2022/2 金華山
チャートの塊、金華山の馬の背コースを登る
岐阜のシンボル金華山
金華山は岐阜のシンボルとして、岐阜の市街地に囲まれた標高329メートルの低山である。何本かの登山道と共にロープウェイも設置されていて、岐阜市街の夜景を一望できるデートスポットともなっている。
こう言うと何となく手軽で穏やかなイメージが有るが、金華山は山全体が丸ごとチャートと呼ばれる古くて硬い岩の塊で、登山道もそのゴツゴツした岩肌が露出し、特に「馬の背」と呼ばれる登山コースは「老人・幼児には無理です」と看板に書かれる程に一筋縄ではいかない。
最近売り出し中の山ガールユーチューバーも、この馬の背をトレーニングコースにすることがあるとのこと。我々が1回登ってヒーヒーしている馬の背をこの山ガールは3往復するとのことで、やはり只者ではない。
チャート
角岩と呼ばれることも有ったが、定義上の問題がありチャートが一般的。
陸から遠く離れた遥か沖合の深海で、主に放散虫死骸の堆積によるシリカを主成分とする堆積岩。深海の物凄い水圧の下1ミリ堆積するのに1000年とかのオーダーを必要とするらしく、極めて硬い。堆積の過程で泥や砂の層を挟み、層状の地層を形成することが多い。
この堆積がプレートによって運ばれユーラシア大陸に衝突、付加体として乗り上げた後、その大陸の縁が引きちぎられる形で日本列島が形成されたことが分かっている。岐阜には金華山の他、幅広い範囲でチャートの地層が見られるが、大陸と列島形成の壮大な地質学的プロセスを示す一つの証拠ともなっている。
金華山は古生代のペルム紀から中生代の三畳紀に堆積したチャートで構成されており、その固さ故に長良川の侵食からも免れ、半ば独立峰として標高10m程度の岐阜市の平野の中、長良川から直接立ち上がる形でそびえ立っている。
岐阜城
金華山はかって「稲葉山」と呼ばれ、おそらくチャートによる地形を生かしての山城が鎌倉時代から築かれていたらしい。戦国時代、斎藤道山によって稲葉山城が築かれ、後に織田信長によって奪取され天下統一の拠点としての「岐阜城」とされた。山頂には壮麗な天守閣、山中にも砦が築かれ、麓(現在の岐阜公園)には信長の居館が置かれる等、山全体が「岐阜城」と言える状態だったと言う。
現在は山頂に復元された(と言っても大分小規模だろうが)天守閣が、下の平野部からも遠望できる。
金華山 Photo Gallery
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