渋谷川-1(谷底の街、渋谷)

 

渋谷川とその支流

渋谷はその地名からも分かるように、谷底に開けた街だ。但し地名の由来は、平安時代の末期にこの地を治めていた豪族『渋谷氏』によるものだそうだが、谷底の街であることに違いは無い。その谷の規模も大きく、深い。その谷に流れていたのが渋谷川と、そこに流れ込む支流の宇田川と、又その支流の河骨川。

今、渋谷川も宇田川も、そしてその支流も殆ど暗渠になっていて只歩いているだけでは全く分からないが、その源流を辿ると複雑に入り組んだ支谷の奥に、かっては豊富に湧き出していただろう湧水の跡が、今でも見れるところが有る。
有名な明治神宮の清正井も、神宮御苑内の池を満たしながら原宿を通って渋谷川に合流している。

何回かに分けて、判別の付く範囲でこの流れの跡を追ってみたい。

 

 

複雑に入り組んでいた川筋

下の地形図を見て頂くと分かるように、渋谷川の支流は何本も有る。元々は回りの谷頭からの湧水(それにしても東京は本当に豊かな湧き水が有ったものだ)を源として、その谷沿いに開けた水田を灌漑する用水だったそうだ。
里山の昔の水田風景をご存じの方なら分かる通り、灌漑用水路はその地形に合わせ水田を満遍なく潤す為、網の目のように流れているものだが、渋谷川上流もその例にもれず細い水路が幾重にも入り組んで流れていたらしい。
湧水は量も限られているし不安定だったので、谷頭を掘り上げる形で流路を延長し、玉川上水などに繋げてそこからの分水を得て流量を確保した水路も出て来た。渋谷川もその源流の一つ、と言うか主流が四谷からの玉川上水余水路となっている。

下水路に変身

都市開発が進み、水田やその周りが宅地化するに従い、灌漑用水路としての役割を終えるとともに、複雑な水路は一本化され直線化され、今度は回りの住宅からの雑排水を引き受ける下水に姿を変えて来た。下の地形図にプロットした流路はそう言う形で「整理」された流れ跡の一部であって、元々はもっと複雑だったらしい。
宅地化が進むと今度は逆に、住宅街に張り巡らされる形で細い下水路が設置され、水路全体の総延長は飛躍的に延びることになる。

地上の流れから暗渠へ

臭気や衛生面、雨の時の洪水等の為、下水路と化した渋谷川の流路は、特に1964年の東京オリンピックの頃を境に地下に埋められ暗渠となった。
今、住宅地を歩いて、そこにマンホールが見られない道路は珍しい。道路の下に下水路が網の目のように張り巡らされているのだが、この下水路と元々は谷頭からの湧水を源として流れていた、かっての渋谷川支流の跡を区別するのは難しいし、下水路と区別し難くなったかっての支流跡を歩いて見ても、正直味気ないものはある。「水辺」に興味の無い向きにはなおさらだろう。

しかしやはり同じ下水路のように見えても、宅地造成の際人工的に敷設されたものと、かっての川跡とではなんとなく区別が付く場合も有る。川に沿って家が立ち並びそれを基にして街並みが出来て来ている訳だから、後の時代にその川筋を整理しようとしても、権利関係や立ち退き、史跡などの関係で簡単にはいかない場合が多いのだろう。
細くて曲がりくねっていて、あまり起伏の無い裏道が有って、そこにマンホールが続いていれば、そこは大抵昔の川筋だと思って間違いない。緑道、或いは遊歩道として整備されている所もある。

暗渠ハンター

暗渠の跡を辿ることをこよなく愛する人達がいるらしい。「暗渠ハンター」とか「暗渠学会」などと言う言葉も有る。
私はどちらかと言うと暗渠よりは地上に姿を現している流れの方が、例えそれが近世、下水の高度処理水を流している人工のせせらぎで有ったとしても、好ましいのだが、今回、渋谷は地元でもあるし、殆どが暗渠化された渋谷川とその支流を主な所だけ(到底全ては辿れない)、その源流部から辿ってみることにする。

実は今回、渋谷川の一番の支流、宇田川の主要な源流部が、自宅から歩いて10分程の場所に有ったこと、そこからの流れが暗渠となって、自宅のすぐ前の道路下を流れていること、何時も利用している代々木上原駅の直ぐ近くを通り、これも行きつけのスーパーの脇を通っていることなどを初めて知った。
私はこう言う「由緒ある」場所に住んでいた訳で、水辺フェチの私としては仮に暗渠であっても辿らない訳には行かない。

 

谷底の街、渋谷

谷底と台地、そこを繋ぐ坂

先ずは渋谷駅とその周辺。
渋谷駅は谷底に作られた駅。谷が有れば山(台地・丘)がある。谷と山が有ればそれを繋ぐ坂が必ずある。代表的な坂として「道玄坂」と「宮益坂」が有名だが、渋谷駅を中心に大小至る所に坂が有る。渋谷では街のどこにいても坂を下り切ればそこが駅と言うことになる。

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧ください。
渋谷川、宇田川とその支流・支谷をプロットして行くと広範囲な地域に渡る。その為地形図も巨大なものとなりました。スクロールしながらご覧下さい。

玉川上水-7.gif

 

 

撮影Map

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。

2018年、突然Googlemapでの表示が不調となり、解決の方法も有りません(Googleの仕様変更かも)。しかしmap上の位置関係は判別できますので、引き続きそのまま表示します。

shibuya_gps.jpg

 

    

 

駅前

忠犬ハチ公像

先ずは渋谷のシンボルと言えるハチ公。待ち合わせの若者であふれているのだが、時間が早かった為未だ閑散としていた。

shibuya61.jpg

 

スクランブル交差点

今や観光名所ともなった世界的に有名な交差点。こちらも早朝の為未だ通行人もまばらだが、もう少しすると世界一の通行量を誇る歩行者でごった返す。

shibuya61.3.jpg

 

 

高低差

原宿駅

この写真は神宮橋上から見た原宿駅での線路。
原宿駅は隣接する明治神宮、代々木公園と共に台地上にある。しかし直ぐ隣の渋谷駅が谷底に有って高低差が大きい為、その差を調整する為に台地を削って原宿の線路敷きを下げざるを得なかったのだろう。それでも渋谷駅ではこのJRの線路は高架上を通ることになる。

shibuya-1.jpg

 

谷底を跨ぐ線路

こちらは渋谷駅JRの線路。原宿では地面を大きく掘り下げて通した線路が、ここでは高架上を通っている。

shibuya-2.jpg

 

地下鉄銀座線

渋谷では地下鉄も地上に出て、高架で谷を通る。それも結構な高さ。

shibuya-3.jpg

 

断面図

渋谷駅前の谷底を挟んで東西の台地を繋ぐ2本の坂、道玄坂と宮益坂沿いに断面図を作成、標高を表示したものです。クリック、拡大表示でご覧ください。
「谷底の街」の状況がよく分かります。道玄坂上の標高が約35メートル(宮益坂も33から34メートル)、谷底のスクランブル交差点・JR山手線線路敷などが14メートル程、差し引き20メートルの標高差がある。

shibuya_danmenzu.jpg

 

道玄坂

谷が有れば必ず「山(台地)」が有って、そこを繋ぐ坂が有る。それが渋谷では道玄坂と宮益坂。
道玄坂は幹線路だから或る程度の区間を使って勾配を慣らしているのだろう、見た目にはそれ程の急坂には思えないが………、上掲断面図で分かる通り高低差20メートル。

shibuya-6.jpg

 

 

渋谷マークシティ

この道は道玄坂の1本隣の道。裏道に入ると昔を偲ばせる急坂が通っている。写真右隣りの建物は渋谷マークシティで、谷底に1階の入り口が有るが、坂の上では4階からも地上に出入りできる。

shibuya-7.jpg

 

    

 

百軒店と円山町ラブホテル街

道玄坂の途中から道が付いている。
道玄坂と宇田川の谷、鍋島松濤公園からの流れの谷に囲まれ、半島のような地形になっていて、一種閉ざされた空間。
かっては商業施設や文化施設、料亭や花街などで開発を意図されたらしいが、今その商業施設などは駅周辺や公園通りに移り、日本有数のラブホテル街となっている。

shibuya-8.jpg

 

円山町ラブホテル街

新沼謙治の歌『渋谷物語』で、「♪ 何も言わせず男が抱けば、世間振り捨て泣く女 そんなロマンが今でも残る 道玄坂の人眼を偲んだ仮の宿」と歌われた、渋谷円山町のラブホテル街。

shibuya-9.jpg

 

ラブホテル街の一角に有る稲荷神社

shibuya-10.jpg

 

鍋島松濤公園

円山町ラブホテル街から、道玄坂の反対側に降りて少し歩くと、鍋島松濤公園に出る。

shibuya-11.jpg

 

公園内の池

公園の大半を占める。
池は三方を台地に囲まれた谷地地形に有って、今でも渋谷近辺では貴重な湧水池。かっては豊富な湧水量が有って、池も多分澄んでいたのだろう。
 

shibuya-13.jpg

 

台地上は高級住宅地、松濤

池の有る谷地から台地上に繋がる階段。台地上は日本でも指折りの高級住宅街、松濤が広がる。
なお「松濤」の地名の由来は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受けた鍋島家が、明治9年に茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出したことによるのだそうだ。

shibuya-12.jpg

 

松濤

高級住宅街、松濤に繋がる道の一つ。正面道路の右側は、東京都知事公館。
あまり住宅街に立ち入っての撮影は問題なので、下、Googl Earth の航空写真で雰囲気を味わって下さい。麻生副総理の邸宅もこの住宅街の一角に有ります。
麻生邸に限らず、警察官が警備している邸宅が何軒も見られます。

shibuya-12-2.jpg

一軒一軒が大きく広い。
固定資産税だけでも我々の年収を超えるんじゃないか。

shibuya-14.jpg

 

宮益坂

渋谷駅を挟んで、道玄坂のほぼ反対側。
道玄坂と同じく、勾配はそれ程には感じないが、かっては急な坂で台地の上と繋がっていたのだろう。

shibuya-15.jpg

 

御岳神社

坂の途中、石段を登って神社に出る。
石段の上が本来の崖上の高さなんだろう。車を通す為崖を削って勾配を緩め、長い坂の道路としたのだろう。

shibuya-16.jpg

shibuya-17.jpg

 

坂の上から渋谷駅方向

shibuya-18.jpg

 

 

青山通り

宮益坂を登りきって青山通りに合流する。こちら渋谷方向。やはり下り坂になっている。

shibuya-19.jpg

 

台地上の青山通り

こちら丸の内方向。既に台地上に上がっているので起伏も少ない。

shibuya-20.jpg

 

渋谷川開渠開始

渋谷駅の南側、六本木通りを超えたところから渋谷川が開渠となって姿を現す。
渋谷区、港区の都心を通って流れ、浜崎橋で東京湾に注ぐ全長7Kmの二級河川。但し明治通りと外苑西通りが交差する天現寺橋から下流は古川と名前が変わる。この境目はかっての江戸城下の市街地と周辺部の農村地帯との堺でも有ったようだ。
又、渋谷川上流(渋谷駅より北)では穏田川と呼ばれることも有る。

shibuya-21.jpg

 

暗渠から開渠へ

渋谷駅方向。何回もの改修工事を経て、渋谷の地下は迷宮となっている。

shibuya-23.jpg

 

下流方向

shibuya-22.jpg

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://y-ok.com/mt-tb.cgi/687

コメントする

INDEX

You Tube 動画

比較的最近始めたContentsです



岐阜に移住・拠点にして


岩と清流・歴史と文化の地、岐阜を拠点に


木曽川水系

飛騨川水系

長良川水系

歴史の街並み

つわものどもが夢の跡

安曇野に身を委ねる

陸奥(みちのく)紀行

酒田山居倉庫、十和田・奥入瀬、酸ヶ湯、仏ヶ浦、本州最北端大間、恐山、尻屋崎、五所掛け温泉、八幡平、玉川温泉、乳頭温泉、角館武家屋敷、銀山温泉、山寺、裏磐梯、五色沼・檜原湖、大内宿
出羽三山神社、月山弥陀ヶ原、十二湖・日本キャニオン、竜飛崎、八甲田田代平湿原、蔦沼、奥入瀬渓流

武蔵野と水辺


「舞台は武蔵野」 - 全てはここに

「関東平野・武蔵野」私的覚書 - 鵜呑み厳禁

母なる川、多摩川の風景

奥多摩・御岳

多摩川上総層群

玉川上水

武蔵野の地形地質との折り合い、奇跡の43Km

野火止用水 - 知恵伊豆、最初からの本命?

千川上水

水道道路ー都会を貫く直線道路

国分寺崖線

野川 - 武蔵野の湧水を集めて

仙川 - 野川最大の支流で水のミステリーの中心

深大寺周辺 - 国分寺崖線の奥座敷

中仙川緑道と入間川

矢沢川-九品仏川斬首で出来た等々力渓谷

六郷用水(次大夫堀)・丸子川

丸子川支流-谷戸川

立川崖線と青柳断層

ハケの清水と府中用水

残堀川

立川崖線終焉

南北崖線軸と山の手台地

皇居

渋谷と渋谷川

目黒川水系

神田川水系

杉並地内「暗渠の迷宮」を辿る

呑川水系

石神井川水系

山の手台地 Others

武蔵野台地北縁

落合川(黒目川支流)


その他