権力の丘-1(目白台)

 

権力の丘、目白台

「権力の丘」は勝手な造語だが、そう呼ぶに相応しい場所が有る。神田川に面した目白台とその周辺。
東京の高級住宅地・街としては、渋谷の松濤、大田区の田園調布、世田谷の成城等が連想されるが、それと少し趣を異にする。次元が違うのだ。

半径1Km足らずのこの目白台と近くの音羽エリアに、明治の元勲が粋を凝らした屋敷や庭、時の総理が愛した池や邸宅などがひしめいていた。いや、ひしめいていたと言う言い方は当たらない。何しろ広い。
外からは窺い知れないような広大な敷地の中、鬱蒼とした樹木に囲まれて、庶民とは隔絶した権力者の生活と、時には歴史の舞台となった駆け引きがそこに有った筈だ。

今それらは公園になったりホテルに姿を変えたりしているが、幸いなことに一部を除いて味気ない再開発の手を逃れて、当時の姿と深い自然を今に残している。本当に東京は奥が深い。

 

神田川と目白崖線、目白台

何故この地に権力者が競って居を構えたか。
下の地形図を見て貰えば分かるように、東西に流れる妙正寺川と神田川の北側に、その二つの川が削った崖(落合崖線、目白崖線)が10Kmあまりに渡って連なっている。かって清流だったであろう神田川を下に見下ろす形で南に開けた地形が、このようにまとまって連なっている場所は東京で他には無い。
更に、神田川を挟む崖は左右で高さが違う。北側の目白台エリアに比べて南の早稲田側は低くなだらかで、要するに左右非対称となっている。まだ高層建築などの無かった当時、目白台の邸のあるじは神田川の流れとともに、遥か先、早稲田の田園風景・下々の暮らしまで見下ろすことが出来た訳だ。
今、江戸川公園となっている関口には、かって関口大洗堰が設けられ当時から花見や景勝の地とされていた。

フォークソング「神田川」の舞台はこの目白台よりも少し上流、高田馬場駅近くの戸田平橋辺りらしいのだが、それにしても「♪三畳一間の小さな下宿」と歌ったかぐや姫の世界とこの「権力の丘」。同じ神田川沿いで有りながらあまりのギャップに笑ってしまう。

 

 

撮影Map

クリックすると、Googlemapと連動して表示されます。

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地形図

クリック、拡大表示でご覧ください。

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上総層群(かずさそうぐん)

神田川のこのエリアで地形的な特筆事項が、上記目白崖線とともにもう一つ有る。川底の上総層群だ。
下の写真は三島橋上と豊橋近くからの写真だが、更に上流の面影橋辺りから確認できる。

上総層群とは大昔海の底で堆積・圧縮されて堅く平坦な地層となり、その後海面低下などにより地上に現れたもので関東平野全体の基盤となっている。厚さは1000㍍を超えるとされ、高層ビル建築の際にはこの層に杭を打ち支持層としている。
東京低地ではこの上総層の上に火山灰由来の関東ローム層が堆積、山の手台地では上総層の上に古多摩川からの扇状地礫層が重なり、更に関東ローム層が堆積していて、普通は直接見ることは無い。
神田川改修で掘り下げた時に露出したものを、そのまま残しておいたと思われる。堅く平坦な地層なのでコンクリートで覆う必要が無かったのだろう。そのお陰で何とか三方コンクリート護岸を免れ、神田川流域の中でも屈指の見所となっている。

なおこの上総層群は多摩川中流域でも見ることが出来る。

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田中角栄邸

目白で「権力者」と言って、先ず思い浮かべるのは言わずと知れた田中角栄。特に私のようにかっての新潟三区出身者にとっては殊更。
政権党の幹事長、首相を歴任、その後ロッキード事件で首相の座を退いた後も闇将軍などと言われて隠然たる権力を振るっていた。
当時「目白」と言えば角栄の代名詞とされる程で、角栄邸は「目白御殿」とも呼ばれた。政財界の大物が引きも切らずこの門をくぐっていたし、門の中では下駄っぱきのあるじが、広い庭の池で鯉に餌をやっている姿が写真で見られたものだ。

角栄の死後、長女真紀子が相続税物納として、目白御殿の庭の部分約3200㎡を東京都文京区に収めた。文京区は国家公務員共済組合(KKR)の目白台運動場痕と併せ、目白台運動公園としてオープンした。
この門だけはおそらく往時のままなのだろう。表札が無ければここに「御殿」が有ったことも分からない。

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目白台運動公園

かっての目白御殿の門の脇に広がる運動公園。大ぜいの人が野球やテニスに興じ、或いはドッグランなどを楽しんでいた。
確かに運動公園も必要だし有意義なのだろう。しかし目黒御殿とその庭をそのまま御殿と庭として残すことは出来なかったのだろうか。鳩山(音羽)御殿のように。
椿山荘や新江戸川公園など、このエリア全体の中で公園・史跡として有機的に位置付け活用すれば、もっと味わい深いものになっただろうにと、余計な恨みごとを言いたくなる。

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和敬塾と永青文庫(細川家下屋敷)

目白台運動公園に隣接して和敬塾があり、おそらくその敷地の奥に永青文庫がある。そこから目白崖線を神田川まで繋がる部分を含め、全て細川家下屋敷、明治以降細川侯爵邸となったところだそうで、神田川に面した部分は現在新江戸川公園として一般公開されている。

細川家と言えば室町時代から続く名門だし、縁戚の近衛家と併せ明治以降も首相や大臣を輩出している。18代当主細川 護熙も79代総理として非自民政権を成立させたが、佐川急便からの1億円借り入れ事件により総辞職したことは未だ記憶に残っている。

細川邸と角栄邸、言わば隣組とも言える位置にある。
そう言えば昔、二人がそう言った関係だと言うことを何かで聞いたか読んだかしたことを思い出した。

和敬塾

和敬塾は首都圏の学生寮として活用されている(案内板参照)。

敷地奥の和敬塾本館は、1936年に細川護立(元首相細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館であった。護煕も幼少時、和敬塾本館で過ごしていたそうだ。東京都指定有形文化財になっており、映画やドラマ撮影のロケにも使われているし、普段も結婚式の会場に使われることがあるようでその案内板が掲示されていた。
神田川脇迄広がる新江戸川公園、坂の途中の永青文庫も、現在は敷地から分割されているが、元々はこの目白台台地迄続く一繋がりの細川家の屋敷だった。 

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関係者以外立ち入り禁止の立て札が有り、奥まで立ち入ることは憚られて、映画やドラマなどにも利用されることも有ると言う本館を見ることは諦めた。

DP3M1765.jpgのサムネイル画像

 

永青文庫

細川家代々の収集した文化財などを公開している美術館だそうだが、残念ながら現在改修工事中らしく閉館していた。

コレクションも素晴らしいものらしいのだが、細川 護熙氏曰く「昔はもっと色々有ったのだが戦争で焼けてしまって。いえ、この前の戦争のことではなく応仁の乱ですが」、流石、やんごとなき由緒あるお殿様はおっしゃることが違う。

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蕉雨園と講談社

胸突坂の道路を挟んで、永青文庫の反対側にも豪壮な建物と鬱蒼とした茂みが塀越しに窺われる。蕉雨園で、これも明治時代の宮内大臣田中光顕伯により1897年(明治30)に建設された邸宅だそうだ。但しここは現在講談社の所有になっていて、原則として立ち入り出来ない。

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蕉雨園正門

立ち入り禁止になっているが、紅葉の時期はさぞかしと思われる。

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講談社野間記念館

講談社の創業者、野間清治の収集コレクションを中心に、講談社創業90周年記念事業の一環として、2000年4月に設立。
おそらく蕉雨園と奥の方で敷地を共有していると見られるが、記念館入館者(一般500円)のみしか奥に入ることが出来ず、今回奥までの立ち入りは見合わせ。

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胸突坂

台地上と神田川沿いの低地を繋ぐ胸突坂。ここを下って神田川に出る。台地と低地との急峻な高低差を否が応でも思い知らされる。
降り切る少し手前に関口芭蕉庵がある。写真右側は永青文庫、左側は蕉雨園。

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坂の途中、下から。
目の高さの錯覚だろうが、上から見るのに比べて下からの写真はそれ程に勾配を感じさせない。

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関口芭蕉庵

胸突坂をほぼ降り切ったところに、芭蕉庵の入り口が有る。俳人松尾芭蕉が(一説では)延宝5年(34歳)から同8年迄の4年間居宅としたとされ、土木技師として神田上水の改修工事にたずさわったとのこと。
芭蕉と言えば勿論『奥の細道』で知られる俳聖。およそ俗世とは無縁のイメージが有るが、意外な顔を見せる。又出身地が伊賀上野(現在の三重県伊賀市)であることから隠密であったとされ、『奥の細道』も諸国の動静探索の旅を兼ねていたとの説も有るが、真偽のほどは(おいらには)分からない。
関口住まいの後深川に転居(深川芭蕉庵)。『奥の細道』等は深川時代の業績。

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芭蕉庵入り口

入園無料

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俳人芭蕉と関口大洗堰の工事と、その組み合わせは意外だったし違和感さえ感じられるが、庵の佇まいはやはり俳人芭蕉のイメージ通り。
但しこの建物は当然後の建築と思われる。

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武蔵野台地の崖には、お約束の湧水とそれを集めての池が付きもの。まして芭蕉であってみればなおさら。「古池や………」の池はここではないと思うけど。

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芭蕉翁の墓と有るが、本当にここに葬られているのか?

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新江戸川公園

胸突坂の道路を挟んで、芭蕉庵と反対側に広がる新江戸川公園。元々は細川家下屋敷だったのだが、1960年、東京都が購入、翌年から公園として開園。入園無料。
目白台地が神田川に落ち込む急斜面の起伏を生かしての変化に富んだ景観を味わえる。但し蚊が居るので入園時には長ズボン推奨。

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案内板の最初には以下のように書いてある。

新江戸川公園

本園は江戸時代中期以来旗本の邸地となり、その後二三転し肥後の細川家の邸地となりました泉水を利用した回遊式庭園で有ります

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激しい高低差

台地上と下とでは、20~30メートル程有ろうかと思われる。今回は兎も角目白崖線の高低差を味わうことに集中。
この南側に開けた複雑な地形が、時の権力者にとって庭を作る上で垂涎の土地となったのだろう。

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このまま上に登ってゆくと、永青文庫に繋がっているようなのだが。

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江戸川公園と関口大洗堰跡

神田川沿い、台地の斜面を背負って、ホテル椿山荘の敷地に隣接する形で広がる細長い公園。かってこの辺の神田川が江戸川と呼ばれていた時期が有り、それを受けての名称だろう。桜の花見の名所でもある。

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関口大洗堰

ここは又、江戸・東京の水道事業にとって非常に由緒ある、関口大洗堰の場所でもある。

 

大洗堰ミニチュア碑の脇に、由来碑とその説明が有った。以下その写し

大洗堰の由来碑について

かってこの地には神田上水の堰があり、古来より風光明媚な江戸名所として知られていました。上水の改修工事には俳人松尾芭蕉も関与し、その旧居(芭蕉庵)は400m程上流に復元されています。
大正八年、東京市はこの地を江戸川公園として整備し、史跡(大洗堰)の保存に努めましたが、昭和一二年になり江戸川(神田川)の改修により失われたので、翌年、堰の部材を再利用して由来碑を建てました。
左の碑文は、その文面です。由来碑は既に失われましたが、近年この碑文のみが見つかりましたのでここに設置致しました。

平成三年三月
文京区役所

 

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堰、ミニチュア版

元々は神田川の中に堰は有った筈だが、今はその痕跡は無い。

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この先、江戸川橋

写真の左側の台地から右側の神田川へ、急勾配で谷が落ち込んでいることが分かる。台地上から神田川水面まで高低差30メートルはある。

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桜の名所でもあるそうだ。

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