善福寺川北岸の「暗渠の迷宮」ー1

 

杉並地内水路網(暗渠の迷宮)全体像」も参照のこと

 

田端堰から

天保新堀用水の取水堰「広場堰」のある大谷戸橋から直線距離で480メートル程上流に、田端堰がありそこからの水路(跡)が確認できる。便宜上「田端堰からの水路」と仮称する。善福寺川流域で最大規模(およそ18ヘクタール)の田端田圃の灌漑用水路だったそうだ。
途中、矢倉台地の縁をなぞるところで、かっての天保新堀用水11年堀の水路跡を引き継ぐ形で流れていたようだ。天保新堀用水は成宗五色弁財天(弁天池)を経て、トンネルで青梅街道を抜けるコースを取るのだが、田端堰からの水路(仮称)は善福寺川北岸の田圃を潤しながら進み、最後は現在の和田堀公園辺りで善福寺川に注いでいたようだ。

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧下さい。

青い水路図は天保新堀用水。薄い水色の水路はその他(田端堰からの水路、

天保新堀用水地形図.gif

 

全体の地形図はこちら

クリックすると拡大表示されます。全体が把握できるよう、巨大な図になっています。スクロールしながらご覧ください。
水路名などの文字をクリックすると、関連したページが開きます。

 

撮影Map

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。

2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。

天保新堀用水_photomap.jpg

 

    

 

田端堰

荻窪2丁目、広場堰から直線距離で500メートル弱上流、春日橋の少し下流側に、堰の跡と取水口が見える。田端堰である。
ここから、天保新堀用水11年堀跡を一部利用しながら、長い水路跡を確認できる。旧ニヶ村(田端村、成宗村)の水田を灌漑する為のものだったのだろう。

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春日橋

左岸前方に水路跡の始まりが見える。

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水路跡(暗渠)スタート

車止めと広い暗渠道

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荻外荘(てきがいそう)敷地

総理大臣を3度務めた近衛文麿の旧邸で、政治的に重要な会談の場ともなった。現在杉並区管理の荻外荘公園となっている。

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右側に支流

荻外荘公園の塀が左側に続く。右側に小さな暗渠道が善福寺川まで続いている。本流との連絡通水路跡なんだそうだ。「連絡水路」と言うのがどう言う役割を果たしていたのか?この口が取水口なのか排水口なのかは知らないが、僅かな間を善福寺川から辿ってみる。

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善福寺川対岸から

かってはどうであったか、は兎も角、現在は排水口にしか見えない。

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長さ、約60メートル強。前方荻外荘。

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合流

荻外荘脇で、田端堰からの水路にぶつかる。

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荻外荘公園

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これが「水路跡だ」と言う明確なものはないが、車止めと幅広な歩道、曲がりくねった道筋に水路を想定させる。

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右側、都営アパート

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完全に一般道に紛れる。

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UR住宅機構のアパート群脇を通る。

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大谷戸けやき緑地

右側に大谷戸けやき緑地が見えてくる。
天保新堀用水12年堀は写真右から大谷戸けやき緑地に入り、この辺でトンネルに潜り込む。

田端堰からの水路は、引き続きこのまま進行方向に進む。

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田端堰からの水路、進行方向

進行方向右側、UR住宅機構のアパート群の脇に沿って進む。

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天保新堀用水トンネルとの交差地点?

どうもこの辺で新堀用水12年堀のトンネルと交差していたようだ。トンネルは、左側に立ち上がる矢倉台地をくぐる為、右側から流れていた。

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住宅地を縫って

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車止めが水路跡を想定させる

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矢倉台地と11年堀の合流

矢倉台地の高さが顕著となり、その脇を迂回する形で進んでゆく。
ここで右から天保新堀用水11年堀水路(跡)と合流する。ただこの田端堰からの水路が造られた時、既に11堀は既に使われなくなっていた筈だし、そもそも11年堀も既存の水路を利用する形で掘削されたらしい。いずれにしても矢倉台地と善福寺川に挟まれたこの狭いエリアに通せる水路は限られていた筈だから、歴史的な経過の中で色々な重複が有ったのだろう。

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11年堀水路側から見たところ

この矢倉台地を上がった所に、田端神社が建っている。

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田端神社

一旦水路を離れ、矢倉台地上の田端神社を見る。

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矢倉台地と、かりん広場

水路(跡)に戻り、右側かりん広場。かってこの辺、水田が広がっていた。

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善福寺緑地公園

善福寺川両岸に沿って広がる公園、下流側に隣接する和田堀公園と併せると広大な緑地広場となる。

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右側のフェンスは調節池の工事らしい。

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天保新堀用水11年堀トンネル

痕跡は全く無いが、11年堀のトンネルはこの辺から掘られて、矢倉台地を抜けていたようだ。

田端堰からの水路はこのまま矢倉台地の縁に沿って進む。

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車止めとハッキリした水路跡

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11年堀トンネルの発掘地点

1974(昭和49)年、トンネルの一部が発掘された場所だという。
左側台地の地下4.5メートルの所だったそうだ。

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台地に沿って左に曲がる。

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11年堀トンネルの出口?

ここも痕跡は全く無いが、この辺にトンネルの出口が有ったらしい。

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トンネルから抜けた天保11年堀はこの先開渠で進んでいたのだろうし、田端堰からの水路も同じ堀跡を進んでいたのだろう。

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空き地にぶつかり、右に曲がる
Mapでは「共立女子学園研修センター杉並寮」と有るが、ご覧の通り芝生の空き地。

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二本のコース候補

杉並高校(正面奥)の脇に出るが、ここで実は2本のコースが想定される(地形図にも撮影Mapにも記載済み)。

  1. ここで右に曲がり、現在杉並高校となっている敷地を通り、2枚下の写真、ここに出る。
  2. 左側の道路に沿って進む。

おいら的には、1の右折、杉並高校敷地コースを勝手に想定しているのだが、その理由は………、

  1. 左側コースは矢倉台地の縁を上るコースとなって水路としては不自然。それに比べ杉並高校はかって田んぼだったところで地形的にも平坦。
  2. 何より2枚下の写真に見る「水路の再開」に繋がるコースが想定上、一番自然。
  3.  

ただ、文献・NET上では2の、左側コースを紹介しているケースも多い。

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最初に1のコース

水路はこの辺で、かって水田だった杉並高校の敷地に入り、1枚下の写真の所に出る。

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水路再開?

この奥は杉並高校の敷地。
暗渠道が始まる。公立学校や公園の敷地下に水路を通すことは多いので、ここに繋がる水路が明らかにこの奥に埋まっていると思うのだが、それが元々の矢端堰からの水路なのか、或は後年に設置された水路なのかは、おいらには分からない。

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杉並高校正門わきに出る

想定2のコース(候補)もここを通る。

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次に、2のコース

想定される分岐点に一旦戻り、第2コース候補を辿る。

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杉並高校(右)と成宗須賀神社(前方左側)・成宗五色弁財天

第1のコースで有れ、第2のコースで有れ、この先は共通。

 

前方左側のけやきの木脇に、成宗須賀神社が有り、その脇に成宗五色弁財天が有る。かってそこに大きな弁天池が有った。
弁天池は天保新堀用水の取り敢えずの中継点。11年堀も12年堀もここを目指して掘削されていた。

写真右側は杉並高校。11年堀はかって田んぼだったこの杉並高校敷地を通って右側からここに出、弁天池に注がれる。
12年堀は写真後ろからこの辺でトンネルを抜け、そのままやはり弁天池に注がれていたのだろう。

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成宗五色弁財天と弁天池

11年堀も12年堀も、取り敢えずこの弁天池が中間目標。
現在埋められて池は無い。写真左側のマンションがかっての弁天池が有った所。

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弁天池から下流方向

成宗須賀神社・成宗五色弁財天を超えてやや広い道路に出る。
一見四叉路に見えるが、前方道路には車止めが有り実際は三叉路、この先水路が続いていることが見て取れる。

 

Y18_1853.JPG

 

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