花の吉原、今・むかし
嬉し恥ずかし、吉原を歩く
江戸三千両
吉原、言わずと知れた遊郭の代名詞。
江戸時代、日に1000両動く所が、朝、昼、夜でそれぞれ一つずつ有ったと言う。朝千両が魚河岸、昼千両が芝居、そして夜の千両が吉原だった訳で、女性の辛吟を呑みこみながら、華やかな廓文化が花開いた。
元々は日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に開かれた幕府公認の遊郭だったのだが、明暦の大火(1657)で焼失、浅草の地に移転されたとのこと。以前の日本橋の方を「元吉原」、浅草の方を「新吉原」と呼んだ。
今は日本最大のソープランド街になっている(下の地図中央、赤い点はソープランド)。中で繰り広げられる悲喜こもごもは、江戸時代の吉原遊郭と共通する点も有るだろう。
地図にない「吉原」
しかし今、東京に吉原と云う地名は無い。Google mapから「吉原」で検索しても表示されない。現在の地名は千束。特に千束3丁目から4丁目辺りを中心にソープランドが林立している。
実は今回初めてこのソープ街にも足を踏み入れて見た。
山谷掘を遡って
今回歩いたコースは、隅田川から山谷掘を遡る、かっての吉原通いの定番コース。と言っても、下のガイドにも有るように、大川(隅田川)から船(猪牙船)を仕立てての「山谷通い」は相当の金持ちだけに許された、贅沢コースでは有ったらしい。
山谷堀は現在暗渠となっていて、その上は緑道として「山谷掘公園」となっている。所どころに堀が有った時の橋の名残が往時を留める。春は桜の名所となることだろう。
OLD PHOTOS of JAPAN サイトから
こちらに、明治・大正・昭和期の貴重な写真が豊富に掲載されています。ジャンル別に見ることも出来ます。お勧めのサイト。
しかも「自分のブログに以下のテキストをコピペして、ブログの読者にもこの古写真を知らせよう。」との、寛大な計らい。写真の直接のコピペはお行儀が悪いかも知れないが、この粋な計らいに甘えて出典を明らかにしつつ、直接に貼り付けさせて貰います。皆さんは是非このサイトに足を運んで膨大な写真資料をご覧ください。
その中から「遊郭」のジャンル。
サイト記事から
東京の花柳街としてよく知られていた吉原にあった明治時代の遊廓の一つ。女達が窓の中に座っている。吉原について更に知りたい人は、「1900年代の東京 • 吉原の大門」を見ていただきたい。昔の日本の売春については「遊郭」を見ていただきたい。
隅田川から山谷掘を通って
東京メトロ銀座線の浅草駅から、吾妻橋手前を左折、隅田川沿いに歩く。この辺は隅田公園として整備されている。
吾妻橋上から定番の東京スカイツリー
隅田公園
山谷掘公園
隅田公園内に有る台東リバーサイドスポーツセンター付近で、平行する314を渡り、山谷掘公園に入る。下の写真の左奥が待乳山聖天。
かって猪牙船が行きかった山谷掘は今暗渠となり、緑道として山谷掘公園となっている
下流側には堀状のものが切られている。が特に水が流れている訳では無い。
堀は左右所を変えて
浅草高校脇のモニュメント
正岡子規の碑
子規は吉原遊郭の常連客だったとか
地方橋付近で緑道は終わり、平行して走る土手通りに出る。吉原大門は直ぐ近く
吉原大門
この交差点が「吉原大門」
ガソリンスタンド脇から入る。特に何のへんてつも無い風景。
天麩羅の伊勢屋と桜鍋の中江
ガソリンスタンドから、道路の反対側に有る老舗。伊勢屋は明治22年(西暦1889)の創業、中江は明治38年(西暦1905)創業とのこと。
かって遊郭帰りの客が立ち寄ったのじゃないか、と思わせる風情のある店で、特に伊勢屋はいつも並ばないと入れないらしい。
見返り柳
ガソリンスタンドの角に、ひっそりと「見返り柳」とその案内板、碑が立っていた。
説明は案内板で(クリックして拡大表示して下さい)。
吉原大門跡
ここから先、1夜で1000両が動くと言われた吉原の遊郭が広がっていたのだろうが、それにしてはこの「吉原大門」の柱、もう少し往時の面影を色濃く残しても良かったんじゃないか。これじゃよっぽど気を付けていないと見過ごしてしまう。
100年前の吉原大門の様子はこちら。
大門跡から今入って来た道を振り返る。道路はS字になっていて、これは往時のままだと言う。真直ぐにしなかった理由は目隠しの為だと言うが、それは今の吉原ソープ街に出入りする人達(客も花魁たちも)に取っても好都合なことだろう。
花の吉原ソープ街
時間が早朝(7時~8時)だったので、それ程の「雰囲気」は無かったが、それでも店の入り口には客引きのお兄さんが立っていたりした。こちらはGパンにヤッケと云う風態だったので、幸か不幸か声は掛けられなかったし、写真を撮っても特に因縁をつけられることも無かった。
夜には又雰囲気がガラリと変わるのだろう。
吉原神社
大きくも無いが、ソープ街のチョッと奥まった所に有る
投げ込み寺
ソープ街から少し離れて浄閑寺。
かって遊郭の遊女たちが死んだあと、コモに包まれた程度の姿でこの寺に投げ込まれ・捨てられたとのことで、「投げ込み寺」と呼ばれていたと言う。
樋口一葉記念館
五千円札の顔、樋口一葉の記念館。記念館の前は児童公園になっている。
この地、下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)は、一葉がで荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いていたところ。
公園内に立っている、たけくらべの碑
待乳山聖天
帰りに待乳山聖天に立ち寄る。
亡き三遊亭円楽の落語『藪入』にも出てくる待乳山聖天。昔は高台の部類で多分遠くからでも眺められたのだろうな。
境内にケーブルカーのあるお寺や神社は始めて見た。下、一枚とんでその下の2枚参照。
メインの参拝道は、上の写真の左側から。
ケーブルカー
境内にケーブルカーが有って驚いた。勿論無料だし、ホンの数秒の時間。しかし、まっ、便利と云うより、どちらかと云うと無粋。
正面の階段は通行止め。かって何かこの階段で事故でも有ったんだろうか?
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://y-ok.com/mt-tb.cgi/769
コメントする