たらない。

取水口現場?

多摩川が土手にぶつかりながら大きく右に蛇行してゆく。この地形を利用して写真のこの辺に取水口が設けられていたらしい。
対岸まで竹で編んだ蛇籠を積んで大規模な堰を築き水位を上げていた。堰の上流は湖の様な瀞になっていたそうで、その水が静かに六郷用水に流れ込んでいたと言う。
今その痕跡はない。

写真中央右寄りに「六郷配水樋管」。その右側を降りたところが都道114の水神前交差点。
取水口の痕跡は無いが、それを伝えるいくつかの碑が置いてある。

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都道114の脇に立っている、「六郷用水取り入れ口」の碑

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水神前交差点

多摩川土手の脇、都道114の水神前交差点。

 

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水神社

水神前交差点の名前の由来神社だろう。
大きな神社ではないが、敷地にある「水神社由緒」によれば、元々は多摩川の洪水に端を発した神社だったようだが、六郷用水(次大夫堀)完成後はその偉業をたたえ、用水守護を祈念するようになったらしい。

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不思議?な空堀

多摩川に並行する都道114に沿って、水神前交差点から上流側に結構立派な堀が500メートル程開渠として伸びている。
位置的にはこのまま六郷用水に繋がるコースになっているが、取水口より上流に続くこの堀が六郷用水だとは考えにくい。

これは全くおいらの独断的推論なのだがこの堀の左側(北側)、今は多摩川住宅としてアパート群になっている場所が、かって「千町耕地」と呼ばれた田んぼが広がっていたそうだ。
この地は大きく湾曲しながら多摩川に落ち込む立川崖線に囲まれた内側で、根川を中心としたハケ下の湧水を利用しての水田が広がっていた。

写真に見られるこの堀跡は、若しかしたらこの千町耕地の田んぼの排水路だったんじゃないか?位置的にそう考えて不思議じゃない。
排水とはいえ、その水を多摩川にただ捨てるに忍びなく、若しかしたらそのまま六郷用水に助水していたのかも知れない。
歴史的経過は全く分からないが………。

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上流側から。
写真右は多摩川土手。

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根川と六郷用水、玉翠園

上記空堀(下の写真左側)と根川(写真右側)が合流、六郷配水樋管を通って多摩川に排水される。この合流地点に玉翠園と言う料亭が有った。今その石垣の片りんと案内板がこの場所にある。

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玉翠園

根川合流地点の脇、都道114と根川が交差する水神前交差点に石垣跡が残っている。多摩川の玉石を数万個使っての壮大な石垣で囲まれた料亭、玉翠園が有った場所。
当時多摩川の水は澄み切っていて川底の石が良く見えたそうだ。その多摩川と富士山の遠望、脇を流れる根川の清流。
六郷用水取水の為、蛇籠の堰で堰き止められた多摩川に屋台船を浮かべ(下の案内板参照)、鮎など多摩川の川魚を提供する料亭がこの場所に建てられ、当時草深い田舎だったであろうこの地に、明治の新政府の要人や軍人たちが東京から訪れ、大いに賑わったそうだ。
その玉翠園も、昭和10年代、堤防改修工事に伴う船溜まりの消滅、戦争の激化などにより廃業の止む無きに至り、現在は小さな空き地にその痕跡と碑を残すのみ。

六郷用水と根川

玉翠園の脇を流れる根川を六郷用水に合流させず、六郷用水を掛樋で交差していた時期が有ったそうだ。河原の田んぼに給水する為だとのこと。

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六郷用水(跡)を辿る

用水としての痕跡は全く感じられないが、かっての六郷用水の流路だった都道114を辿る。
歩道が分不相応に広いのは、若しかしたらこの下に用水の暗渠が通っているのだろうか? 普通暗渠の上に自動車道は通さない。

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こちらは狛江駅に向かう右側の歩道。
やはり不相応に広い、と感じるのはおいらだけか。

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歩道脇の植栽

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むいから民家園

都道114脇にある古民家園。規模は大きくないが。

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田中橋

六郷用水の痕跡は地面上には見当たらないが、交差点の地名にその痕跡を残す。

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泉龍寺

ここで都道114から右に別れる。
写真右側は泉龍寺。広い境内にうっそうとした林と弁財天池などが点在、狛江市史跡となっている。
又、弁財天池に端を発しての流れが有って、旧野川や六郷用水とも絡んでいたらしい。

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小田急線狛江駅前

道路と六郷用水は狛江駅の前を左側に続く。

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駄倉橋碑

狛江駅近くの道路脇に有る。

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旧野川合流

ここで、昔の野川が左側から入ってきて合流、そのまま六郷用水として前方、小田急線をくぐって進む。
六郷用水の開通とともに、この場所で旧野川の下流は六郷用水に取り込まれることとなった。

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下流側からの合流地点

旧野川が写真右奥から流れ込み、中央左奥からの六郷用水に、ケヤキ木の辺りで合流。

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右にカーブしながら小田急線をくぐり、六郷用水は続く。但し流れの痕跡は見当たらない。

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新一の橋

世田谷通りに入る。信号は「新一の橋」。ここを左に曲がり、世田谷通りを行く。

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一の橋

同じく交差点信号の地名に残す痕跡。

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二の橋

ここで旧野川が右に分流、宇奈根まで流れていたらしい。

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滝下橋緑道

世田谷通りから右側に入る「滝下橋緑道」
ここからようやく六郷用水の跡が顕著に見られる。

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やはり「水路跡」はこうでなくっちゃ。

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芝生広場と案内板

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野川と入間川

野川にぶつかる。こちらは現在の野川。
六郷用水が現役だった頃、目の前の野川は無く入間川が流れていた。六郷用水はその入間川を合流して右側(南側)に流れてゆく。

つまりここで入間川も旧野川と同じく、下流部分を六郷用水に取り込まれることとなる。

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野川対岸から見た六郷用水排水口

六郷用水としての、おそらく最後の水路跡?

かっての入間川、現在野川となっているが、この日は氾濫防止の工事中だった。その土手に開いた六郷用水排出口。
おそらく六郷用水の、元々の水路としての痕跡はここが最後だと思われる。ここから先、六郷用水跡に現れる水路(次大夫堀公園、丸子川、大田区の復元水路など)は全て、かっての六郷用水の水を引き継いでいない。

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次大夫堀公園

現在の野川に沿って500メートル程下流。野川の右側に広がる「次大夫堀公園」。
六郷用水の流路を復元する形で整備された公園。広大、とまでは言えないが古民家園などが併設され、なかなか味わい深い。

ここに復元されている水路は、野川の水をポンプアップしてのもの。

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入口部分

工事中だった。

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道路を挟んで本格的な公園施設。

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かっての六郷用水(次大夫堀)ほどの規模ではないのだろうが、おそらく水路の跡を比較的忠実に再現しているのではないか。なお流れる水はポンプアップによるもの。

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古民家園

直接六郷用水(次大夫堀)と関係する訳ではないだろうが、水路脇に併設されている古民家園。一旦流路から離れてここに入ってみる。
幾棟かの民家が移築されて建っている。

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現在活用中の古民家

この古民家園の特徴だと思うが、単に展示・見学に供するだけでなく、常に何らかのイベントに使われているようだ。
今回、この屋敷の中では尺八の演奏がされていた。前回来た時にはソバの手打ち実演会のようなものが開かれていた。

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建物の中にも自由に出入りできる。

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囲炉裏で火を焚いていた。うちわで扇いでいたがなかなかうまくゆかない様子。「火吹き竹が有ればいいですね」と声を掛けてみたが、今、火吹き竹なんてのは知らないんだろうな。
茅葺の屋根は中で火を焚き、煙でいぶすことで湿気を伏ぎ害虫を予防し、長持ちさせる。すす払いが大変ではあるが。

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こちらは鍛冶屋同好会。

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水路に戻って

次大夫堀公園が続く。

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都道428を、陸上とトンネルで超える。

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都道428脇の案内板

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都道を超えて

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野川合流

前方、野川にぶつかる。
用水の左脇に芝生広場が広がる。

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野川対岸から

ここで野川に排水される。
六郷用水現役時代、目の前の野川の流れは、おそらく………無かった。

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六郷用水(跡)はここで野川を超えて、仙川脇で丸子川として姿を現す。

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