立川崖線の終焉-根川と染地せせらぎの散歩道

 

根川と染地せせらぎの散歩道

立川崖線に沿って、多摩川に落ち込む根川

立川崖線が大きく湾曲しながら多摩川に落ち込む狛江市元和泉地区、ここは立川崖線の終焉でもある。
この湾曲そのままに、崖線の根際をなぞる形で根川が流れていた。かっては崖線(ハケ)からの豊富で清冽なな湧水を集めて流れ、生活用水として或いはこの地に広がる田んぼの灌漑水として利用されてていたそうだ。が、今その湧水と水の流れは殆ど見られない。
下の地形図を見ても分かる通り、これ程ハッキリ崖線の輪郭に沿った川筋も珍しい。「根川」の名前の由来も、若しかしたらハケの根元に沿って流れていることに由来するのかも。

※ なお立川にも同じ名前の「根川」が有るが、当然別の川だ。

 

染地せせらぎの散歩道と根川開渠

それ程長い川ではない。
現在、上流部の、調布市染地の羽毛下橋交差点から染地小学校前交差点までの間が「染地せせらぎの散歩道」として整備され、染地小学校前から多摩川までの下流が開渠となっている。尤も普段水は殆どない。
地形図を見ると、羽毛下橋交差点より上流部も崖線が発達して続いているので、かってはそれに沿ってもっと上流からの流れが有ったと思われるが、今その痕跡は見当たらないようだ。

 

根川と六郷用水

現在根川は、都道114の水神前交差点脇で多摩川に合流する形になっている(六郷配水樋管)。この水神前交差点付近は同時に、かっての六郷用水の多摩川取水口が有った場所でも有った。
かって根川は、沿線の田んぼを潤した後、その余水を六郷用水や多摩川に合流してしまうのでなく、最後、河原の田んぼに水を供給していたようだ。その為に六郷用水を跨ぐ掛樋も掛かっていた時期が有ったそうだが、その後六郷用水に取り込まれて行ったらしい。

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧ください。

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撮影マップ

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。 (2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します)。

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染地せせらぎの散歩道

調布市染地、羽毛下橋からせせらぎの道が始まる。羽毛下橋は、「ハケ下橋」からの当て字か?
ここから上流部も、若しかしたら暗渠で続いているのかも知れないが痕跡が見つからなかった。一応ここからスタート。

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かっては豊富な湧水が有って、この水路も満々と清水が流れていたんだろう。
根川の流域には広い田んぼが広がり、そこを潤していたんだそうだ。

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立川崖線(ハケ)に沿って

下流に向かって左側(北側)には立川崖線が続く。せせらぎの道はこの崖線沿いに続いている。
水路に水は流れていないが時に流すことも有るのだろうか?

 

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距離的に長くはないが、よく整備されていて気持ちのいい緑道

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崖線との高低差

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せせらぎの散歩道、終わり

この少し先で緑道は終わり、根川が開渠として現れる。但し普段水は殆どない。

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根川開渠

染井小学校前交差点から開渠の始まり

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水の流れは無い

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「根川桜通り」と呼ばれている。

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多摩川住宅と千町耕地

右岸には「多摩川住宅」が続く。
かってこの辺一帯、根川とハケ下の湧水を利用した「千町耕地」と呼ばれる程の田んぼが広がっていた。

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多摩川の土手

前方、都道114を挟んで多摩川の土手が見えてくる。
ここで根川は大きく左にカーブし、六郷配水樋管から多摩川に合流する形になっている。

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多摩川合流と六郷用水

六郷配水樋管の中から、今辿ってきた根川方向。

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六郷用水?と合流

配水樋管の中で、前方から入ってくる根川と、写真左側から入ってくる水路が合流する。この左側からの水路は何だろう?
位置的には六郷用水にそのまま繋がるコースになっているし、事実かっての六郷用水はこの下流(右側)に始まる。

だがそもそも、六郷用水の取水口から上流に続くこの水路が、六郷用水だとは考えにくい。その辺の独断的推論と水路の写真は>こちら

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こちら、左から入ってくる水路(六郷用水?)。

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地上から見た合流点

写真右側が根川、左側が多摩川と並行して流れ込んでいる水路。
ここで合流して六郷配水樋管を経て、多摩川に合流する。

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水路の上流側

写真左端は多摩川の土手。
水路はこのまま多摩川と並行して200メートル弱、開渠のまま続く。

多摩川からの取水口から上流に伸びているこの水路、六郷用水とどう関係するのか?

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六郷配水樋管

ここから多摩川に流れ出す。

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玉翠園

根川合流地点の脇、都道114と根川が交差する水神前交差点に石垣跡が残っている。多摩川の玉石を数万個使っての壮大な石垣で囲まれた料亭、玉翠園が有った場所。

六郷用水に水を引き入れる為、多摩川対岸まで蛇籠による大規模な堰が作られ、水を堰き止められた上流は湖の様な瀞になったという。
当時多摩川の水は澄み切っていて川底の石が良く見えたそうだ。その多摩川と富士山の遠望、脇を流れる根川の景観、多摩川に浮かべる屋形船と鮎など多摩川の川魚を提供する料亭がこの場所に建てられ、当時草深い田舎だったであろうこの地に、明治の新政府の要人や軍人たちが東京から訪れ、大いに賑わったそうだ。
その玉翠園も、昭和10年代、堤防改修工事に伴う船溜まりの消滅、戦争の激化などにより廃業の止む無きに至り、現在は小さな空き地にその痕跡と碑を残すのみ。
 

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水神社

水神前交差点の名前の由来となったであろう神社が、交差点の直ぐ下流側に立っている。大きな神社ではない。

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神社境内にある「水神社由緒」

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道路脇の「六郷用水取り入れ口」の碑

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多摩川土手に上がって(上流方向を望む)

上流から流れてきた多摩川が、ここで土手にぶつかり緩やかに右にカーブする。その水の流れを利用する形でここに堰を設け、六郷用水取水口としたのだろう。しかし今その痕跡は全くない。
写真右側を降りると「水神前交差点」。
写真中央部右寄り、道の脇に六郷配水樋管。

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