昔の野川
昔の野川
多摩川や荒川などを除けば武蔵野台地上で最大の河川と言ってもいい野川。しかしこの野川も幾多の変遷を経て現在に至っているようだ。
今回初めて「昔の野川」を歩いてみた。
絡み合う六郷用水と、野川、入間川
現在の野川と昔の野川
現在の野川は、調布市入間町2丁目で入間川を合流、世田谷区鎌田4丁目で仙川を合流し、二子玉川で多摩川に合流している。
しかしかって野川は、現在の小金橋の狛江市側から南に向かって流れ現在の宇奈根付近で多摩川に流れ込んでいたらしい。
小金橋から下流部分は、入間川が現在の野川の流路に重なる形で二子玉川で多摩川に合流、仙川もやはり二子玉川で多摩川に合流していたようなのだ。
つまり、今の野川の下流部部分はかって入間川の流路だったことになる。
これが300年以上遡る、大昔の話。
六郷用水開削
この大昔の様相が変わるのが、1597(慶長2)年から1611(慶長16)年、15年の工事を経て開削された六郷用水(次大夫堀)。
旧野川は現在の狛江で六郷用水に取り込まれ下流部を失い、その東側で入間川も又六郷用水に取り込まれて、入間川としての下流部を失う。
現在の野川と東名高速が交差する辺りで、六郷用水と入間川が再び分かれるのだが、その先の入間川最下流部は「野川」として扱われたらしい。
六郷用水終焉と野川改修
300年以上続いた灌漑用水としての六郷用水の役割は1950年代に終わる。
六郷用水については別途触れるとして、野川はその後、相次ぐ氾濫を防止する為、直線化と入間川への付替えと言う大規模な改修工事が行われ、現在の姿になる。
地形図と流路
下の地形図と流路、撮影Mapは、関連する六郷用水も含めての掲載です。クリック、拡大表示でご覧ください。
撮影MAP
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。 (2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します)。
小金橋
この辺、野川は調布市と狛江市の境界になっている。
写真は小金橋調布側から見る野川上流方向。
旧野川(野川緑地公園)スタート
旧野川は小金橋の狛江側(野川右岸)、橋の直ぐ脇から南に向かって始まる。写真左側は今の野川。
旧野川散策路の経路に沿っての周囲が、野川緑地公園となっている。
右側に立っている看板には「西野川樹林地」とある。
「大橋」遺構
道路を挟んで緑地公園が続く
「大橋」の遺構、しかし橋は普通道路に掛かるもの。右わきの道路に有ったものを移動したものか?
橋の様相から、かっての野川の川幅が想像される。
何本かの道路を横切り、緑地公園が続く
大きく左に蛇行
御台橋
都道114(松原通り)の御台橋交差点。ここに掛かっていたであろう御台橋のモニュメント。
松原通りを超えて
ここで又大きく左に蛇行
かっての護岸石垣の玉石を利用してのものか?
蛇行
如何にも自然河川らしい、気持ちのいい蛇行。
緑道終わり
暗渠は右側の植栽の下を通っているのだろうか?
六郷用水との合流点が近づく
前方、小田急線の高架。
六郷用水との合流点
写真右から入ってきた六郷用水と合流、ここで野川は終わる。
そのまま六郷用水として右にカーブ、現在の小田急線をくぐって先に続く。
合流点を下流側から
旧野川が写真右奥から入ってくる。
六郷用水が左側中央奥から流れ込み写真中央で合流、写真の背後に続く。
合流した2本の流れは、六郷用水として小田急線をくぐる。
「合流」の痕跡
この辺、特別な「合流点」の目印は無いが、歩道上のマンホールに微かな痕跡。
この下で、六郷用水暗渠と旧野川暗渠が合流しているのだろう。
この先、六郷用水として流れてゆき、世田谷通りの二の橋で再び野川として分流、宇奈根(現在の宇奈根配水樋管)で多摩川に合流していた。
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