神田川-5(江戸川橋から隅田川合流)
江戸川橋
前回ここまで
ここから神田川の横に首都高速池袋線の高架が被さる。
旧江戸川を隅田川まで
飯田橋
神田川と、水面として残っている四谷~飯田橋間の外堀がぶつかるところ。
道路も水面も、そこに架かる橋も複雑に絡み合っている。
小石川橋-日本橋川が分流
ここで日本橋川が分流され、JR中央本線の下をくぐって南東(右)に流れる。
首都高速5号池袋線の高架もここで右にカーブし日本橋川に被さる形で通ってゆく。道路起点となっている日本橋の上が高架で塞がれていることはご存知の通り。
1964年の東京オリンピック開催に当たって、大幅なインフラ整備が急がれた訳だが、道路用地として活用できるスペースが川の上しかなかった為の処置で、都心の河川に共通。
東京ドームと小石川後楽園
神田川に沿っての都道405から北側方向。東京ドームに隣接して小石川後楽園がある。
神田上水の旧上水路は小石川後楽園(旧水戸藩江戸上屋敷)に先ず導かれていた。
水道橋
白山通りに架かる橋。水道橋の名前の由来は水戸屋敷から出た神田上水が、関口大洗堰で余水として分流・流された江戸川(現在神田川に統一)をここで掛樋によって超えていたことによる。但し当時の掛樋橋はここより少し下流だったようだ。
水道橋から北方向白山通り
遊園地の後楽園が見える。白山通りは小石川の谷筋になっている。
かってここに小石川が流れていたのだろう。
御茶ノ水分水路吞口(入口)
水道橋の直ぐ下流に見える。御茶ノ水分水路戸口(出口)は昌平橋と万世橋の間にある。
御茶ノ水分水路記念石
水道橋記念プレート
水道橋脇にあるモニュメント
案内プレート
モニュメントの直ぐ脇に設置してある(上の写真で男性が見ているもの)。関口大洗堰から水戸屋敷を経て水道橋の掛樋に至る、旧神田上水のルートが記されている。
掛樋の記念碑
現在の水道橋から100メートル弱下流の位置。
東京のグランドキャニオン-仙台堀
この辺、御茶ノ水駅にかけて非常に深くなっている。誰かが「東京のグランドキャニオン」と書いていたが、確かにむべなるかな、と言った感じである。
しかもこの「渓谷」は当時、神田山と呼ばれていた本郷台地を切り通しての人の手による谷である。
二代将軍秀忠の時代、平川(神田川の昔の名前)を江戸城の天然の堀とすべく、その工事を伊達藩に命じた。
藩祖正宗が、現在の飯田橋近くの牛込橋から秋葉原近くの和泉橋間を担当し、この区間にある神田山を切り通して現在の御茶ノ水に人口の谷を開削した。この区間は特に「仙台堀」或いは「伊達堀」とも呼ばれる。
御茶ノ水橋
上記したようにこの前後が神田川で一番深いところ。
現在の「東京のグランドキャニオン」でもあり、かって漢学者達から、中国の絶景「赤壁」になぞらえて小赤壁とも呼ばれていたそうだ。
御茶ノ水橋から下流、聖橋を望む
聖橋から下流方向
遠く見える橋は昌平橋
万世橋
秋葉原フェチにはお馴染みの橋。
直ぐ近くに、今は廃止されたレンガ造りの万世橋駅の跡がある。
万世橋から下流方向
柳橋
神田川としては最後、最下流の橋。
隅田川に合流
柳橋から合流点を見る。中央の橋は隅田川に架かる両国橋。
両国橋
当時の武蔵国と下総国を結ぶので「両国」橋。
両国橋から見た神田川合流
隅田川下流方向
やがて東京湾に注ぐ。
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