玉川上水ー番外編(江戸東京たてもの園)
江戸東京たてもの園
玉川上水沿線散策の途中立ち寄って見た。陣屋橋から都道7号線を渡った江戸東京たてもの園前交差点から入る。広大な小金井公園の一角にある。このたてもの園だけでも結構な敷地を持つ。
建て物の説明は、入園の際貰ったパンフレットをほぼそのまま使わせて貰った。
入館料、一般 400円 65歳以上 200円。
旧光華殿
入り口で有り、ビジターセンター
1940(昭和15)、皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典の為建設された式殿。翌1941(昭和16)に小金井大緑地(現、小金井公園)に移設、光華殿と命名。江戸たてもの園の開設にあたり、ビジターセンターとして改修される。
(千代田区千代田/1940年)
園内Map
※ より詳細なMapは江戸東京建物園サイトの「案内マップ」で。
センターゾーン
江戸東京たてもの園の出入口になる「ビジターセンター(旧光華殿)」や旧武蔵野郷土館資料の展示室があるほか、「高橋是清邸」などの歴史を伝える建物が復元・展示。
午砲
エントランス広場に有る
旧自証院霊屋(おたまや)
尾張藩徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍家光の側室)を供養する為に建立した霊屋。東京都文化財指定。
(新宿区市谷富久町/1652年)
高橋是清邸
母屋部分。総つが普請で洋間の床は寄木張り。2・26事件の現場でもある。
(港区赤坂7丁目/1902 年)
西川家別邸
北多摩屈指の製糸会社を設立した実業家西川伊佐衛門が隠居所、接客用に建てたもの。
(昭島市中神町2丁目/1922年)
伊達家の門(旧武蔵野郷土館収集)
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門。<起り(むくり)屋根>の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしている。総ケヤキ造りで、門柱の上に掛けられた冠木には宇和島藩伊達家の木彫りの家紋が施されている。
(港区白金2丁目/大正期)
正面
園の外、柵の外から
東ゾーン
昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことができる。
復元した建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示。
万世橋交番
正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとに有り伊地区の際はトレーラーでそっくり運んだそうだ。(千代田区神田須田町1町目/明治後期)
下町中通り
正面は子宝湯
東京の銭湯を代表する建て物。神社仏閣を思わせる大型の唐破風や玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の格天井など、贅を尽くした作りとなっている。(足立区千住元町/1929)
武居三省堂(文具店)
明治初期創業の文具店。当初書道用品の卸だったが、後に小売りに。(千代田区神田須田町1丁目/1927)
三省道の右奥は丸二商店
昭和初期に建てられた荒物屋。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴。
[千代田区神田神保町三丁目/昭和初期]
小寺醤油店
大正期から、現在の港区白金で営業していた店。庇の下の腕木とその上の桁が特徴の出桁造り。(港区白金5丁目/1933)
万徳旅館
青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館。建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた1950年(昭和25)ころの様子を復元。
[青梅市西分町/江戸時代末期~明治時代初期]
万徳旅館内部
鍵屋(居酒屋)
台東区下谷の言問通りに有った居酒屋。震災・戦災を免れた鍵屋は、1856年に建てられたと伝えられている。(台東区下谷2丁目/1856)
店蔵型休憩棟
1階は無料休憩所。2階には武蔵野の伝統の味を伝える手打ちうどんや日替わり弁当等の店。
村上精華堂
台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)
(台東区池之端二丁目/1928年)
天明家(農家)
江戸時代、鵜ノ木村(現在の大田区内)で名主を務めた旧家。正面に千鳥破風を持つ母屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえる。(大田区鵜ノ木1丁目/江戸時代後期)
天明家の門(内側)
西ゾーン
山の手通りに面してさまざまな建築様式の住宅を復元・展示。
また、さらに西に行くと、昔懐かしい茅葺きの民家が並んでいる。
エントランス広場から西ゾーン方向
田園調布の家(大川邸)
1925年郊外住宅地の1つである大田区田園調布に建てられた住宅。当時としては珍しく全室洋間。(大田区田園調布4丁目/1925)
前川國男邸
日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、建てられた住宅。戦時体制下の建築資材入手が困難な時期の竣工。外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に、書斎・寝室を配したシンプルな間取り。(品川区上大崎3丁目/1942)
小出邸
日本におけるモダニズム運動を主導した建築家、堀口捨己が、ヨーロッパ旅行から帰国直後に設計した住宅。当時オランダで流行していたデザインと、日本の伝統的な造形を折衷した作りになっている。(文京区西片2丁目/1925)
三井八郎衛門邸
三井同族11家総領家、三井八郎衛門高公氏の第二次世界大戦後の住宅。港区西麻布に1952年建てられた。客間と食堂部分は1897年頃京都に建てられ、戦後移築。(港区西麻布3丁目)
八郎衛門邸の側面
デ・ラランデ邸
元は平屋だったものを、1910年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、3階建てとして大規模に増築された。(新宿区信濃町/1910頃)
常盤台写真場
健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館。照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得る為に、2階写場の大きな窓には北側から光を採ることが出来るように摺りガラスがはめ込まれている(板橋区常盤台一丁目/1937)
八王子千人同心組頭の家(右)
八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団。拝領屋敷地の組頭の家は、周辺の農家と比べて広く無いが、式台付きの玄関など、格式の高さを示している。(八王子市追分町/江戸時代後期)
綱島家(農家)
多摩川を望む崖線上に有った、広間型の間取りを持つ茅葺の民家。広間を囲む長方形断面の大黒柱や、押し板と言う古い形式の装置などから建物の歴史が感じらる(世田谷区岡本三丁目/江戸時代中期)
吉野家(農家)
江戸時代に建てられた民家。吉野家は江戸時代に野崎村(現、三鷹市野崎)の名主。式台付きの玄関、付け書院の有る奥座敷に格式を見ることが出来る。(三鷹市野崎2丁目/江戸時代後期)
奄美の高倉
奄美大島に有った高床式の倉庫。(鹿児島県大島郡宇検村/江戸時代末期)
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