六郷用水-7(南堀-南北引き分けから六郷水門)
南堀を歩く-1(南北引き分けから六郷水門)
北堀が案内板(「六郷用水物語」など)も豊富で、水路跡も緑道として整備されているなど、歴史を感じさせるコースが多いのに比較して、今回歩いた南堀は正直、単調だった。水路も殆ど一般道に埋没していて、予め案内図を用意していなかったら辿るのは容易ではなかっただろう。
その中で、コース終点の「六郷水門」が見ごたえを感じさせる。
ともあれ歴史に埋もれてそのコースを辿るなど、最初は無理だと思っていた六郷用水(次太夫堀)を、狛江の取水口付近から六郷水門まで、主水路跡だけでも何とか歩きとおすことができたのは、チョットした感動ものだった。
撮影Map
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。 (2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します)。
南北引き分け
写真左に行けば「北堀」。今回の南堀は正面の道路を進む。
角に「南北引き分けの跡」の案内板が立っている。
南堀、スタート
……と言って、それらしい痕跡は感じられない。
歩道上のタイルでかろうじて、ここにかって次大夫堀が通っていたであろうことを忍ばせるのみ。
割場の堰跡
未舗装の細い道に、かっての水路跡を感じさせる。その脇に「割場の堰」の案内板が立っている。
環状八号線に沿って水路跡は続くのだが、その雰囲気は全く感じられない。
第二京浜
環八は第二京浜と交差する。
案内板がたっていた。
ところどころの案内板で初めて、ここに次大夫堀が通っていたらしいことが何とか分かる。
東矢口交差
ここで環八を渡って反対側に出る。
環八から離れて斜めに進む
相変わらず一般道そのもの。
いくらか水路跡の風情
蒲田電車区
前方、蒲田電車区の車両基地が見えてくる。
写真右からの道路と水路跡が車両基地にぶつかり、道路はここで右折する。
しかし、六郷用水が流れていたのは当然電車開通の前だった訳で、おそらく水路は右から真っすぐ流れていたのだろう。
道路を歩いて反対側にでる。
六郷用水中興の祖、田中丘隅
比較的間を置かずに、碑が立っている。
地図の位置関係からみて、車両基地の敷地を通っていたであろう水路が、この地付近に流れていたのじゃないだろうか。
開削から100年後、荒廃した六郷用水を改修したのが代官田中丘隅(休愚)。それによってこの碑にも記されるように「用水中興の祖」と呼ばれることに。
※ 直ぐ下と、8枚下の写真も参照。
六郷用水復元施設
南堀の本流から少し離れるが、区立新宿小学校脇に、六郷用水分流の復元施設があった。六郷用水はこの地で網の目のように分流・支流が入り組んでいたようで、その一つがここに流れていたのだろう。
南堀に戻って
ここにも「六郷用水物語」
京急本線をくぐって超える
工事中のようで高架の下を抜けることが出来なかった。前方に水路跡の景色が見える。
京急本線を超えたところに「六郷用水物語」
高架の下を抜けることが出来なかったので少し迂回してコースに戻る。
第一京浜を超えて
京急本線と並行して第一京浜の広い道路が通る。
六郷用水跡は道路を超えて写真中央に続く。
蛇行しながら続く道が、何とかかっての水路跡を忍ばせる。
ところどころの「六郷用水物語」で、かっての水路が有ったことを確認させる。
道端に馬頭観音の祠
六郷ポンプ所
六郷水門はこの裏手に当たる。
六郷水門
六郷水門については、こちら。多摩川からの六郷水門は、こちら。
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://y-ok.com/mt-tb.cgi/823
コメントする