善福寺川-2(善福寺池から善福寺川緑地)
善福寺池から善福寺川緑地まで
善福寺池
善福寺の名の由来は、池のほとりにあった寺の名前に由来しているが、江戸時代に廃寺となっている。また、ややこしいが近辺に「善福寺」という名の寺が現在 あるものの、これは福寿庵という元々違う名前だった寺で、後年地名をとって改名した物であり、池の名前の由来にはなっていない(Wikipediaより)。
善福寺川の水源
善福寺池は、井の頭池、三宝寺池(石神井公園)と並び、武蔵野三大湧水池の一つ。上の池、下の池に分かれ合わせて善福寺公園として市民の憩いの場となっている。
池の水源は上の池西端から湧き出ている遅之井の湧水で、これが善福寺川の源流となっていたが、都市化の影響も有って現在は殆どポンプアップによる地下水。
善福寺川最大の「源流」
『善福寺川-1』の末尾でも述べたが、ここに千川上水伊勢橋で全量回収された水がここに放水される。日量10000㎥。日量2000㎥、地下水を汲み上げての善福寺池からの水を差し置いて、ここが事実上善福寺川最大の「源流」となる。
美野山橋
善福寺池を出て、善福寺川最初の橋。左側に大きく口を明けているのは雨水など、側溝の排水口か。
善福寺川スタート
善福寺川は両岸コンクリート護岸で、多少の変化は有るものの単調と言えば単調
?
途中にこの案内板と共に、川底に円形の構造物が続く。何の為のものだろう。
遊歩道
善福寺川沿線の上流半分位は、このように細い遊歩道が両側に続く。もっと狭い所もあり、自転車がやっとすれ違う程度。
下流に行くと善福寺川緑地、和田掘公園等が両側に広がり、道も広くなる。
一ヶ所、川の上につるの棚を這わせていた場所が有った。
原寺分橋下の湧水
遊歩道脇にこの湧水の案内板が掲示され、その下の川底から湧水が見える。武蔵野台地の湧水の簡潔で的確な説明。
雨水の排水路
原寺分橋脇湧水ポイントの直ぐ上流に開いている排水路。武蔵野市方面からの、側溝に集まった雨水を流すものらしい。
善福寺川に限らずこう言う排水路は至る所に開いている。形も様々。普段は殆ど流れが無いが一旦雨が降るとアスファルトを洗って来た雨水が一斉に流れ込み、洪水の元になっていた。その解決策として、河川脇の取水施設と環状七号線の下に巨大な貯水施設(トンネル)が造られている。
JR中央本線をくぐる
南荻窪3丁目付近
環八をくぐる
南荻窪四丁目付近
春日橋
荻窪二丁目に掛かる春日橋。この直ぐ下流に田端堰が有った。
田端堰
ここから旧ニヶ村(田端村、成宗村)を潤し、杉並区大宮で善福寺川に放出される灌漑用水路(既に暗渠跡のみ)が続く。
水路(暗渠道)START
大谷戸橋と広場堰
前方に大谷戸橋が見えて来た。現在痕跡を全く残していないが、橋の手前に「天保新堀用水」の取り入れ口、広場堰が有った。
かってこの左岸エリアは広い田んぼが広がっていた。現在宅地開発されていてマンションや学校が立ち並ぶ。
写真左はUR都市機構のアパート群。
大谷戸橋
天保新堀用水の最初の掘削(11年堀)は、橋を渡って右側に、翌年掘削された12年堀は正面、今のアパート群を真っすぐ貫き、一部トンネルでくぐりながら青梅街道の高台を超えて北の阿佐ヶ谷方面に続く。
詳細はこちら。
天神橋公園
大谷戸橋から南方向に延びていた「11年堀」のルートが、一部公園になっている。
善福寺川緑地
荻窪一丁目付近から、川の両側に公園・緑地が広がる。緑地は川沿いに和田掘り公園に繋がり、野球場や陸上競技場を含んで長く広いエリアの憩いの場となる。
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